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ゴーギャンの妻(12)[小説]

(父はこれで弘継の頭を割ったのか?)
 
 そう思うとあまりいい気分はしなかったが、良いものも見つけた。小学生のときに使っていた虫取り網と虫かごだ。
 
(こんなに軽かったかなあ?)
 
 僕は網を振り回しながら近くの空き地に出た。小さな蝶を追いかけてるうちに、少し昔の気分がよみがえってきて、面白くなってきた。
 そのときだ。大きなオニヤンマが僕の周りを飛び始めた。
 
(しめた)
 
 僕はオニヤンマを捕獲しようと網を振り回した。もうめちゃくちゃに振り回してみた。すると「カツン!」という硬質な音がしてオニヤンマが虫取り網の輪の部分につかまった。
 「なんで逃げないんだ?」と思いオニヤンマに顔を寄せて見て驚いた。彼の頭は見事に割れて大きな2つの複眼が互いに反対のほうを向いていた。昆虫類には赤い血はないので出ないけれども。僕は「ごめんね。」と言って、まだ生きていた彼の翅を持ち、近くの木の枝にとまらせた。
 
(悪いことをしてしまったな・・・捕まえたらすぐ逃がすつもりだったのに。)
 
 家に帰って英語の勉強を始めたのだが、頭に入らない。
 
「弘和、どうも時計の調子がわるい。時計屋さんに行ってみてもらってきて。油をさせばいいんだと思うけどね。」
 祖母がそういうので、あまりに古い掛時計で恥ずかしかったけれど「おじいちゃんの買ってきた時計だから捨てたくないのよ。」と言われては言う通りにするしかなかった。
 祖父は裕福でもないのに僕を1970年の大阪万博に連れて行ってくれた。往復の新幹線の車中で「弘和は良い大学を出て三井物産とかに勤めろ。」これはその後の口癖になった。祖父は中卒だったので一流会社に入っても部下がどんどん上司になっていくことに耐え切れず、会社を出て、嘱託として勤務していたからだろう。
 その後自分の会社を持ったが、僕の大学生姿を見ることなく、万博の数年後に死んでしまった。
 
 その小さな時計店は住宅街のはずれにあり店主は太い黒縁の眼鏡をかけていた。日中はいつも店のショーケースの裏におり、細かな修理や調整をしているようだった。
 僕が古い掛時計を差し出して「これ調整お願いします。」というと、時計をちらりと見て
 「これは古いものだねー、もう部品はないから油をさして治らなかったら、知らんぞー。」
 店主がそういうと同時に奥の間から女性が現れ「あなたお客さんにそんな言葉づかいだめでしょ、ごめんね、僕。」クリムゾンレッドの手編みと思われるセーターにグレーのスカートを履いたその女性はハッと息をのむくらい色白で美しかった。

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