起業前、部長級社員が大量に退職したときのこと。私が経験や実績より可能性に目を向け続ける理由~戦力外Jリーガー社長の道のり23
新宿の地に出店し、無事に東京進出を果たした『なんぼや』でしたが、すべてが順風満帆だったわけではありません。トントン拍子に経営者になり、上場したように思われていますが(実際にそれほど大変だった認識が私にもないのですが)、起業前夜にもピンチはいくつもありました。
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幹部が大量退社? 起業前の危機
話はなんぼや東京1号店出店の一年前にさかのぼります。
二人の兄からリユース事業の経営をほとんど任せてもらい、業績は順調、店舗を増やしていこうという中で事件? は起きました。
父が社長を務めていた時代から働いていた部長クラスの社員が一気に退職したのです。
規模としたら今とは比べものにならない小さな組織でしたから、部長クラスが何人もいなくなるのは衝撃的な出来事です。当然、社歴が私よりも長い人がほとんどで、戦力としてはかなりの痛手。レギュラークラスがシーズン中にいきなり抜けて、補強どころではない状態です。
予感はあった・・・・・・かも?
寝耳に水だったか? と聞かれると、今にして思えば予兆はあったように思います。
私が父の経営するリユースの会社に入ったのは22歳のときのことでした。ガンバ大阪を戦力外になり、JFLであがいた後にサッカー界からの撤退を決め、リユースを天職と見定めたことはこの連載でこれまでお話ししてきたとおりです。
22歳での転身、同級生が大学を卒業するタイミングだったので、リユースのこと、ビジネスのこと、社会人として働くことをイチから学ぶためにすべての仕事に全力を投じました。
下積みというほどの努力ではありませんが、買い取った冷蔵庫や洗濯機を無心で磨き、そうした日々を送る中で見えてきたこともありました。
退職してしまった部長クラスの古参社員は、こうした私の姿を知っている人たちです。
自分としては頼りになる先輩として信頼していましたし、それも一方通行の関係性ではないという思いもありました。
急激な変化に不安になる気持ちは理解できるが
ただ、その一方で、会社自体が大きな変化のときを迎え、不安になってしまう気持ちもわからなくはありませんでした。
リユース事業の中でもネットへの対応、時計や宝飾品、ブランドリユースへの方向転換、地域密着の郊外型店舗から、ブランド品の買い取り専門に絞った都市部への多店舗展開・・・・・・。父が経営の実権を握っていた頃とは業務内容もずいぶん変わったはずです。
さらに、多くの人にとっては“後輩”だった私が、新規事業をいろいろ始めて上司になり、経営の舵取りをするようになったのです。関係性に問題がなくても複雑な感情を抱くことも想像に難くありません。
落ち込んでいる暇はなかった
「やめる」という情報があったわけではありませんでしたし、まさに突然といった感じでショッキングではあったのですが、一瞬驚きはしたものの、上記のようなことも気になっていたので「なるほどな」と妙に納得する自分もいました。
とはいえ、やはり“去られる側”の立場はつらいものです。
「ああしていれば」「こうしていれば」とさまざまな思いが巡りました。本当なら数日落ち込んでいたかったのですが(笑)、レギュラーが抜けてしまった手当てをすぐにしなければならず、落ち込んでいる暇はありませんでした。
「ピンチをチャンスに」を地で行く、組織改革の好機
当たり前のことですが、今振り返ると当時の組織は本当に弱かったと思います。
私自身も立場的には事業、部門を任されている中間管理職のような立場だったこともあり、「経営者として」という視点で社員を見ていなかったかもしれません。
とはいえ、誰かがなんとかしてくれるような状況ではありません。
「さて、どうしよう」
腹をくくると、不思議と切り替えができるのが私の長所かもしれません。
たしかに会社としての戦力は失ったけど、“先輩”たちに対して気を遣っているところもあったかもしれない。残ってくれたメンバーにとってはチャンスだし、会社としても組織をもう一段レベルアップさせるための機会とも考えられる。
そんなふうに思ったら、このピンチをチャンスに変える道筋が見えてきたような気がしました。
今いる社員のポテンシャルを引き出す
もう一つ思ったのが、「今いるメンバー、社員を大切にしよう。彼らが成長できる、これまでの経験や実績ではなく、ポテンシャルを引き出そう」ということでした。
これは現在に至るまで私の経営者としての考え方、姿勢の柱となっていることの一つです。
サッカークラブなら、レギュラークラスをすべて若手起用で埋めるというのはギャンブルでしかありませんが、移籍で実績豊富な人を補強してしまうと、現在いるメンバーは「結局チャンスは与えられないんだ」と感じるでしょう。それに他のクラブでの実績がそのまま結果につながるわけではありません。
というわけで、私は会社というチームの先頭に立ってレギュラーの穴を埋め、残ってくれたメンバーに仕事をどんどん任せることでこのピンチを切り抜けました。
この1年後にはオープンに際して自分でポケットティッシュ配りをするほど人手が足りていないながらも東京に進出をしているわけですから、ピンチを切り抜けたというより、大きな変化を利用して組織とそこに属する個人の成長を加速させたという方が正しいかもしれません。
ここでつくられた組織の土台が、やがて上場企業へと成長していくことになるのです。
つづく
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