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コーカイ日記584

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晴れ、12℃/0℃。
休み。心療内科の午前の受診はなんとか間に合う。昨日というか今朝まで熱が入って格闘ゲームをしていた。やり過ぎである。ある意味幸せと言えるか。
心療内科の受診後、近くのモール内にある大型書店、と言えども地方なので都会とは規模が違うが、に寄り新書数冊と斎藤幸平の『マルクス解体 プロメテウスの夢とその先』を購入。併設のカフェで読もうか迷うがやめて、車に戻って少し時間を潰してから歯科の予約を済ませ、町の個人書店に向かう。専用駐車場は無いのでコインパーキングに停めて徒歩で店舗へ向かう。久しぶりに街中を散策すると色々な発見がある。点在する寺院と神社、狭い一方通行の道と大量のクルマ。日陰の冷たさ、排気ガスと木々の匂い、抜け穴のような車庫、親しみのある低い平屋の家屋と怪獣のように聳え立つ巨大なマンション。最短距離ではなく、あえて狭い小道に入って軽い探検気分を味わう。コロナ禍ではずっとゲームの世界にいた。ゲームはここ十数年で急速にリアルに接近したがそれでも現実の複雑なディテールには及ばない。溢れるほどの情報が複雑に絡み合いながら自分を包む感触、この芳醇な時間と空間の只中にあるということの不思議さ、とでも言えばいいのだろうか、再現性のない一回性の経験。これ性。ゲームでそれが経験できないとは言わないが刺激の多さと複雑さが全く違う。しかしそうであればバーチャルがリアルに追いつく日も近いか。それだけではない何かが街にはあるのだろうか。街では他者の存在も大きい。それも顔のある他者だ。オンラインでメッセージやボイスチャットで繋がっているのとは違う、顔の見える人々がいるということ、そのことによって生じる倫理の世界。社会的動物の群れに生きているという環世界の認識。それが僕を独我論的世界から倫理的世界へと強制的に誘う。疲れもするが他者によって認識される自分を意識することによって現れる自身を見ることが僕を社会的動物へと戻す。
閑話休題。
ああ、全ての通知を切ってしまいたい。精神が常にオンラインにある。一日に一時間くらいスマホの電源を落とす時間を設けようか。眠るように精神をオフラインで休ませるべきだろうか。ネットの、網としてのネットに囚われている。オンラインの精神は活発で、一見すると賦活しているように見えるがその実、引き裂かれ潰れている。ショートし、漏電している。垂れ流しの糞尿のようにだらしなくぶら下がっている。しかしそれこそがこれからこの世界を生き生きと生きる精神の形なのかも知れない。サスペンスな精神の振幅に合わせて踊る身体がこの世を生きる。もうよく分からないので終わる。了。

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