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Von-fire has ignited.

どうも、はじめまして、久しぶりの方はご無沙汰しております。この度福岡県を拠点にVon-fireという音楽プロジェクトを始めました、Mitzkiです。

Mitzki個人の自己紹介などはまたの機会として、ひとまずVon-fireが始まったということに関してひとつ今のうちにお話して、それを最初の挨拶としたいと思いこの文章を書いております。

・Von-fireって何?

まずVon-fireという名前は、焚き火を意味する英単語“Bonfire”と希望を意味するアイスランド後“Von”を掛け合わせた造語です。Sigur Rosをはじめとしたアイスランド音楽(彼らにはそのまんまVonというタイトルのアルバムもありますね)がお好きな人にはクスッとしてもらえるかもしれないですね笑

後付けというか、最近他者から指摘されてそれ素敵だなぁと思ったのが「演奏者もそうだし、音楽以外でも手伝う人が現れたり、リスナーやライブ見に来る人とかいろんな人が薪焼べていって、火が大きくなっていくみたいで良いですね」というもので、それがこのバンド名がついた必然のように思えて面白いです。

音楽性としては90年代のオルタナ世代からの影響を、それを7弦ギター・5弦ベースによるローチューニングに落とし込むことを基盤としたロックです。多弦楽器を用いてはいますがメタルではなくヘヴィなロックという感覚です(こうした作り手側しか気にしていない意識、音楽やる側の人なら理解してくれるでしょう笑)

(ファーストシングル“Invisible Strength”)

曲によって、時にハードコア、時にアコースティック、時にブラックミュージック、時に長尺のプログレと何でもやっておりますが、しっかり歌モノとして両立させることを重視しております。このバンド名ならある程度どんな音楽が鳴っても成立するようなスケール感と普遍性があるかと思います。

そしてVon-fireはバンド形式の、実質Mitzkiのソロプロジェクトです。Nine Inch Nailsをイメージしてもらえればわかりやすいかと笑。実質トレントレズナーのソロプロジェクトなんだけど、詳しくない人からするとNine Inch Nailsっていうバンドだと思われてる、みたいな。

(Nine Inch Nails)

なのでボーカルであり作詞作曲アレンジを基本全てこなすコンポーザーである自分だけが常駐メンバーであり、それ以外のメンバーはライブやレコーディング毎に入れ替わるスタイルを取っております。

例えばレコーディングで言うと、とある1曲のバッキングギター1本から…といった具合に様々な方にご参加いただき、現時点までに総勢10人以上の方がVon-fireのレコーディングに関わってくださっています。

(現在REC途中の新曲2曲で名ギターソロを披露してくれている個性派ギタリストNoriakiくん
早く彼のギターが録音された曲も世の中に放ちたい…乞うご期待!!)

この形式に至ったのは様々な理由があるのですが、それもまた後々にゆっくり話していくとしましょう。結果としてこの形式がうまくハマり、2022年1月にメンバー探しを開始したにも関わらず、この6月までにレコーディングが5曲完了、3曲が半分近く完成、初ライブ完遂(初ライブにしてワンマン、12曲演奏)することができました。

正直自分でもすごいスピードで進んでこれたことに驚いています。しかし、これが実現できた理由は割と明確に説明することができます。以下、長々となりますがそれでも端折りつつ記します。

・関西で一度もライブすることなく頓挫したVon-fire

自分Mitzkiは元々関西在住で、29歳になった昨年の4月時点まで関西から離れたことのない人生でした。そしてVon-fireも元々関西にて、長年の構想の末3年ほどかけてメンバーを集めようやく2020年の頭に始動した、人生2つ目のオリジナルバンドでした。

しかし、3月にはご存知の通りコロナウイルス蔓延、ライブハウスの自粛となり、最初に決まっていたライブが中止。始動したタイミングこそ重要にも関わらず、こうしてメンバーの士気は下がり、バンド活動に固執していたのは自分だけで温度差が生まれていき、空中分解に終わりました。

その過程で、来週に出演が決まっている大阪城野外音楽堂というメジャーミュージシャン御用達の大会場で行われる“ウルウェス”への出演も決まっていましたが、こちらも21年4月開催予定が開催直前になって22年6月に延期という流れでした。

自分は高校生の頃にうつ病になり、それ以降13年間も再発と向き合う人生で、オリジナルバンド活動で夢を追うということが心の拠り所でしたが、スタートラインにすら立つことができない20代でもありました。コロナが始まった時点で28歳で「夢を追う・それに繋げていく活動としてはVon-fireがラストチャンス」という気持ちがありました。

