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元帰国子女の言語バランスとアイデンティティ言語

とっても興味深いnote記事を読みました。Kübra Gümüşay氏による書籍"Sprache und Sein"の第二章を題材に、note記事の著者であるTellerさんが様々な言語とご自身の関係について執筆されたエッセイです。

日常的に複数の言語を使われている方は「自分はどうだろう」と考えられたのではないでしょうか。私自身も自分の言語状況を振り返り、そうして思ったのが、私は元帰国子女なので、そもそも母語である日本語との関係性が、同じ母語でも日本でずっと育った方の関係性とは大きく異なるだろうな、外国語との関係性も違うな、ということでした。

以前私の子供の頃の海外での学習状況についてnoteを書きました。

色々とコメントを頂いて強く感じたのが、母語が確立した状態で外国語を学んだ人にとって、私のようにそうでない人(母語が揺らいだ経験がある人)が直面してきた課題は、意外と見えにくいのかもしれない、ということです。ということで、この記事では冒頭のnoteに触発されて、私の揺らぎに揺らいだ言語との関係、特に母語である日本語と、第一外国語であるフランス語との関係、時間を経てそれぞれの言語がどのような位置に収まっていったのかを振り返りたいと思います。


生活言語としてのフランス語

帰国子女の最大の特徴は、自分の意思とは関係なく幼少期に海外暮らしをすることになったことですが、これはつまり、多くの場合予備知識や準備期間が不足している状態で全く違う環境(言語含む)に放り込まれること、でもあります。私自身も、小3の冬にフランス語環境に放り込まれた時、話せる言語は日本語だけ、フランス語もフランス語環境の生活習慣も一切わからない状態でした。

よく語学学習をすることで「新しい世界が開ける」と言いますが、これは母語や自分の居場所・アイデンティティが確立した状態で語学を学んだからこそ言える言葉です。長らく私にはそういう感覚がありませんでした。何故なら私が小3で放り込まれた先には、世界は既に存在しており、周りはそこに当然のように住んで当然のようにその言語を話す人たちであり、自分がやったことは「当たり前のようにできる人たちに必死で追いつくこと」だったからです。

1つ1つ扉をあけて新しい世界を開くとか、その先にあることを想像してワクワクするとか、そういう感覚は一切ありませんでした。逆に、外国語を一定レベルまで学んでから来た方が直面する「あんなに勉強したのに通用しない」という感覚もありませんでした。

私はある日突然それまで暮らしていた陸地から、ボートもなしに広大な海に放り込まれ、溺れないように必死に手足をバタつかせながら、どうしたら沈まずに済むのか、前に進めるのか、試行錯誤で体得するしかなかったのでした。親は代わりに泳いでくれるわけではありません。浮き輪ぐらいはくれたと思いますが、それは航海には全く不十分でした。それまで陸地であった日本語の世界は、既に水平線の彼方で、苦しいからと気軽に休みに戻れるような場所ではありません。とにかく目の前の環境に適応する以外の選択肢はありませんでした。同時に、フランス語が少しできるようになったところで達成感も全くありませんでした。「できて当たり前」であり、その頃には他の人たちは更に先へ先へと進んでいて、私は永遠に彼/彼女らの影を追っていたからです。

外部環境が圧倒的にフランス語に偏る中で、必死にフランス語を吸収。当初は自己表現など夢のまた夢で、とにかく生活を成り立たせるための言語です。それでも子供の吸収力はすごいもので、年月とともにフランス語が上達。するとどうなったかというと、言語的にはとても流動的な状況に陥っていました。

日本語のほうがまだまだ得意だけれども、少し高度な内容や作文になると日本語では表現できない。時事問題や各教科など、新しい知識は圧倒的にフランス語で学ぶ内容の方が多かったのに対し、そういう内容は日本語では習っていない(あるいは不足している)し、練習もしていないからです。家庭内は日本語でしたし、補習校にも通いましたが、家で親と話す話題の範囲などたかが知れていますし、補習校を足してもフランス語に費やす時間に比べたらわずかな時間です。けれどもフランス語も上達したとはいえ、思っていることを過不足なく表現できるレベルには到達していない。つまり、テーマによって使う/使える言語が異なるけれど、フランス語でも日本語でも完全にしっくりくるわけではない。その度に使いやすい言語を使ったり、混ぜたりする。あるいはどちらの言語でも語学力がキャップとなって、思考を言語化できない。そういう状況でした。当時書いていた日記も当初は日本語のみで書いていたものが、次第にフランス語が混在するようになっていますが、表現力は年齢からするとどちらの言語でも低めです。

