サピエンス全史マガジン4

サピエンス全史 #4 科学革命

いらすとや図解シリーズ第一弾「サピエンス全史」の第4回、今回は科学革命についてです。

前回までは、5000年前から1000年前あたりの中世までの貨幣・帝国・宗教という普遍的な秩序の発生について、みていきました。カオス状態だった経済・政治・倫理のそれぞれが、ぐっちゃぐちゃに混ざりながら一つの秩序を目指しているという話でしたね。

今回は、これまでの宗教感丸出しで現代からしたら信じがたい中世の歴史かがリアルに変わっていく、科学革命について説明していきます。

さて科学革命とはどんな出来事だったか?
科学革命のビフォーアフターで見ていきましょう。

まずは、一番下の生産性から見ていきましょう。その効果のほどによって興味を持ってくれること間違えなしです。

500年前、科学革命前の1500年代の人口は約5億人でした。これが科学革命、そして科学革命の延長にある後ほど説明する産業革命の恩恵によって、14倍の70億人にまで爆増します!  これは医療の発達や農業・畜産業の発達により、子供の死亡率が激減したためです。いやー増えましたね。1500年の江戸にブルゾンちえみがいたら「地球上に男は何人いるか知ってる? 2億、あと5000万」っていう、やや控えめになったギャグで演芸場をわかせていたことでしょう。

次は増えた人口を支える生産価値、国内総生産GDPの地球全体版ですね。1年で2500億ドルだったのに対し、現在は240倍の60兆ドルです。人口が増えたっていうのもありますが、一人当たりでみても17倍も生産量が増えてます。ブルゾンちえみも江戸時代の彼女よりも17倍笑わせていることでしょう。彼女だけじゃなくみなさんもそう、誇っていいです。

エネルギー消費量、ごはんのカロリーも115倍にもなってます。当時は飢餓や栄養不足が深刻でしたが、現代では逆に肥満が深刻ですね…。

こんな具合で、私たちの生活に猛烈な恩恵を与えてくれたのが、科学革命でした。それはどのような変化があったからでしょう?

科学革命前の中世では、知識の基盤は支配的な宗教からなっていました。「自然は神が創造したものだ、自然のふるまいは神が作ったルールで動いている」というもの。そのルールは、キリスト教の「聖書」やイスラム教の「コーラン」など聖典に物語形式で書かれていました。そして、「知らないこと」という無知の扱いは、そのルールブックにあるかどうかでした。中世の人は、よくわからないことがあると、真理を語る聖典に詳しい賢人や聖職者に尋ねました。もし真理にないならば、無駄なこと、という扱いでした。真理は絶対不変であり、重要なことは全て聖典にあるというスタンスです。

一方科学革命後は、自然というものの見方が変わります。「リンゴが落ちた、なぜか?」など、何かのわからないできごとがあると、観察をして説をたてます。そしてその説は、新たな証拠により「これらの証拠からその説は違う、きっとこうだ!」と反証して更新できる、というのがルールになりました。このように、知識の認識ではなく、集団的無知の認識の始まりを科学革命といいます。

科学分野で大きなジャンプアップがあったターニングポイントは、いくつかあるので例としてあげます。自然は観察して数式で表せるという説のニュートンの「プリンキピア」、万有引力などが有名ですね。現象を個々でみるのではなく統計により確率で合わすというベルヌーイ「大数の法則」、これら統計学により数式に表せない経済の予測や心理学などは確率を用いて論じるようになりました。理論はテクノロジーと結びついて初めて価値が出るというベーコン「新機関」、これで有効な理論がはっきりし科学の発展が加速します。などなどです。

科学は、それ単独ではうまく進みません。研究には、資金が必要だからです。それにはが持っている存在、つまりは、もれなく宗教やイデオロギーで組み立てられている組織の力を借りるしかありませんでした。

なので、科学はを得るためのものほど発展していくことになります。政治や組織に利益、主には資源を手に入れるテクノロジーを生み出すのが「いい研究」となったからです。

そしてその力を得て、さらに研究に投資していきます。
国は力を得て帝国主義として、資本主義も利益を得て拡大していきます。

このように、科学革命後は図のような正のフィードバックが回りだし、それぞれの発展をガンガン加速させていったのです。つまり、科学資本主義帝国主義、これらが三位一体となって世界支配を拡大していきます。

