人生最悪の「21歳の戦力外通告」が実は最大のチャンスだった~戦力外Jリーガー社長の道のり7
21歳でガンバ大阪から戦力外通告を受けビジネスの世界に飛び込んだ私の物語を連載でお届けしています。
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23歳にして失った「大きな夢」
ガンバ大阪で戦力外を宣告され、レベルを落としたはずのJFLでも通用しないことを悟った私。
サッカーを始めた少年の頃から夢に見た、そしてJリーグの誕生とともに確実な目標になっていった「プロサッカー選手として活躍する」という野望は、23歳で儚くも完全に消え去りました。
人生には挫折が付きものですし、一時は「確率的には東大に入るよりも難しい」とされたJリーガーに、一度はなれたのですから、よしとすべきなのかもしれません。
それでも「あのときこうしていたら」というif storyを考えてしまうのが人間です。
もし、ガンバ大阪で必要な努力をしていたら……
私も、「ひたすら他責思考だったJリーガー時代の3年間と少しを自分の実力を受け止めて謙虚に努力する自責思考で過ごしていたらどうなっていたか?」のパラレルワールドを夢想したことがあります。
試合に出られないことを他人のせいにせず、自分の成長のために練習に取り組み、変化を求めて色々なことにチャレンジしていたら、私の選手寿命は確実に延びていたでしょう。
もしかしたら、ガンバ大阪で試合に出る、もしくは仮に移籍したとしても、移籍先でポジションを獲得するという甘い夢も浮かんでこなくはありません。
しかし、現在の私に、当時への未練やif storyへの後悔や嫉妬はまったくありません。むしろ、あの時ガンバ大阪を戦力外になって本当に良かったとさえ思っています。
もう一度生まれ変わっても同じ選択をするかもしれない
この話は、2019年に刊行された著書『戦力外Jリーガー 経営で勝ちにいく 新たな未来を切り拓く「前向きな撤退」の力』の中でもお話ししていますし、色々な取材、講演やスピーチでもよくしているのですが、なかなか真意が伝わりにくい話だなぁと実感しています。
現在、こうして経営者としてリユース業界、ビジネスの世界で充実した時間を送っている私にとって、ほんの少しJリーガーでいられる時間が延びただけ、一時的にスポットライトを浴びられたかもしれない「別の未来」には、まったくと言っていいほど魅力を感じません。
いま流行のタイムリープ、異世界転生もののフィクションではありませんが、Jリーガーとして活躍するための準備をやり直せる二周目の人生があっても、たぶん私は今回の人生と同じ選択をする気がしています。
負け惜しみでなく、戦力外通告に感謝しかない
Jリーガーになるという目標に向かって努力し、自分を磨いた高校時代、他責に終始してしまった反省ばかりのプロサッカー選手時代、夢と現実、新たなステップに日々葛藤していた時間は、いずれもいまの私を構成する重要で必要な時間でした。
しかし、21歳でガンバ大阪から戦力外通告、23歳でサッカー界から離れていなかったら、バリュエンスホールディングスはこの世に存在していなかったでしょう。
負け惜しみではなく、本当に私は当時のガンバ大阪の選択と決断に感謝しかありませんし、その決定があったからこそ、「子どもの頃からの夢を手放す」という方向転換、自分の中でのパラダイムシフトに至るきっかけをもらったと本気で思っています。
“一択”だと思い込んでいた人生が拓けた瞬間
直接言われたわけではありませんが、「結果論でしょ?」「たまたまビジネスがうまくいっているからそう思えるんだよ」と思う方もいると思います。
でもそうではないんです。
経営者になったからとか、会社が上場したからとか、その“成果”だけの話をするなら、プロサッカー選手として試合に出る、ガンバ大阪のユニフォームを着てゴールを決める、Jリーガーとしてなるべく長い時間プレーして、日本代表とかにはまったく縁がなくても、サポーターに愛され、温かい声援を受けてピッチを去るというキャリアも十分な“成果”といえるはずです。
私が自分の境遇に感謝しているのは、「サッカーでメシを食う」「Jリーガーとして活躍する」という“一択”の世界観の中で生きてきた私に、早すぎる引退をきっかけに強制的に新たな選択肢が現れたことなのです。
一本道だと思い込むと踏み外せない……でも実は道は他にもある
その道で一流を極めるという幸せしかない人生は、途轍もない光を浴びるスターを生むかわりに、多くの選択肢を持てないがゆえにその後の人生でも苦戦する元アスリートたちをつくり出します。アスリートが「セカンドキャリア」で苦しむのは、競技がすべての一本道、“一択の人生”だったからに他なりません。
でも本当はそんなことない。
競技に没頭する中でも、現役のプロサッカー選手であっても、人生は一択ではありませんし、他の選択肢を同時に選ぶことだってできます。
振り返ってみれば、私の人生に「セカンドキャリア」は存在せず、私は私の唯一の人生をいまもずっと歩んでいるのです。こうした考え方は、バリュエンスホールディングスで行っているスポーツ選手の「デュアルキャリア採用」にも活かされています。
プロサッカー選手としてのキャリアを終えた私は、人生のもう一つの、もしかしたら無限に広がる、“可能性”に気が付くことができた。これが私の人生の転機であり、もっとも大きな幸運だったのかもしれません。
続く
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