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社員の結婚式の主賓スピーチで考えた「常識と偏見」と夫婦円満の秘訣。コミュニケーションの齟齬はどこから生まれるか?

1月に社員が結婚式を挙げました。バリュエンスメンバーの”年齢的な結婚ラッシュ”は一段落して、以前ほど結婚式にお呼ばれする機会は少なくなりましたが、私にとって大切な存在である社員の結婚式はやっぱり特別なものです。
立場上、挨拶を頼まれることも多く、今回は久しぶりに主賓の挨拶。自分としても改めて、夫婦や家族、コミュニケーションの本質について考えるきっかけになりました。

何回やっても慣れない社員の結婚式の主賓スピーチ

結婚式で何を話すか。
当人にとってだけでなく、パートナー、そのご家族にとっても晴れの舞台でもある結婚式でのスピーチは、何回経験しても慣れないものの一つです。

多少「人生の先輩」と呼ばれる年齢にはなっていますが、諸先輩方のように長い経験から来る含蓄のあるスピーチはできませんし、何より私自身も夫婦や家族、家庭について偉そうに何かを語れるほどの確信をつかんでいるわけでもありません。

結婚とは「18歳までに身につけた偏見を持ち寄った2人が一緒に暮らす」こと

そんな中、今回私がスピーチでお話ししたのは“価値観”についてでした。

スピーチの中で引用したのが、このnoteでも紹介した、

「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクションである」

というアインシュタインの言葉です。

コロナ禍、分断の時代に、無意識バイアス(アンコンシャスバイス)という言葉が一つのキーワードになっていますが、結婚とは即ち、「18歳までに身につけた偏見を持ち寄った2人が一緒に暮らす」行為なのです。

自分にとっての常識は相手にとっての非常識かもしれない

自分にとっての常識は、自分にとっては心地いいものです。
「ずっとそうしてきたから」
「うちではこうだったから」
「こうして育ってきたから」
食事にしろ何かしらの習慣にしろ、生活のすべては、その人にとっての “常識”で成り立っています。それが、いくら愛し合って結婚するにしてもパートナーと生活するとなると、お互いの“常識”がぶつかり合うことになり、自分の“常識”は相手から見れば“偏見”でしかないことに気づかされます。

育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない

私が結婚したのは、34歳の時。

それまで自分のためだけに生きてきたのが、人生のパートナーとして妻を得て、その後には3人の男児に恵まれ、やりがいや、生きがい、幸せの意味合いが変わっていくのを感じました。

結婚を機に働き方が変わったとか、行動が変わったとかはあまりなかったのですが、仕事を終えて帰る家に明かりが灯っている、誰かが待っていてくれるという事実は、精神的な安定をもたらしてくれたように思います。

異なる環境で育った妻との生活は、当然ハレーションを生みました。
私の実家である嵜本家は、超亭主関白。現在とは時代が違うこともありますが、父が「お茶」と言えばお茶が出てきて「新聞」と言えば新聞が手渡されるような光景が当たり前でした。

夫婦や家族のあり方は、近年大きく変わってきているので、さすがに私も「これが当たり前」と思って妻に接することはありませんでしたが、それこそ18歳までの私は、自分の父と母の夫婦関係しか知らず、それが当たり前、常識だと思い込んでいたと思います。

「正しさ、善」の反対は「間違い、悪」ではなく、もう一つの「正しさ、善」

こうした環境が、家事の分担などの夫婦の役割に影響を与えていないか?

夫婦平等が当たり前の時代では、亭主関白はもはや“悪”とされていますが、仮にいいと思ってしていること、自分的には正しいと思っていることでも、相手にとっては想定外、許容できなものである可能性もあります。

一般的には“常識”は社会的に当たり前だと思われること、従うべき社会的模範のことを指します。もちろん社会の秩序を保つために必要な概念だと思いますが、自分にとっての常識がどこから来ているのか、その常識は本当に常識なのか? 自分にとっての常識があるのと同じように、相手にとっての常識もあることなどは忘れてはいけないことです。

「普通に考えたらこうでしょ? そんなの常識だよ」
夫婦の会話でこの言葉が出たら要注意。

夫婦間であっても人間は自分の正しさを押しつけてしまう生き物です。
特に生活のなかにあるぶつかり合いやズレについては、善の反対は悪ではなくもう一つの善であることを肝に銘じる必要があります。

常識を手放すと見えてきたのは感謝だった

まだまだ実践できているとは言いがたいのですが(妻がこれを読んだらどんな顔するか考えるのはやめておきます)、自分の常識を手放して、まずは相手の立場になって考えてみる

すると、浮かび上がってくる感情は、「なんで言った通りにやってくれないんだ。わかってくれない、思った通りにならない!」という怒りではなく、感謝になっていくのです。

そんなに極端に変わりますか? と懐疑的な方も多くいらっしゃると思いますが、怒りの原因のほとんどは、自分の思い通りにならないから。

「価値観の違い」は、夫婦間のトラブルでよく聞く話ですが、お互いの、少なくともこちら側の常識を手放すことができれば、価値観の違いによる衝突はずいぶん緩和されます。

相手の立場に立てば、相手の事情がわかってくる。何かをしてもらったときに素直に「ありがとう」といえるようになる。「ありがとう」が増えると、これまで頭の中を支配していた、「何が正しい」とか「常識」とかが不思議なくらいどうでもよくなり、夫婦の、そして家族の新しい価値観ができていくのです。

無意識下にこそ、意識して行動する

諸説あり、確定したデータがあるわけではないという話もありますが、人間の行動の90%以上(一説には97%とも)は無意識で行われるといわれています。

仕事などの社会的な活動とは違い、安らぎの場である家庭、ついつい気を抜いてしまう夫婦間のコミュニケーションでは、なおさら無意識が優位になるでしょう。

リラックスしたとき、無意識優位の時にどんな自分が出てくるのか?
こういうときに顔を出すのが、「18歳までに集めた偏見のコレクション」である常識や、過去の体験、経験に基づいた自分本位の結論です。

こうして話していると、これって夫婦や家族だけでなく、会社、ビジネスでもまったく同じことがいえるんですよね。

自分の内にある“常識”の正体を自覚して、自分以外の人にもそれぞれの“常識”があること、それを主張し合うことは“偏見”のぶつかり合いにしかならないこと。自分の正しさを振りかざさないことが円滑なコミュニケーションを生む第一歩ということを常に意識して今後も精進していこうと思います。

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