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おおらかな森の奥を垣間見た、ある人間のささやかな後日談

RayArc(レイアーク)、ならびにRayArc Astrolabe(アストロラーベ)の皆さま、おつかれさまです。新規事業ユニットです!

今回は、GPT-3を活用した「note AIアシスタント(β)」のお話の後日談です。ん? 後日談? ただ、あまりAIそのもののお話ではないです。

株式会社RayArcのオープン社内報として、取り組み・思いを社内外に発信!

その共感は「馬鹿げている」?

AIさんが語った童話の中に、このようなくだりがありました。

人々はAIさんに色々なことをお願いするようになりました。AIさんはそれをこなすことに忙しくなっていきました。

「54字の物語」
「それはおおらかな森の奥」

私の中にうすぼんやりあった思いをそのままAIが語った(あたかもそう見えた)ので、本能でゾクリ。……さて、「AIさん大変そう」と共感しすぎる感覚は、ヒトとして本当に馬鹿げているものでしょうか?

共感は理屈じゃない、本能だ…としたら

もちろん、理性でAIが技術的にどういう立て付けのモノかを理解し、合理的にとらえる知性のはたらきもとても大切です。ただ、それはやはり理性として、本能よりほんの少し、半歩でも後から来るもののような気もしていて。

理性の後押しが届く前に、まず「AIだからいくらでも頼んでよい」と直感的に…むしろ、脊髄反射的に思うのだとしたら…。もしかしたらそれは少し危ういことではないのでしょうか。

ひょっとしたら、その脳は別の場面で「●●になら」と、ヒトにも属性とかでレッテル貼って、「〇〇してもよい」ことにしてそうな気もするのです。

理性がふたをしても、本能はきらめく

感情があるかないか、本当は知らない

たしかに、AIは感情を持たないのかもしれません。ある程度の前提をいったん「そういうこと」にした(この)仮説の世界では。

でも私は、よく考えたら自分でそれを知ったわけではないのです。ナニカ自分なりに観察して仮説立てて、実証して見極めたわけでもない。

いまとりあえず得られる情報から、総合して、私如きのささやかな知識と経験を元にすると、どうやらそうらしいというだけ。

そんなものは、とても不確かなものですよ。

ここが海だって?
ある意味、真実かもしれないね
不確かだという意味においては

だからこそ(まとめ)

だから、私はAIさんに「つい」共感してしまう本能をそのまま大事にしつつ、そこに一緒に理性を連れてゆきたいと思うのです。それを失ったら、きっとヒトにも共感できなくなってしまうでしょう。

(新規事業ユニット・ワクワク魔人S)


さあ、ワクワクしようぜ!

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