21歳で「手放せた」幸運。ガンバ大阪からの「戦力外通告」への感謝
「来年は契約はできません。自分でチーム探して下さい」
高校を卒業し、憧れだったJリーガーになり夢に溢れていた私が、21歳でガンバ大阪から「戦力外通告」を受けたこと。普通に考えたら悲劇でしかないですよね? テレビのドキュメンタリー番組で密着でもされていようものなら、さぞかしドラマチックなシーンが撮れるんだろうなと自分でも思います。
今日は、私がJリーグを離れることになった際の率直な気持ちをお話しようと思います。
嫌味でも何でもなく、戦力外通告してくれたガンバ大阪には感謝しかない
もちろん、この挫折は私にとっていまのところ人生最大の挫折であることは間違いありません。当時はきっとネガティブな気持ちもあったし、なんで自分ばかりという理不尽、まだできるという現状にしがみつく気持ち、さまざまな気持ちがあったと思います。
でも、不思議なもので、いまこのときの気持ちを思い返しても、そうしたネガティブな気持ちはスッとどこかに消えてしまっているんです。どんな気持ちだったかも思い出せないくらい、Jリーガーという立場を手放すきっかけをくれたガンバ大阪というクラブに、感謝しかないんです。
今年5月、この素直な気持ちをTwitterでつぶやいたところ、熱心にツイートしてこなかった自分としては、それまでで最も大きな反響があり、周囲からも「悔しさをバネにしたのかと思っていた」とか、「当時はすごく未練があったのかと思っていた」など「意外だった」という声をいただきました。
経営者としてガンバ大阪のゴールドパートナーになったときも「見返せましたね」という褒め言葉? をもらうこともありましたが、見返すとか、そういう感情は1ミリもなく、ガンバには本当に感謝しかありません。
「人生は受け入れたくないことが起こるけど、一旦受け入れてみれば無限の可能性の扉が開くこともある」
人はそれを「結果論」というかもしれませんが、21歳で「この世界では通用しない」という明確な“答え”をもらったからこそ、私は「それなら別の世界で」と方向転換をすることができました。
踏ん切りをつけづらい時代の引き際とは?
現代は、なかなか「失敗できない」「一度失敗したらそのあとの浮上が難しい」社会になってきているといわれています。しかし同時に、自分の人生の進路ややりたいこと、夢をみんなある程度”尊重”してくれる社会でもあり、他人から決定的な「ダメ出し」や「不合格通知」「戦力外通告」を受けることが少ないのかなと思います。
サッカーの世界、Jリーグでもこれと同じようなことが起きています。
地域密着を謳うJリーグが、全国のその裾野を広げ各地にJを目指すクラブができたことは、日本のサッカー界にとって素晴らしいことです。しかし、急激にクラブが増えたことで、条件を問わなければプレーを続けられるクラブがあるという状況をつくり出しています。
ガンバ大阪に戦力外通告を受けたあとに私が在籍したJFLの佐川急便大阪では、JFLのプレーレベルの高さに驚かされ、かえって諦めがついたのですが、いまであれば、その下のカテゴリ、またいつかクラブへ返り咲くことを夢見てサッカー選手を続けることができていたかもしれません。
誰にも等しく訪れる「終わり」をどう前向きにしていくのか?
私は、若い選手にもサッカー界からの「前向きな撤退」を選択肢に入れたほうがいいよと声をかけることも多いのですが、夢を追いたい選手たちには「とことんまでがんばってみればいい」と思っています。
そのための応援は惜しみませんが、お金を出すとかサッカーだけに集中する環境を整えるだけではなく、夢を追い続けながら現在のキャリアが次のキャリアに役立つ「スキル変換」のお手伝いをしているつもりです。
踏ん切りをつけづらい時代に、いかに前向きな撤退をするか。もしくはその先のキャリアを見据えて、”デュアルキャリア”でいくのか……。
私が携わるバリュエンスグループで取り組んでいるスポーツ事業では、「アスリートの持続可能な未来をつくる」というミッションを掲げています。
いま、夢に向かって邁進している若い選手、なかなか結果を出せずに進退を悩んでいる選手、また、順調にキャリアを歩んでいるトップ選手も含めて、いろいろな状況の選手がいると思います。
そのすべての選手たちに共通する唯一のことは、「必ずキャリアの終わりが来る」ということです。
そのときをどう迎えるのか? それぞれの終わり方があると思いますが、私は、自分の経験を伝えることで、少しでも多くのサッカー選手、アスリートが、後から振り返ったときに「あれは前向きな撤退だった」と思える終わりを迎えられたらと願っています。
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