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私はなぜものを "書いて" いるのか?


皆さんお疲れ様です。

本日は少し気温が低いですが、非常に良い天気ですね〜。
朝一に散歩をしたらとても清らかな気持ちになりました!

そして、今仕事のお昼休憩中に記事を書いています!

noteを毎日投稿し始めてもう1ヶ月以上が経過しますが、そもそも自分は何に突き動かされてこの "書く" という行為を継続できているのか?

本日はそんな秘密に迫っていきたいと思っています。

今日34日目ですね。

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ただし一つ重要なのが、これはあくまでも僕個人の主観的な表現を多用している記事になります。道端の雑草を眺める気持ちで、ふーんくらいに思ってもらうのが良い塩梅かと思いますw


それでは書いていきます。

■ 自分の心を解きほぐすため


まず一つの理由としては、自分の思っていることに言葉という客観性を与えることで心を自由にするというものがあります。

感受性が豊かな人は特に当てはまると思いますが、自分の中で渦巻いている感情が比較対象を失い肥大化したり、絶対的なものとして見做されてしまうという事象が発生します。

昨日もその現象にかこつけて好きなアーティストを紹介しましたw


そうすると、落ち込んで辛くなったり、結果活力を失ってしまうことがあります。


今まではあまり気づいてきませんでしたが、働くようになってから自覚するようになりました(自覚できないというのも我々の特徴ではあります)

なぜなら、仕事というものは基本的に客観的な正解を出していくものであり、それに長けた上司や先輩方は働く中で僕がいかに感情のジェットコースターに揺られているのかに気づくことが出来るからです。

それに付き合って頂き、わざわざFBを頂いた御恩は一生忘れないでしょう。


…話がそれましたね笑
こういう寄り道しがちなのもまた我々の特徴であります。


さて、言葉によって感情に客観性を与えることで、それを自分で意識的にコントロール出来る様になります。

そして、静岡の田舎から出てきて仙台を経て東京に来るまで、いろんな人と出会い素直に吸収してきた他人の感情と、自分の感受性が解きほぐされていくと、まるで呪いが溶けていくように自由になることができます。

これが、書くことの理由の1つ目です。


■ 世界をちょっとだけ豊かにする


もう1つの理由としては、客観性を持った文章が世界の誰かの心を自由にする可能性を秘めている面白さがあるということです。

これについては文字だけではなく、もっと違う形・違う場所でもみなさんにお届けして行きたいなと思っています。


■ 遺言


普段のPdMの仕事でも、このnoteにおける執筆にも共通して言えることではありますが、花を正しい土壌に植えていけるような人間でありたいです。

学び・書き・創り続けていく日々をこれからも送っていこうと思います。

それでは仕事に戻りますw
今週も本日で終わりですね!皆様良い週末をお過ごしください。

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