どんな科学を発展させるべきか、科学的根拠はないのです。
科学は、宗教やイデオロギーなど虚構とべったりの夫婦関係なんですね。科学と宗教、時々お互い喧嘩しますしね。でも離れられない。

さて次に、爆推していった要素の一つ帝国主義についてみていきましょう。

まず、科学革命前の帝国はどんなだったか?
皇帝など征服者は「世界をわかっている」と考えていました。当時の世界地図では、このまま海を進んでいくと世界の端に行きつく、そこには滝があったり、恐ろしい魔物が住んでいたり、それ以上進めないと「わかっていた」。だから新しい大陸を目指して、航海に出るなんてことはせず、近隣と争っては富と権力を奪い合っていました。

科学革命が始まったころ、地球球体説を信じたコロンブスがアメリカに到達し、世界地図が書き換わりました。世界地図にアメリカ大陸が登場し、まだ誰も足を踏み入れてない場所を「空白」としていました。つまり、ここはわかっていない場所、無知を認めたわけです。無知の共同認識、科学革命そのものですね。こうして、征服者たちは我先に地図をうめていったわけです。これが科学革命前と後の帝国の違いです。

さらには1800年ごろ、帝国主義が登場します。しかしながら先ほど述べた通り、帝国主義と科学革命と資本主義は三位一体なので、帝国主義について詳しくは、資本主義の説明してからに説明します。ここでは、資本主義は置いておいて帝国と科学の融合の歴史だけ説明します。

ヨーロッパの各帝国は、アジア・アメリカ・アフリカに植民地を拡大していきます。このころ征服のための遠征に、科学者が同行するようになります。野蛮に武器だけを携えていくわけではなかったのですね。科学には帝国の力が必要であり、帝国が力を増す、つまり資源を増やすには科学の力が必要だったからです。

例えば、1798年のフランス軍ナポレオンのエジプト遠征の時には167名の学術団が同行していました。ロゼッタストーンの発見などの功績を残しています。

1831年のイギリス海軍の地図作成のための遠征には、地質学者としてダーウィンが同行しました。その際、ガラパゴス諸島にも到達しその時の観察したことの洞察が、のちに進化論として発表されます。ダーウィンは、最初から生物学者ではなかったんですね。

他にもイギリスがインド征服時に、インド人よりも詳しく歴史・地理・生物を調べ上げました。これにより知識が強固され、帝国が強固になっていきさらに支配力が上がる。支配される側にとっては地獄の構図ができあがっていったわけです。

そんなヨーロッパの帝国主義も1945年の第二次世界大戦以降に、大きな戦いもなく静かに平和に解散をしていきます。そして現代では、国際法やネットワークの発達による国を超えた経済があたりまえになり、国家の独立性が小さくなります。このように、地球は一つのグローバル帝国の様相をなしています。この平和な現代についても後程説明します。

とまぁ、このように帝国と科学のラブストーリーは進んでいくわけです。しかしながら、このラブストーリーは三角関係なのでもう一人の登場人物、資本主義について説明します。

資本主義とは何か?
まず、その魔訶不思議なトリックを説明します。

建設業のA氏は、工事を終えて1億円の売り上げがありました。その1億円を銀行に預けます。A氏の口座残高は当然1億円です。

パン屋を開きたいB氏は、ベーカリー建築のために1億円を銀行から借ります。そして、B氏に建築費用として渡します。B氏はその1億円を銀行に預けます。これでA氏の口座残高は2億円になっています。銀行が持っているのは1億円なのにです。

B氏、ベーカリー建築に予定外の費用がかかることがわかり銀行からもう1億円借りることになりました。それをB氏に渡します。B氏はその1億円を銀行に預けます。これでB氏の口座残高は3億円です。

米国建築法では、このループをあと7回繰り返すことができます。つまり銀行は実際に持っているよりも数倍の貨幣を貸すことができるのです。ほぼ全ての銀行で全ての口座残高からお金を引き出した場合、破産することになります。

このように、将来への信用が貨幣の大部分を支えることで、流れる貨幣の量が膨らんでいくというマジックが資本主義の仕組みです。

その資本主義がどう始まったかというと、アダム・スミスの「国富論」が大きな影響を与えたとされています。その内容は「得られた利益で人を雇えば、利益が増えさらに人が雇える。これで、社会全体の利益が増えハッピーだ」というもの。「資本が増えることで人間が幸せになる」という超人間的な秩序、すなわちイデオロギー=宗教なのです。

