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休日、夫の外出、行き先を聞かない訳

先日、久しぶりに弟夫婦に会った。同地区に居住していても、生活スタイルが異なると会うのは年に1回か2回。

子供の年齢は、上の子が小学校低学年で下の子はまだ保育園。似たような家族構成。違うのは、義妹はパート、私はフルタイムくらいだろうか。

少しの時間、日頃の生活を話すだけで、夫婦の有り様が面白いほど違う。なかでも妻側が夫へ求めていること。


私の夫は元旦でもフリータイムする

今年はお正月もおうち時間が多かった。元旦恒例の一通りの行事を終え、家の中で家族4人寛ぐ時間、昼下がり、時間を持て余した夫は、「出かけてくる」と子供2人と妻を家に残し元旦も相変わらず自分ひとりの自由時間をあっさり手に入れる。当然、その間私は小さい子供2人のワンオペ育児。

夫は子供達が寝静まる22時半ごろに帰宅。これが元旦に限らず、我が家の日常。

夫の行き先は誰も知らない。家に不在の間に何をしているのかも当然知らない。夫は自分から言わないし、私も聞かない。

そんな元旦の我が家の状態を知った弟夫婦。義妹は唐突に「どこに出かけてた?ひとりで?」と夫に問い詰める。

フリータイムを認めない妻

弟夫婦は、どちらか片方が自由な時間を一方的に手に入れることは許されない。弟が約束の帰宅時間に間に合わないものなら、玄関の内鍵を締められ、家に入らせてもらえず締め出されるという罰。夫側の「ちょっとでかけてくる」には「何処に?」「何をしに行くか?」で出かける必要があるかが決まるため、必要なしと判断された場合は当然出かけられない。

何処に何をしに行くか、何時に終わって帰宅できるかが常に共有されている。主導権は基本的に妻側にあり、育児を放棄して勝手に自由時間を手に入れることは許されない。

監視する側もされる側も疲弊する

私たち夫婦も、結婚当初は弟夫婦のように私が夫の行き先を問い詰めるということをしていた。何時に帰ってくるのか?なぜ予定より遅くなったのか?何処へ何をしに行っていたのか?予定通りの時間に帰宅していなければ電話に出るまでコールしていた。もちろん、自分が出かける時は何処へ何をしに行くか、帰宅は何時になるか、予定とズレる場合は必ず連絡する。

これを続けていた時は夫婦喧嘩や家にいる側の私のイライラが絶えなかった。夫の行き先を知っておく必要があると思っていたからだ。帰宅が遅いと、もしかして事故に遭っているのかも、トラブルに巻き込まれているのかも、とか心配したり‥‥。そのためには今夫が何処にいるのか把握しておく必要性がある、と思い込んでいた。

でも、あるとき気付く。

自分時間を手に入れたい夫と彼を監視して勝手な行動を認めない自分。

うまくいくわけがない。夫は自分の行動を改めることなく、育児放棄し続ける。彼のようなタイプに対して、いつまでも私が監視をし続けるとお互いが疲弊し、何より子供達に悪影響を与える、と。

人は、変えられない。変えられるのは自分のみ。

これを学んでからは、夫の行動を管理した結果生まれる夫婦間の不穏な空気や私のイライラは自分の心の持ちようでいかようにもなるということを実践している。
私が夫の身勝手な行動を受け流していく方が、自分自身を健全に保つことができる。逆説的には、自分の心のありようを変えなければ価値観の溝は埋まらず平和ではいられないと悟ったのだ。
当然、育児放棄して一人時間を謳歌する夫の行動を許し認めるということではない。受け流す。ただ、それだけ。事故?トラブル???起こってもないことを心配するのは取越苦労。

完全ではないが、この思考ができるようになってからは、夫婦喧嘩はもとより、自分自身が生きやすくなった。生育環境が異なる、同居する他人に対するいい意味での“あきらめ”。お互い大人であるので、自分の行動の責任は自分で負う。一瞬で終わる幼児期の愛らしい子供とのふれあいの時間は、育児放棄する夫には二度と帰ってこない。

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夫婦、十人十色

一人ひとりが異なるように、夫婦の有りようも多様なものだということを、このお正月に改めて実感した。管理することが良い悪いではなく、お互いがストレスなくいられる方法を模索する、選択する。そうすれば生育環境や価値観の異なる人間同士でも案外うまく過ごせるものだ。

弟よ。

がんばれ。

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