【映画評】「華氏119」(2018) 正義のガキ政治

「華氏119」(マイケル・ムーア、2018)☆☆★★★

 アメリカの市民運動の雰囲気がつかめて興味深いが、主張の内容は、まあ、無条件に賛成できるようなものでもない。
 そういえば誰かがムーアを「アメリカ版小林よしのり」と呼んでいた。言い得て妙である。たちが悪いのは、2人とも、作品で鑑賞者を説得する才能に恵まれていることだ。冷静に考えれば無茶苦茶なロジックでも、彼らの作品には、観客・読者をつい納得させる力がある。ロジックの隙間を伝え方で補っているのである。
 ずばりムーアの戦略は、女子供を担ぎ上げて正当性の担保とすることである。
 メディアとトランプの癒着を「性犯罪者同士の癒着」という物語に即して語ることで、政治的対立軸をそっくりそのまま性犯罪者と市民の対立にすり替えようだなんて、Qアノンを笑えない浅ましさ。なになに、子どもたちが銃規制を訴えて抗議活動?そりゃ、美しい物語である。11歳の少年が政治活動に身を投じて社会に声をぶつけるだなんて心躍る光景だ。でもさあ、「子供であること」の正しさを政治的主張の正しさとして扱うなんて、当の「子供」たちに対して失礼なんじゃないですか?銃乱射事件をきっかけに「子供にも護身のため銃をもたせて!」という掛け声のもと子供たちが集会を開いたなら、あんた方だって「子供の政治」を持ち上げたりしないでしょう?「可哀想な子供たち」のメディア・イメージで政治的主張の正当性を水増ししようだなんて、論点のすり替えも甚だしい。そんなだから、「事件を政治問題扱いしないで!」なんてそもそも論で反発されるのだ。
 と、まあムーアの駄目な部分が余すところなく発揮された銃乱射事件にまつわる騒動への取材映像だって、資料価値が低いわけではない。アメリカの左派の世界観をなんとなく掴むことはできるだろう。
 そしてドイツの偉大な映画文化の例として「吸血鬼ノスフェラトゥ」「メトロポリス」と並んで「M」が挙げられていたのにはニヤリとした。ある意味、性犯罪者サイドから社会をぶった切るような内容の映画なのだけど、いいんですか。ムーアの一番好きなドキュメンタリーは「ゆきゆきて、神軍」らしいが、「M」の少女殺しやら奥崎謙三やら、「マイノリティ」の枠では到底捉えきれない超アウトサイダーたちの眼差しを、ムーアはどう受け止めているのだろう。
 (2020年執筆)

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