資本主義が登場する前の利益はどうしていたか?
中世の富豪は、利益を再投資に回すという概念をそこまでもっていなかったのです。だから、豪華絢爛な豪邸を立て、派手な衣装を着こみパーティを開催したり、浪費しまくっていました。

一方、現代の経営者・投資家たちは、再投資を優先し、質素な生活をしていることが多いです。服や住居など質のいいものは買うけれども、それは再投資となるかかどうかが購入の基準となっていたりしています。投資を優先する戒律ですね。

現在は庶民が、貴族のように派手に浪費しているところをみると、圧倒的な資本主義の社会では庶民と投資家のどちらが繁栄するかは明白じゃないでしょうか。

戻りまして、資本主義帝国主義がどういう関係だったか?
先に説明した通り、科学革命も含めた三位一体のエンジンを見ていきましょう。

まずはオランダ、1602年、東インド会社ができます。世界初の株式会社と言われています。株を売って遠征資金を調達するというのが画期的でした。その資金で、翌年インドネシアに上陸、商売を開始します。その後、東インド会社は、利益の拡大のために傭兵を雇い、原住民と大規模な回線を繰り返し、インドネシアを植民地化しています。国ではなく、会社が軍隊を率いて帝国を建築し利益を拡大していく。まさに資本主義と帝国主義の融合。当時は、会社が軍隊を率いて植民地化するのは当たり前のことでした。その後200年に渡り東インド会社がインドネシアの島々を支配し、ようやくオランダ国家に支配権を譲ります。

別の例、フランスのミシシッピ会社の場合。1717年、国の命令、勅許でアメリカ南部を開拓する目的のミシシッピ会社は設立されました。取締役にはフランス中央銀行総裁でもあったジョン・ローが就きます。この会社、ひどいことにアメリカ南部の開拓など全然していませんでした。実体がない関わらず、資源を生み出す夢の国を建築しているがごとく宣伝し、株価が高騰、1719年9月には株価は10倍、その12月には100倍まで跳ね上がりました。これが世界三大バブルの一つミシシッピバブルといわれるものです。そして誰かが実体がないことに気が付くとバブルは崩壊。株価が暴落するものの、ミシシッピ会社のジョンローは中央銀行総裁でもあったので、なんと会社を支えるため紙幣を刷りまくる! インフレ率は80%を突破、これによりフランスの財政は事実上破綻します。ルイ16世が就いていた1780年のころには、王制予算の半分を利子返済にあてる始末。これはまずいと、ルイ16世は一世紀半ぶりに議会を開催。その事態が明かるみになり王政の信用は失墜、フランス革命につながっていきます。これも悪い意味で帝国主義と資本主義の一体化の結果ですね。

最後、イギリスの例。1600年、イギリスの勅許で東インド会社を設立します。オランダの東インド会社と同じ会社名なのでややこしいですが。インド含め東南アジアで、現地や他国と争いながら商圏を拡大していき、綿や香辛料などを扱って利益を得ていました。他国での説明でもそうだった通り、帝国主義が力を増すと植民地化が進み資本主義の悪い面が火を噴き出します。1764年、インドのベンガル州を征服し植民地化します。そこで、経済優先のずさんな政策を行い、数年後、大飢饉が起きます。4年間でベンガル人口の1/3、1000万人が死亡したと言われています。残虐っぷりが半端ないですね。

同じくこのころ、中国とも取引を開始しています。しかし、お茶や絹などの輸入で貿易赤字が拡大していきます。そこで、ベンガル含めインドで麻薬であるアヘンを栽培し、中国で売り出します。歴史上でも類をみないほど悪名高い三角貿易ですね。中国ではアヘン中毒者が増えまくり、中国政府もいよいよ水際の強硬策をとります。港でアヘンを没収したり、アヘン商人を追い出したり。これに怒った商人たちはイギリス国家の力を借りて1840年戦争を起こします。いわゆる「アヘン戦争」ですね。イギリスはアヘン戦争に勝利し、その後商売で都合が悪いことが起きると戦争、そのうち独立支援など戦争を商機にしたりと、帝国主義と資本主義の凶悪な融合っぷり猛威を振るっていくようになりした。

