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好きなものの変化

10年前と10年後

10年は早かった。
でも一つずつ思い出すと、たくさんの出来事があった。

作ること、デザインすることが生きがいだった10年前。
絵を描き、アクセサリーを作り展示会やイベント販売していた。
絶対に売れてやる!という純粋な動機と目標で、名古屋や東京へ行きイベントや展示に参加した。
お金がない学生だったから一人で夜行バスに乗り、宿泊は漫画喫茶だった。

20歳って成人だけど、思春期の匂いがまだ残っている感じがあった。
就職しても仕事をしながら、作品を作り出展や、イベント展示販売を続けていた。

いつしか、なんで作っているんだろう、なんで展示しているんだろう。
と、いつも考えるようになった。

クリエイティブ系の仕事をやりながら、自分の好きなものを作る。
作り続けながらも、以前のような新しい世界に飛び込んでいる感覚は既に失っていた。
作る事が習慣になり、作らなければいけないと思うようになっていた。
仕事でも物を作り、仕事では確実に給料としてお金をもらえた。
与えられたことを時間内でこなし、実力も会社で評価してもらっていた。
こっちの方が楽じゃない?と思った。

休日に、いつも「ああ、作らないと」と感じてしまい
何も作らずに遊んだり、別のことをして過ごすと焦燥感に襲われ
作ることが苦痛になっていた。

多分、10代の目標がクリエイティブ系の就職がゴール地点だったので
就職できた時点でやり切ってしまい、
表側のキラキラだけじゃなく、裏面も見えるようになったのだと思う。

やらなきゃ、やらなきゃ
と思いながら作り発表するのは違うなと感じ、思い切って数年作家活動をやめてみた。
すると、人と会う機会が増え、交友関係が広がった。
作家活動をする=家にこもって作業する
なので、人と会うことが激減し、同じ人や似通った人としか会わなくなっていた。
しかし、家の外やコンフォートゾーンを出てみると
全く別の世界の人と友達になることで、知らない世界をたくさん見聞きし、別の価値観に触れ、かなりの知見を得た。
これは、長い人生においてとても大事な思い出にもなっている。
好きだった、美容・ファッション、古着、サブカル文化、クリエイティブ文化もいつしか興味がなくなっていた。
これは自分でもびっくりした、ずっと好きで変わらないと思っていたから。
人は不変ではないし、人が変われば好きなものも当たり前に変わるんだな と思った。

「へー凄いね!」は作品ではなくて、行動に対してだった

仕事を通して、作る事、作品を見る機会もグンっと増え
若い頃より視点が変わってきた。
クオリティの高いもの、低いもの、デザイン性が良いもの、魅せ方が上手いもの、など。
そして、それが自分の作品についても同じく見えるようになって
なんだかクオリティが低いのがどうしても気になってきた。
若い頃はすごいね!と言われた事が素直に嬉しかったのだが、
段々とそれは、活力や行動力を褒められていただけであって作品のクオリティではなかったのではないか?と気づく事にもなる。

数年制作を辞め、別の価値観も取り入れたことで、過去に作った作品を客観的に見る事ができるようになった。
最近、またここ1年でコロナ禍も収まり、
少しずつ活動を再開していて、作品のクオリティを上げる事を目標に制作できていて楽しい。
まずは、複雑な造形をうまくデフォルメし質を上げること、
デザイン性や色、世界観の統一感など
また新しく目標ができて作ることが楽しくなってきた。

作品制作は、一応今では仕事になっているが
義務ではなくて、自分が楽しいと思える範囲で細々と続けられたらいいなあと思う。
数年辞めた事によって、作品のファンも一度離れたけど、自分を一番大事にすることが長く続けられることだなと思う。

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