22歳の時に組んでいたVon-fireの前身にあたるオリジナルバンドが解散して以降、先述のうつが理由でバンド結成に動けど動けど空回りする月日。ようやく始められたVon-fireもこの結末を迎え、自分がバンド活動をすること自体が罪かのように呪われている気分でした。

バンド活動だけでなく、他にもコロナ禍による様々な弊害が重なり、ついに自分の人生も終わりかと考えました。13年もうつと向き合い続けて、死のうと思う度自分に言い聞かせてきた「人生に見出せる希望」というのも全て試し尽くした、そして結局何も見つからなかった、という絶望の果ての絶望。

しかしそんなタイミングで自分におとずれた出会いが、昨年5月より現在も自分が暮らす場所である、福岡県田川市の廃校利活用施設“いいかねPalette”でした。

・Von-fireの再構築が半年で実現した理由〜自分を再生させてくれたいいかねPaletteという存在〜

いいかねPalette 

本格レコーディングできる環境も整ったミュージシャンにとって夢のようなこの場所は、そうした利便性以上に豊かな心を取り戻せる自由で温かい空間です。

田川市という辺境の田舎だからこそ、鬱屈した世の中と切り離されたような穏やかな空気に満ちています。そこに集まる人は、自然と感度が高く自由かつ豊かな発想の人ばかりです。

ここの過程は詳しく書かなければ意味がないと思うので今後じっくり掘り下げるとして、今回は手短にまとめます。
・いいかねPaletteとの出会い
・ここで暮らすことを決めた自分の決断の過程
・暮らし始めてからの日々で再生されていった自分の感受性
・全ての痛々しい過去を肯定できるようになった
・その先にあらためて純粋な気持ちで自分が一番やりたいと思ったこと、はやはり「音楽活動がしたい」「音楽活動といってもVon-fireが一番やりたい」だったこと

この過程を辿ったことで、自分1人でもVon-fireを立ち上げ直そうという強い衝動が生まれました。その時点で2022年が始まっていて、6月に出演が決まっているウルウェスまで半年しかありませんでした。

しかし自分にはこの大舞台でライブするにあたってやれることをやっていこうという気概(メンバー集め・レコーディング・ライブ)、それは無茶かもしれないが十分実現できるという心持ちがありました。それだけいいかねPaletteで培った精神は自分を強靭にしてくれていたのです。

そうした堂々とした心構えで、協力してくれるミュージシャンを探していくと、関西時代と打って変わって素晴らしいミュージシャンが集っていきました。今ライブ演奏の協力をしてくださっているメンバーは、一番長い付き合いでも去年10月に知り合ったばかり、一番短い付き合いでつい2ヶ月前に知り合ったばかりという人たちです。

いいかねPaletteの専属音楽エンジニアとして二人三脚でレコーディング活動してくれた聖夜くん
レコーディング・ライブ共名演を重ねてくれた若手ドラムコンビ・カートくん&コウキくん

それにも関わらず、強い心意気で確かな結果を伴うアシストをしてくださっています。目先の利益でなく(ご存知の通り自分は何のネームバリューもありません、参加するメリットは見出しにくいと思われます)、自分という人間やそこから生まれているVon-fireという活動の面白味を感じてサポートしてくださっています。皆さんそれぞれミュージシャンとしてのスキルはプロと言って方達ばかりにも関わらず。

もちろん彼らがそうした素晴らしい人間性ゆえの結果であることが前提ではありますが、そうした結果を導けたのは自分がいいかねPaletteの生活を通して積み上がったメンタリティが、そのような結果や出会いを呼び寄せるヴァイヴを生んでいるからだと思うのです。

・初ライブ完遂

過去の自分からは信じられないほど豊かな仲間が次から次へ増えていきました、縁が縁を運んでいき、自分が本来在るべき場所に来れたのだという実感が強まっていきました。

冷静に見れば無謀でしかなかった、たった半年でメンバーを集めること、8曲にも及ぶレコーディングをすること、5月にはワンマンで初ライブをすること。結果的に妥協せざるを得ない箇所もありましたが、それでも設けた無茶なハードルの7割ほどが実現できました。

回り出した運気は渦を大きくして、縁が次なる縁を、結果が次なる結果を呼んでいくという過程を肌で体験した怒涛の半年間でした。

2022/5/21 ライブリハーサルの様子

ただこれを美談にしたいとは思っていません、無茶をしたから成立した結果であり、その無茶をした自分、そして付き合わせてしまったメンバーの苦労に対してどれほどの価値があるかと言われれば、喜んでばかりいられる話でもないと考えています。

そもそもVon-fireはそうした夢のために何かを犠牲にすべき、という世の中の在り方と逆の象徴でありたいので(その辺りのこともまた整理がてら別途記したいと考えています)。