この他、アフリカからの奴隷貿易など、帝国主義と資本主義の組み合わせは、猛烈に拡大していくった反面の邪悪さにはキリがありません。

この勢いで2回の世界大戦を迎え、それ終えた1945年以降、共産主義の登場により資本主義の強欲が抑えられていきます。

それにしても、科学革命と帝国主義と資本主義の三位一体、これまでの歴史にないほどの繁栄と暴走っぷりのダイナミズムは凄まじいですね。

これにさらに拍車をかけるのは産業革命です。

大量生産の歯車が回りだした産業革命とは何だったのか?
ずばり、250年くらい前から始まったエネルギー変換の革命です。

産業革命が起きる前の唯一のエネルギー変換は、食料を筋肉の運動に変換する「代謝」のみでした。それまでは、太陽光エネルギーにより、野菜や穀物、それを食べる家畜の肉ができ、それを食べて消化し筋肉や内臓などを動かすエネルギーに変換する「代謝」しかできなかったのです。

それ以外には火の熱で肉を焼く、風で船を進ませる、水を回転運動になど、自然エネルギーを直接的にしか使えなかったのです。そのため、好きなところで好きなタイミングでエネルギーを使うということができませんでした。

しかし1708年、蒸気の膨張収縮をピストン運動に変換が、炭鉱に溜まった水を出すポンプで使われ始めます。これが産業革命の始まりです。炭鉱には石炭が豊富にあったのと、別の場所でエネルギーを使うという考えもなかったので、しばらく炭鉱でのみ使われていました。

数十年後に別の場所、水力を動力にしていた紡績工場で蒸気機関が使われ始めます。それまで水がある場所にしか建てられなかった紡績工場が、どこでも建てられるようになりました。

そしていよいよ、トロッコに蒸気機関を乗せる発明家が現れ、代謝と自然エネルギー以外の移動手段が誕生したのです。

その後も様々なエネルギーが生れます。ガソリンなどを利用したエンジン・内燃機関、電気エネルギー、アインシュタインが質量はエネルギーであることを理論だてた「特殊相対性理論」の恩恵の原子力などです。

これらのエネルギーの変換が次々誕生したことで、生産力が爆発的に増大し今の豊かな社会に繋がっているわけです。

産業革命がいいところだけだったのか?
産業革命の恩恵と功罪を、詳しく見ていきましょう。

先ほど見たように産業革命によって、エネルギーが安価でいつでもどこでも得られるようになりました。これによって、未開の地で鉱床の開発が可能になったり、遠方から原材料の輸送が可能になります。これらが重なって、新しい原材料が次々に発明されていったのです。アルミニウム、プラスチックが代表的なところですが、薬品、食料添加物、衣料素材などもです。産業革命はこれらの化学にも大きな貢献があったのです。

様々な原材料が生れてくると、メリットばかりに見えますがそうでもありません。1908年ドイツのフリッツ・ハーバーは空気からアンモニアを製造する方法を発明し、それをきっかけにノーベル化学賞を受賞します。このアンモニアによって化学肥料が作られ第二次農業革命に繋がります。世界を変える素晴らしい発明だったのです。しかし、このアンモニアから火薬の原料である硝石も作り出せるようになります。ドイツは第一次世界大戦で各国の包囲網を、空気から作られた爆弾で長期間しのぐことができ、被害が拡大することとなりました。
また、ハーバーは第一次世界大戦で銃に当たらないよう掘り進んだ塹壕戦になったときに、様々な毒ガスを作ったことでも知られています。このように化学の発達は使い方次第で、メリットにもデメリットにもなったわけです。

その化学肥料、農薬の登場のおかげで第二次農業革命が起きます。化学だけでなくガソリンエンジンなど内燃機関により農耕機器が登場したことも、飛躍的に生産量が上がった要因の一つです。これにより食料が豊富になり、致命的な飢餓が激減しました。
しかしながら、効率的になったことによる功罪もあります。農業と同時に畜産も工業化していったことなどです。家畜が機械のように扱われ、身動き一つできないケージにいれられ、子供とも引き離され、成長を促す薬品を注射され、動物にとっての幸福度が劣悪なまでに下がっていきました。今日、日本でもアニマルウェルフェア(動物福祉)の概念が入ってきて、ようやく改善の兆しがみられてきましたが、それまではさも当然・必然・自然として虐待が続けられていたのはご存知のことでしょう。この残虐に扱っても自然という感覚は、家畜に対してだけなく、奴隷貿易のころの人間に当てはまっていたと考えると身震いします。