アイデンティティ言語としての日本語

しばらく流動的な状況が続きましたが、人種差別を受けたことで転機を迎えました。

必死にしがみついていたフランス語を話す人々から明示的に「おまえは仲間じゃない」と示されたことで、私はフランス語は自分にとっては生活に必要な言語だけれども自分の言語ではないんだ、ということを強く認識し、フランス語への気持ちがポッキリと折れてしまいました。フランス語でわかってもらいたい、という欲求は消え失せ、代わりに自分のアイデンティティを形成する言語として、日本語を再発見しました。元々日本語優位ではありましたが、母語がアイデンティティに結びついたのはこの時からです。そして近い将来日本に帰ることを前提に、日本で通用する日本語力を備えるんだ、と強く意識するようになり、自らの意思で日本語の勉強にのめり込んでいきました。

日本語の勉強で中心になったのは読書でした。読書を通じて登場人物と自分を重ねることで疑似的に日本語での生活を追体験し、日本語世界における価値観、思考体系、規範などをインプットしていきました。

ところで、今はYouTubeやNetflixなど映像や音声も充実しているのでそういうこともないでしょうが、インターネットのなかった当時文字主体で言語を学ぶとどうなるかというと、発音(イントネーション)や読み仮名を知らない単語が多く、イントネーションや読み方がおかしい、発話が話し言葉ではなく書き言葉風になる、という状況に陥ります。また、自分の世界にない関係性、例えば先輩と後輩とか、お店の店員さんとか、担任でない先生など目上の人、クラスで人気だったりリーダー格だけど友達じゃないクラスメイト、あるいはちょっと気になる人など、そういう関係性の人との会話の際にふさわしい表現のストックや敬語の使い分けというのが、本で読んだので概念としては知っていましたが、使いこなせるレベルにはありませんでした。日本で育った方は自覚せずとも成長の過程でそういう言語を身に付けていきますが、現地では限られた狭いコミュニティでしか日本語で話したことがなかったからです。ちなみに両親はこの問題にあまり自覚的でなかったと思います。両親との会話は問題なくこなしていたからです。

再インストール言語としての日本語

そういう状態で約5年間の海外生活を終えて中3で日本の中学校に編入した際どうなったかというと、書き言葉はさほど問題ありませんでしたが、話す日本語がとても固く、物言いがキツイ、あるいは失礼だ、と言われることがよくありました。それはよく言われるような「海外育ちで自己主張するのが当たり前の環境から来たから」という話とはまた別に、書き言葉ベースで日本語を覚えてきたので、クッション言葉が少ない(書き言葉には話し言葉ほどクッションが必要ない)、普通話し言葉では使わない熟語や慣用句を多用する、説明的、みたいなことも影響していたと思います。また、前述のとおり限定的な関係性の日本語しか使って来なかったので、場面や相手との関係性に応じた適切な距離感の表現を選ぶことが出来ませんでした。TPOに応じて様々な表現を使い分ける日本語の会話では割と致命的です。

また、日本で育った人が普通は言わないことを言って「ほんとに言う人初めて見た」と言われたりもしました。「キュン」とか「ぎゃふん」とか。漫画の登場人物は言っていた(あるいは背景に書いてあった)ので、オノマトペや効果音は口に出して言うものだと思っていたのです。

人から言われることを理解していたかというと、授業の内容や先生からの指示は概ね理解していました。けれども、言語の社会的な側面が欠落していたので、クラスメイトとの日常会話ではついていけないことが度々ありました。例えばTV番組とか流行とかの話題自体についていけないというのは勿論ありましたが、それ以外にも、その言葉がどういうコンテクストの元に発せられているのか、どういう含意があるのか、こういう場合はどういう風に反応するのがスタンダードなのか、そういうコミュニケーションのコードみたいなものがわからなかった。日本語はこれも相手との関係性に応じて変わります。

結果的に、意図せず人を傷つけてしまったり、コミュニケーションがこじれたりすることもよくありました。今でこそ何故問題が起こったのか理解できますが、当初は理由がわからず、手探り。よくステレオタイプであるような外国語混じりで話す帰国子女であれば問題に気付きやすかったのかもしれませんが、私は固くても日本語自体は一見スムーズに話していたし、理解力自体はあったので、親や先生を含めて周りの人も性格やカルチャーギャップの問題だと思っていたのです。性格やカルチャーギャップは勿論ありましたが、それだけでもなかったのでした。

