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ビジネスの現場で経験した本当の「選択と集中」。洋菓子事業からの前向きな撤退~戦力外Jリーガー社長の道のり19

3兄弟で始めた新規事業は他にはない話題性と、洋菓子の素人ならではの発想で生み出した意外性が相まって、思いのほかうまくいきました。いまにして考えれば、リユースという本業が別にあり、ある程度の安定があったからこそ、2人の兄ととにかく自分たちが正しいと思ったことに振り切って思いきったチャレンジができたのだと思います。

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このままでは「どっちつかず」になる

洋菓子専門店『パティスリーブラザーズ』、続けざまに立ち上げた、焼き立てチーズケーキの店『パブロ』と事業が成長を続けていく中、私たちに新たな転機が訪れます。

西宮の店舗から始まったパティスリーブラザーズは関西だけでなく、関東にも店舗展開ができ、何か一つ、スペシャルワンにこだわって始めたパブロも順調に成長を続けていました。

事業の成長とともに、当然そこにかかる時間が長くなります。初めはリユース事業ありきで、今でいう社内ベンチャーのような形での“チャレンジ”だった洋菓子事業も、気が付けばちょっと誰かが本気でやらないと「どっちつかず」になるなというほど大きなビジネスになっていました。

二つの決断と前向きな撤退

洋菓子事業に先駆けて始めていたブランド買取に特化した『なんぼや』も好調で、私たち3兄弟はいくつかの“決断”をすることになります。

一つ目の決断は、父が始めた私たちのビジネスの原点ともいえるリユース事業の方向転換です。冷蔵庫や洗濯機、家電や厨房機器、店舗オフィス向け用品といったそれまでの主力商材の取り扱いをやめ、リソースをブランド品のリユースに集中させることを決めました。

現在でも一定の需要があるように、以前は「リサイクルショップ」と呼ばれていた業態で取り扱われる家電製品や厨房機器のビジネスが成立しないほど鈍化していたかというと、実はそんなことはありませんでした。

父が創業したビジネスからの方向転換

創業以来の「勝手知ったるビジネス」ですし、やり方次第でまだまだ伸びる可能性はありました。特に父にとっては、裸一貫から始めてここまで育ててきたビジネス形態でもあり、思い入れもあったに違いありません。しかし、私たちは今以上の成長をするために“あえて”厳しい選択をしたのです。

要するにビジネスの世界でよくいわれる、「選択と集中」を実行したわけですが、これも私の人生のテーマである“前向きな撤退”の一つと言えます。

「父はどう思うだろう?」
兄も含め、気になるところではありましたが、初めのうちは「本当に商材を変えてしまって大丈夫か?」と心配はしていたものの、父は父で商売人として「今が変化の好機」という判断をしていたようで、最終的には私たちの決断を後押ししてくれました。

洋菓子事業からの撤退という“選択”とブランド買取への“集中”

もう一つの決断は、私自身の決断でもあります。

前回お話ししたように、フードショーの催事に売り子として立つことも当たり前にやっていた洋菓子事業は兄に任せ、ブランド買取に特化することに決めたリユース事業、『なんぼや』に集中することに決めたのです。

私は、現在に至るまで続けているリユース事業を「自分の仕事」としてとても大切に思っています。プロサッカー選手として挫折し、ビジネスの世界に飛び込んだ私に初めて成功体験を与えてくれた、商売の面白さを教えてくれたということもありますが、それだけではない縁というか、「これこそ一生の仕事として取り組むに値するビジネスだ」と思い始めていたのもこの頃だったのかもしれません。

なんぼや、そしてバリュエンスへ

2人の兄は元々飲食業に興味が強かったこともあり、私がリユース事業に集中することはすんなり決まりました。実際、この決断をする前も実務の比率としては8対2か9対1くらいでなんぼやの仕事をしていました。何かが大きく変わるというわけではありませんでしたが、今にして思えばこのときの決断が現在の『なんぼや』、そしてバリュエンスにつながっていく分かれ道になりました。

『なんぼや』2号店は大阪の梅田、3号店は神戸の三宮へ。
「このビジネスはやればやるだけ伸びる」
そんな手応えと充実感は、やがて確信となりました。

「次は東京へ」
ビジネスを加速し、事業の成功から業界日本一への挑戦がスタートしたのです。

つづく


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