見出し画像

ゴーギャンの妻(11)[小説]

 実は僕はこの空耳のような言葉に小さいときから何度か『命を救われるほどの体験』をしていた。
 
 1度目は小4のときで、集団登校で横断歩道を青信号の点滅で焦って渡ろうとしたときだ。いきなり右手からバイクがかなりの速度で進入してきた。
 
 (ママ・・パパ・・・)
 
という声で僕は立ちすくんだ。バイクは右から来てその左ハンドルに僕をひっかけたものだから、僕はちょっと宙を舞うように押し倒され、ハの字に立ててあった工事中の看板の上に横たわるように着地したせいで怪我一つなかった。バイクは転倒し、運転者は頭を打ち重傷だった。
 
 2度目は小6で、みんなは進学塾に行っていて遊び相手がおらず、自転車で誰か塾に行かないタイプの子を探して、ふらふら自転車を住宅街の道路の横断歩道を、ジグザグ運転で横切ったときだった。
 
 (ママ・・・パパ・・・)
 
というやや大きな声がして驚き、自転車から飛び降りたのだ。
 次の瞬間黒いタクシーが突っ込んできて自転車は、ぐにゃぐにゃに曲がって壊れた。僕は足をタイヤで押されでU字溝に落ち、かすり傷ですんだ。後でタクシー会社の社長さんが、運転者を連れて家に詫びに来たが、あきらかに悪いのは僕のほうだったので、祖母がペコペコしていた。横断歩道上の事故は100%運転者の責任だと社長さんは言っていた。
 
 僕は郊外から都内の中高への越境入学だったので近所に友達がいなかった。部屋にあった本に飽きてしまうと何もすることがない。僕は弘継のことを思った。僕は知らないとはいえ、彼の骨を踏んずけて物置小屋の前で遊んでいたことになるからだ。
 
 母と会ったからだろうか?それから数か月経った7月のある午後、ふと小さい頃の自分を思い出そうという気分になって、物置小屋に入ってみた。普通の家なら写真がたくさんあるからアルバムを見れば良いのだが、我が家にはそんなものがない。物置にもほとんど何も物はなかった。亡くなった祖父はスコップのことをエンピと呼んでいて、どうも職人言葉だったようだ。そのエンピがぶら下げてあった。

>続く

ゴーギャンの妻(1)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(2)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(3)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(4)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(5)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(6)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(7)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(8)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(9)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(10)[小説] へ戻る
ゴーギャンの妻(12)[小説] へ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?