問題は日本語そのものかもしれないと気付いたあと、人の反応を見ながら自分の日本語を直す必要性に迫られました。それはアジャストというよりはデバッグ・再インストールに近い感覚で、とにかく抜けている約5年間の日本語の隙間を埋め、チグハグな言語状況を直すために、発音やコロケーション、場面ごとの適切なフレーズや温度感などを猛スピードで学習し、全てのフランス語的な感覚を日本語的な感覚に置き換え、自分の中の言語感覚を再構築していきました。なので私にとって日本語は母語でありアイデンティティ言語ではありますが、意識して短期間で集中的に詰め込んだ、非常に客観的な関係の言語でもあります。

フランス語との邂逅

ところで、日本語に課題がある、というのは、アイデンティティが日本人の私にとっては非常に辛いものでした。必死に日本語を勉強して、今度こそマジョリティとして日本に溶け込むつもりで帰ってきたのに、私は帰国しても異物で、その理由の1つが言語でした(言語だけではないですが)。

そんなとき支えになってくれたのは、皮肉にもあんなに嫌だと思っていたフランス語でした。なんで日本語がうまく出来ないんだろう、と悩んで、でもフランス語が大変だったんだから仕方がないじゃないか、と正当化することで初めて自分の出来なさを許すことができたのです。言い換えれば、帰国後の私は自己防衛のために「フランス語圏の帰国子女」というアイデンティティを構築せざるを得なかったのでした。他に趣味など自信を持てるものが1つもなかったし、帰国してからはむしろ「帰国子女なのに英語できないの」と言われて英語が出来ないコンプレックスも抱えることになったので、普通の日本人よりはフランス語が出来るという事実は私にわずかばかりの自己肯定感をもたらしてくれました。それでも自分のフランス語は現地では平均的かそれ以下だということは骨身に染みてよくわかっていたので、前向きに自信を持てるようなものでもなく、私とフランス語の関係はとても捻じれていました。

フランス語の再発見と再逃亡

語学を勉強することで広がる世界や、その楽しさというのは、日本で教わりました。

帰国後フランス語からは離れていましたが、大学受験の際外国語を専門とする大学に受かり、そこのフランス語専攻に進学することになりました。実は第一志望は違う専攻・大学でしたが、実力が追い付かず。めぐり合わせでフランス語世界にまたどっぷりと浸かることになったのです。
 
進学した私が出会ったのは、全国から「フランス語がやりたい」という高い志を持ってやってきた同級生、そして先輩方でした。彼/彼女たちは、フランス語圏の文化が好きだとか、ファッションに関わりたいとか、将来国連に行きたいとか、あるいは単にフランス語が好きだとか面白そうだからやってみたいとか、色々な志や「好き」のかけらを持っていました。
 
驚きました。私にとってフランス語は生きるためのツールでしかなく、フランス語圏の文化や言語そのものが好きだとか楽しいという感覚が全くなかったからです。先に書いた通り、フランス語にまつわるあらゆるものは、私が好きだとか好きでないとかいう感情に関係なく、そこに厳然として存在するものでした。前向きな気持ちで語学を始め、語学を勉強することの可能性を信じ、頑張る日本の同級生や先生たちのレンズを通じてフランス語やフランス語圏の魅力を再発見していきました。

とはいえ、捻くれた私がすぐにフランス語を改めて受容できたかというと、そう単純な話でもありませんでした。

既習者なので私は上級生のクラスに混ざったのですが、3年次や4年次の先輩方の中には、大学から始めたにも関わらず、5年間現地で勉強してきた私より圧倒的にフランス語が上手い先輩が山ほどいました。加えて、私のフランス語は3年次や4年次の課題をこなすには不十分でした。これはショックというか、自分がそれまで拠って立ってきた場所を叩き壊されるような出来事でした。今から振り返れば、私のフランス語は中学生のレベルで止まっており、更に帰国後忘れもしているので、大学の課題をフランス語でこなせるようなレベルではなかった、という至極シンプルな話です。しかし当時は「私の苦労した5年間は何だったんだ?」と強烈なショックを受けました。あんなに苦労したのに、そうまでして得たものは全部無駄だった、と。「フランス語圏の帰国子女」というアイデンティティが崩壊していきました。

打ちのめされつつも単位がかかっているので、とにかく勉強しないといけない。そしてここでまた壁にぶち当たりました。

この時には私はもう日本語が確立しており、完全に日本語で思考していましたが、同時に過去に構築したフランス語の思考回路も、捨てたつもりでしたが奥底に残っていたのでした。後天的に学んだ言語は最初は母語からの翻訳で考え、その後実力があがるのと同時に徐々にその言語での思考に切り替わっていく、つまり頭の中で両言語が緩やかに繋がっているのに対し、私はそもそもフランス語はフランス語で学び考えていたので、日本語とフランス語を自由に行き来する回廊がありません。ただし、フランス語の思考回路は中学レベルで止まっていました。