ちなみに、著者のユヴァル・ノア・ハラリは、厳格なヴィーガン(「酪農製品を一切取らない主義の人)だったりするので、アニマルウェルフェアには一般よりも敏感だったりするのでしょうね。

さて脱線しましたが、産業革命の恩恵と功罪の最後は消費主義です。
産業革命によって、現代では史上初めて供給が需要が上回っています。豊かな生活が送れているのは産業革命の恩恵ですね。もちろんこれは、利益を投資に回すことが自分と社会の幸福とする資本主義の恩恵でもあります。

一方で、豊富にものが選べる時代であり「何を消費するかで幸福を得る」という消費主義が多くの大衆を占めるようになりました。幸福は、新しい欲しいものを購入し、憧れの体験をすることで得られる、というのが消費主義という宗教の教義です。資本家が大量に作り、大衆が大量に消費する。この構図は、地球環境に多大な悪影響を与えることになっているのは、ご存知の通りです。

しかしながら、資本主義と消費主義は表裏一体の円環であるので止まることはありません。
キリスト教徒などが「勤労であれ、正直であれ、邪淫するなかれ」と求めれたことが守れないのに対して、
資本主義の信奉者「収入は投資する!」
消費主義の信奉者「収入は消費する!」
と、教義で求められたことを行うという史上初の宗教であることも大きな推進力の一つになってます。

産業革命はたまた、帝国主義、資本主義がうまれた後の劇的な生活の変化によって、近代の社会の構成がどうなっていったかを見ていきましょう。

まず、近代以前の社会構成はどうだったか?
とにかく家族と地域コミュニティの力が強かったのです。何をするにも家族やコミュニティのお世話になっていました。例えば、仕事だったら家業を次ぐのが一般的。看護は家族やコミュニティの知恵袋が行い、老後は当然家族が見ていました。何か暴力沙汰など騒ぎがあった場合には、家族による復讐や、国家にコミュニティの長老が叱咤されたりしました。結婚は家族同士で紹介し合うことで成立し、偶然の恋愛によって導かれることは稀だったのです。このように、核家族親密な地域コミュニティ物理的必要性部族の絆を提供していました。

生存のための物理的必要性、つながりという部族の絆というのがサピエンスにとって不可欠なものなのですね。物理的なものだけではなく、絆という精神的なものも必要というのがポイントです。

それが近代ではどう変わったか?
国家もしくは市場が勢力を増し、家族とコミュニティは弱まるものの、個人が尊重されていき強くなります。自由主義などイデオロギーの台頭の影響が大きいからです。
例えば、仕事は親ではなく個人が決めます、市場に合わせる必要はありますが。看護は国の保健制度や病院が支援、介護は市場の老人ホームにお世話になります。暴力沙汰は、警察に任せるのが近代の常識です、家族の復讐なんてもってのほか。結婚は、自由恋愛、市場のマッチングサイトなんてものを利用したりもしますね。

このように、物理的な必要性は国家と市場が満たしてくれました。ではコミュニティが崩壊し、部族の絆はどう満たしているか? 

現代では「国民」と「消費者部族」の2つのが台頭しています。

国民」という部族は、国民性、象徴、過去・未来、利益などを共有する部族です。日本だったら、「日本人らしさ」「日本人のために」「日本人だったら」みたいな考え方を共有し、精神的なつながりを得ています。

消費者部族」は、消費することによって自分のアイデンティティを定義する部族です。例えばマドンナの消費部族は、マドンナの曲やコンサート、グッズを消費することによって、「自分はマドンナのファンだ」と部族の一員として感じます。マドンナのファンだけでなく、ベジタリアンは野菜のみを食事することで、動物愛護化はデモ活動することで、サッカーファンは観戦することで、自分はどの部族に所属するかを定義する、ということです。

