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音楽:NICO終了。ぼくの音楽の全てだった。

ぼくの神様が終了したのがつい先日。

ここ数か月止まっていたLINE公式アカウントの通知とTwitterの通知が同時に鳴り響く。その発信主は唐突に自分達の音楽の終焉を告げた。

ぼくの器用貧乏な神様、「NICO Touches the Walls」。

CMやアニメのタイアップをしていながらも、同世代のUNISON SQUARE GARDEN や[Alexandros]ほどの知名度を持つことがなかったバンドであったが、NICOの全楽曲にはもっと多くの共感と感動を呼ぶ力があった。

彼らの音楽には一定数の楽曲数を聞いた視聴者を「音楽中毒」にさせる効果があった。そうに違いない。そりゃあ、邦ロック界隈が元気な時代だからYoutubeを見れば良質な楽曲はいくらでもヒットする。ただ、彼らは音楽の学問的側面や本質を見つけやすいバンドだった。そうじゃなかったら今のぼくの音楽中毒が説明つかない。

NICOが原因の音楽中毒は重度である。ロックは勿論、カントリーもR&Bもエレクトロニカもポップスもガレージも歌謡曲も全部モノにしてる。従来のオルタナを覆すほどの裾野の広さ。ジャンルで規定できないところが気持ち悪くて彼らをNICO Touches the Wallsたらしめている。きもくて好きでずっと聞いてた。

ただ、その生態故に邦ロックシーンの界隈のどこかに属することが困難であったのかもしれない、NICOを好きな人の音楽趣向に一定の傾向を見出すことは意味がない。強いて言うならガレージ好きが多い気がする…くらい。その雑食性が彼らの寿命を縮めたような気がしてならない。

そういう意味でも彼らは日本の音楽シーンを生きるのが下手だった。(最後の数年以外はずっと物販ダサいとか。)一番欠点だったのは「音楽しかできない」こと。彼ら、特に光村龍哉(Vo.)が気持ち悪いくらいの音楽バカで、フロントマンとは思えないNICOの主軸だった。MCが下手。ファンが呆れる程失言が多い。マイクロホンの存在否定ともいえる暴力的艶やかさをもつ歌声。文字で見ても美しすぎる歌詞。時代もジャンルという仕切りをぶち壊れた音楽性の巨大な引き出し。

歴史に名前が刻まれない天才はこうやって生きていくのだと思った。

”邦ロック”という言葉で一概に括ることが不敬罪に相当する。雑食性で人を寄せ付けない勢いで音楽シーンを先駆して、ついには誰も手が届かないところまで行ってしまった集団だった。だったけれど、彼らの生き方は最高にロックだった。その唐突な終焉さえも彼らの不器用なバンド経歴に似つかわしいと思えたし、これだけ心酔しているにも関わらず不思議と”終了します”の文字への絶望や怒りはなかった。幕がひかれたことで彼らの鳴らせる音楽を出し切ったのか?と安心した気もした。

終了報告当日からしばらくしても通知を見て集まってきたファンのツイートがあふれかえって洪水のようだ。でも、ぼくはTLに流れる悲痛な叫びも応援の声も憤りの無言も自慰的な応援もどうでもよかった。

ぼくの音楽の神様は終了したのだ。

初めて音楽に惚れたまっすぐなうた、好きな同級生を想って聞いた梨の花、夜の底で眠れずにプレイヤを聞いた夜、入試直前に聞いたマシ・マシ、Aprilを聞いて地元から離れた特急から見た夕焼け、18?を聞いてやっぱりぼくの神様だと再確信したときもずっとずっと大好きだった。

初めてコピーしようとしたのも手をたたけのリードだった、古村の聴かせる古臭いギターが最高に心臓に来るライブがたまらなく好きだった。光村の叫ぶような歌声とため息みたいな歌を響かせるボーカルになりたかった。彼みたいな音楽を愛する人間になりたくて、飾らない音楽への真摯な姿勢を尊敬して今日も生きている。音楽を始めてから対馬のドラムの上手さに感動した、ドラムしながらの高域コーラスも音楽界隈ぶっちぎりで。坂倉がデビューからベースクソ上手くなっててマカロニッ?のベースラインが最後に世に出て本当に良かった、惚れた。この4人が本当に好きだった。



誰が何といおうとぼくの音楽の神様はNICO Touches the Wallsでしかない。

全ての曲がぼくの音楽です。

本当に、ありがとうございました。



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