2022/5/21 Von-fire“Chapter0 -Ignition by Sound of Resurrection”
1st Gig at いいかねPalette フライヤー

しかしそうした苦労も含め、先日5/21、この自分を変えてくれた場所いいかねPaletteにて初ライブを完遂することができました。最初にレコーディングを開始した2/26をVon-fireの活動開始と捉えたとしても実質3ヶ月の準備で初ライブ、しかもワンマンで12曲…本当に今考えれば無謀な設定でした。

しかし何の迷いもなく企画し進めていきました、ここでこうした形で最初のライブを行うことが自分にとって一点の曇りもなくやるべきことだったからです。メンバーの皆さんには苦労をかけてしまいましたが、演奏の内容も含め自分はこの上ないVon-fireの初陣が飾れたと自負しています。

8年も(一番バンドの夢を追うことができたであろう20代の間ずっと)できなかったオリジナル曲でのライブ、一番最古で9年前の曲、ライブで一度も演奏したことなかった曲で言うと5年越しの曲たちを、ついにライブで演奏することができたという事実は、自分がうつに苦しむ夜が来るたびに自らに言い聞かせてきた「この曲たちを人前で演奏するまでは死ねない」という夢を叶えた瞬間でもありました。

そして後年このバンドの歴史を振り返ることになった時、いいかねPaletteで最初のライブをしたという事実がとても大切でした。単純に見ても初ライブの会場が廃校の体育館だったというバンドはVon-fire以外に早々いないでしょう笑。

・人生初の音源配信開始。

これらは昨年関西を離れる前に完成していた音源ですが、ファーストシングルとして“Invisible Strength/My Symphony of Woe”をサブスク配信リリースしました。デモを作ってから5年、ドラム・バッキングギター・ボーカルに関しては3年前に録音を済ませていたテイクです。

サブスク配信先一覧

やっと世の中に放つことができて、こうして正式な媒体で聴ける状態にしたことで、これまで関わった人たちにも自分の本気を知ってもらうことができ、沢山嬉しいリアクションをいただきました。自分が諦めず信じてきた自分の良さは間違ってなかったのだと報われた瞬間でした。

また、2月末から1ヶ月のうちにいいかねPaletteでのレコーディングを行い既に5曲完成しており、そのうち4曲を今後発売予定の先述の配信ファーストシングルのCD盤(ライブ会場限定枚数販売)に収録します。お買い逃しなく。

・2回目のライブの舞台は大阪城野外音楽堂、30歳から始まるバンド活動の意義

そしてこの勢いのまま、人生最大の大舞台である大阪城野外音楽堂でのライブへ向かいます。Von-fire2回目のライブ、そして個人的にもいいかねPaletteでの生活を経ての関西初帰還ライブとなります。

名も無いインディバンドという印象を塗り替えるパフォーマンスをお見せします。入場無料ですので、6/11お時間のある方はVon-fireの歴史を今後振り返った際に特に重要となるであろうこの瞬間を見逃さないことをおすすめします(3番手、15:15~)。

ウルウェスホームページ

よく音楽で食べていくことを夢に掲げると、世間的に「30にもなって定職につかないヤツは何やらせてもダメ」というような風潮があります。自分もその基準に呑まれて焦っていた人生ですが、結局こうして30歳になってから本格的な音楽活動を始めるに至りました。

今そのことがすごく誇らしいし、案外面白いことなんじゃないかと思うんです。Von-fireで、音楽活動だけで食べていくというつもりはそもそも関西時代から持っているわけではないですが、それでも自分の面白いと思うことを最大限広げていくという意味では然程ニュアンスは変わらないかもしれません。

30歳から始まる本気の音楽活動があったって良いじゃないか。Von-fireが誰かにとってそう感じてもらえるような存在になっていけたらと思っています。そうなれる自信は結構あります笑、だって自分のやろうとしてることほどユニークな人そう見かけないので。

というわけでVon-fireはついに点火しました。まだ見ぬ貴方が薪を焚べに来てくれるその日を楽しみにしています。

・P.S.

既に初ライブを終え、最初のシングルの配信も始まり、1週間もしないうちに大阪城野外音楽堂で2つ目のライブがあるというのにも関わらず、ここまでどれも前もってのロクな告知もしてきてませんし(今はそこからの広がりに特に期待してないというのが正直なところです苦笑)

こうして文章記すのもTwitter更新するのもアーカイブ記録としてのニュアンスですので、ひたすらマイペースに更新したい時だけしていきます。気分が向いたら今後ともまた読んでやってください。以後Von-fireをよろしくお願いします(軽く書くつもりがなんだかんだ6千文字超えになっちゃうのが相変わらず自分だなぁという気持ち〜)。