現代の部族が非常に儚いのは、村人たちがお互いを知っていたのとは異なり、マドンナファンやベジタリアンの部族全員を知ることができない想像上のコミュニティのためです。

さらには、コミュニティとしての家族はもはや機能不全の状態です。国によって教育を受け、市場によって仕事が与えられ、個人によって結婚相手を選ぶ。親が食料を与えなくても、子供は国によって養護される。子供の何かを決める親の権限は消失しました。あると主張するとしても、それは近代以前の家父長制に引きずられているだけと言えます。

このように強い国家と個人によって、家族とコミュニティは弱いものとなっている。これが近代の社会構造なのです。

現代ではさらに国家の独立性がへり、地球が一つの帝国であるようなグローバル帝国の様相が強まってきています。最後にその、目には見えないグローバル帝国がどう強まっていったかを見ていきましょう。

グローバル帝国化しているのは、現代がかつてないほど平和であるからと言えます。

1945年以降、内戦など戦争自体は後を絶えないものの、国境が書き換わるような戦争は一度も起きていません。2002年、サピエンスは5700万人亡くなりましたが戦争による戦死者は、17万人、全体の0.3%に過ぎません。人同士の争い、暴力による死者は74万人、全体の1.3%と戦争の死者の4倍以上。それどころか、自殺者に至っては87万人、全体の1.5%とそれすらを上回ります。もはや戦争より解決すべき事態と言えるのではないでしょうか?
しかも2002年は、2001年9月11日のワールドトレードセンターに飛行機が突っ込む大惨事が起きた翌年という、アメリカとイスラム原理主義との戦いがあった時期なのです。にもかからわずこの数値なので、歴史的にみるとかつてないほど平和な時代と断言できるでしょう。

なぜ、ここまで平和なのか?考えられるのは4つの要因です。

一つ目、戦争の代償が劇的に増大したことです。核兵器の存在があることにより、大国間の戦争はもはや自殺行為となったことです。人類を滅ぼしかねない状況に、武力による戦争が不可能になりました。

二つ目、戦争の利益が縮小したことです。かつて侵略で得る富は物理的な資源でした。戦争で土地を奪い資源を得ることで戦争はするに値したのです。しかし、現代の利益は物理的な資源ではありません。アメリカの儲け頭シリコンバレーを侵略してもシリコンを得られませんし、資源も微々たるものでしょう。富は、グーグルやフェイスブック、アップルのエンジニアたちの頭の中にあるのです。侵略したところで、富を奪うことができません。

三つ目、平和の利益が増大したことです。現代の資本主義では対外貿易や対外投資がとても重要になりました。これは平和な国同士の関係でなければ成立しません。このように安定的に平和な関係であることが利益に繋がっているのです。

四つ目、グローバルな政治文化になったことです。史上初めて、平和を愛する平和主義のエリート層が世界を収める時代となりました。戦争を推し進める宣言をする大統領候補より、平和を目指す候補の方が選ばれ、上に立つようになったのです。これにより、国を超えた協力関係を結ぶようになり、人権などの国際法を順守する、地球環境を各国が改善する努力をする、ようになりました。

これらの4つの要素は、それぞれ他の要素に正の相関があり、平和が平和を呼ぶことになります。こうして、現在のグローバル帝国の様相となった、とうわけです。

まとめ

長くなりましたが、500年前の科学革命から、平和なグローバル帝国の現代までの説明でした。

「無知の革命」であった科学革命にはじまり、帝国・宗教と相まってその科学の方向を決め、エネルギー変換の革命をブースターとして、2度の世界大戦という激動の時代を突き進んでいき、今に至るわけです。

ナポレオンが中世と変わらない戦法の馬と鉄砲でバンバンと戦っていたころ、蒸気機関車がシュッポシュッポいい始めました。その80年後にアインシュタインが相対性理論を唱え、そのたった40年後に原子爆弾で人類を滅亡の一歩手前に行く。

この加速していく歴史のダイナミズムは、長くのんびりとしていた中世の時代と比較すると、神秘と脅威が混ざったような感慨深いものがありますね。

ここまでが、サピエンス全史のサブタイトル「文明の構造と幸福」でいう文明の構造パートでした。

この文明の構造を踏まえ、私たちはどうあるべきかを考えます。すなわち、

文明は人を幸福にしたのか?

です。
戦死者より自殺者の多いこの時代、幸福について考える時期なのかもしれませんね。

つづく


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