大学レベルの課題を中学レベルの語彙と構成力では扱えない。しかし日仏を繋ぐ回廊がないので、大学レベルの日本語の思考を大学レベルのフランス語に翻訳するという作業がスムーズにいかず、途中で中学生の頃のフランス語で考える私に引きずられ、思考が中断する。あるいは訳し訳し書いてみても、中学生の頃の私が「ひどいフランス語」といっちょ前に文句を言う。代わりにどう書けばいいかはわからないのに。これは後天的に学習した英語にはなかった現象で、頭の中に大学生で日本語話者の自分と、中学生でフランス語話者の自分という異なる人間が二人いるような、分裂した感覚で、フランス語の課題を前に途方に暮れました。

この分裂した感覚を上手く処理することができず、まじめにフランス語に向き合うことからは逃げました。なんとか卒業はしたものの、フランス語という意味ではお世辞にも模範的な生徒であったとは言えません。あの頃お世話になった先生方やクラスメイトのおかげでフランス語圏そのものに対するアレルギーはなくなったものの、これは私の言語ではない、という気持ちはかえって強化。こうして私は卒業と同時に人生二度目のフランス語からの撤退を果たし、今度こそ今後金輪際二度とフランス語には触れない、旅行程度で充分、と固く心に誓ったのでした。

ビジネス言語としてのフランス語

決意通りフランス語には全く関係のないキャリアに進んだ私ですが、本当に人生のめぐり合わせというのは不思議なもので、仕事で数年経った時、フランス語を使わざるを得ない状況になりました。しかし、結果的にはこの経験がじわりじわりと私の硬直したフランス語嫌いを癒やしてくれることになります。

ビジネスで限定的な範囲で使うフランス語は、それまでとは全く違った言語体験でした。元々フランスに関係する仕事ではなく、英語が共通言語だったので、相手にもフランス語への期待はありません。そういう中でたまたまフランス語が多少出来ることは、純粋にプラスのアセットとして受け止めてもらえました。少しフランス語を使うことで物事がスムーズに運んだり、相手方が尊重してくれる。相手が喜んでくれる。「できて当たり前」の土俵ではなく、「外国人が話すフランス語」という土俵で下駄を履いて評価してもらえる。これはとても新鮮な体験でした。

とはいえフランス語のビジネス用語は知らなかったので、重要だったりミスが出来ないものはプロに頼みつつ、必要に迫られてキャッチアップをしました。また打ちのめされることを覚悟していましたが、意外や意外、学部時代のように分裂した感覚に陥いることはありませんでした。フランス語が相手にとってもデフォルトでないからこそ、フランス語が出てこなければ英語で通すことに何の気後れすることもない。ビジネス英語からビジネスフランス語に訳して考えるので、ビジネス用語については英語とフランス語の回廊が構築できる。これは私自身のキャリアがフランス語に関係がなく、フランス語で食べる仕事ではなかったからこそで、フランス語が当然視される仕事ではこうはいかなかったと思いますが、だからこそ救いになりました。

この経験を通じて、私はフランス語との関係を、自分のアイデンティティと密接に絡み合った関係から、ビジネスライクな関係へと精算・移行することができたように思います。そして振り返ってみれば、これは私が帰国子女という過去を受容するプロセスの最終章でもありました。

今の私にとってフランス語は、自分の実力に過度に執着することもなく、必要に迫られれば使う、そういう言語にようやく落ち着きました。フランス語のニュースや論文を読むことに抵抗はありませんし、フランス語「で」仕事をしろと言われればまたキャッチアップをする気はある、けれども趣味の本をフランス語で好んで読もうとは思わないし、フランス語「の」仕事をしろと言われれば絶対に出来ないし、する気もない。そういう関係性です。

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おわりに

長くなってしまいました。言語と私、という観点では私を構成する重要な要素として他に英語、スペイン語、中国語、更にはドイツ語という存在があるのですが、この記事の主題である元帰国子女の言語バランスとアイデンティティ言語という主題からは少し離れるので、この記事はここで終了にしたいと思います。

言語が揺らぐ経験は、自分の足元の土台が揺らぐようなものですが、自分が渦中にいる時にはなかなか言語化できないものでもあります。それでいて、経験したことのない人には悩みは理解してもらいづらい。私も子供はすぐに伸びるからとか、フランス語も日本語も出来て羨ましいとか、何度言われたでしょうか。少なくとも私にとってはそんなに楽観的なものではありませんでした。

言うまでもなく、帰国子女の言語バランスは年齢や滞在歴、環境や言語数に応じて多様ですが、この記事が「こういうことがあるんだなあ」と知るきっかけになれば嬉しいなと思っています。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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