めためた久しぶりの投稿(^-^; 昔から興味あったタロット占い ネットもない時代の田舎で、どうやって手にしたのか覚えていないけど購入したものの。。死神やら怖いイメージで避けてました タロットカードには色んな種類があって 代表的なのは『ウエイト版』です 3年前に怖くないタロットカードという触れ込みのカードデッキを購入 使い方がイマイチ分からず再び挫折(笑) で、ネット見てたらこんなの発見! 無料なのになかなか充実しています 依存を生まず、自分で自分の運命のハンドルを
元々アルコールには強い方だった 飲みすぎての失敗も多くて学習能力なかったなぁと我ながら思います 濁り酒を調子に乗って飲みすぎてベロンベロンになり帰れなくなったり 家族と喧嘩したりとトンデモナイナー 幸い?他人に絡んだりとかはなく、むしろ盛り上げ役だったので結構お呼ばれすることも多く更に調子に乗っていったのだ そんな私だから毎晩アルコールを飲んでいたのだけど 現在は週末だけに留めている 理由は、自分の内面と向き合っていくうちに、アルコールを飲まない日が必要だなーと思ったの
また、今日は亡くなった母のことを思い出した 母が亡くなる年の1月のこと 成人式を迎えるために帰省していた長男が帰ってきて早々熱が出てしまったのだ。 幸い長男は熱も下がり式には出れたのだが、その時に心配した母からの着信とその時出られなかったため留守番電話に残ったメッセージがある 「○○ちゃんはどうね?よくなった?他の兄弟は大丈夫?」 その録音メッセージは今もつらくて滅多に聞けないが残してある 今だに切なく込み上げる想いがある 故人の肉声 あの時はまさか数ヶ月後に急にこ
我が家には2匹の猫がいる 1匹はもう10年近く前になるだろうか 通勤途中に小学校の横を通った日のことだ その日は雨で子供が横断歩道前にいたので通してあげようと思い停車した 子供は野良猫と遊んでいたのか、猫と離れて歩道を渡り切ったので発進したその時 何となく子供たちの声が聞こえてその方向へ目をやったところ 子猫が子供の後を追っていったのだろう 私の車に衝突してしまったらしいが何とか子供の後を追って反対側にたどり着いていた 衝撃があったかは覚えていない数メートル前進していた
眠い 満月じゃなくても眠い 寝よう
高齢者や家族と関わる仕事をしていると、様々なケースと向き合うことになる ご夫婦で暮らして、子供達は遠方にいたり パートナーに先立たれたり、パートナーが施設に入られてて1人暮しの方とか 施設に入り身の回りの支援貰いながら日々を過ごしている方 それぞれ問題を抱えていたり、身体的な問題はあるが家族や介護サービスの協力を貰いながら過ごしているケースが多いかな その中でも問題を複雑にしているケース それはもともとあった家族との葛藤ではないかと思う 家族に対してもっとこうして欲し
暖かい日が続いている 小春日和という感じかな 子供の頃、この頃はどんな遊びしてたかな〜 菜の花畑で蝶々を追いかけ回したり 花の香りを思いっきり吸い込んでいたかな 今みたいにYouTubeやスマホなんてない世界 テレビだってそんなに番組もなかったし放送局だって限られてた だから目の前の現実世界が全て遊び場だったし 思い切り想像力を働かせて遊んでいたに違いない 空き地で遊んだり、草ぼうぼうのところで秘密基地ごっこや かくれんぼ、鬼ごっこなど退屈していた記憶はない 一日中
自分をよりよく知るには自分が関心を持っている人を考えてみてもいい 例えば誰が好き?どんな人が気になるか? 身近な人だけでなく、芸能人や著名人から考えてみよう 沢山の人の名前をあげていくと共通点が見えて来ないだろうか 冷静で理論的な人 クールで洗練された身のこなしをする人 物おじせず誰とでも話す人 社交性に富み、場の中心にいる人 そういう人達の中に、既に自分と同じ要素があるのだ 反対に、その人を見ているとイライラしたりザワザワする人はどうだろう? かつてはそういう人が
今日も守られてた。ありがとうございます♪
当たり前だけど私たちは過去や未来を生きているのではなく今、この瞬間に生きている どれだけ今を楽しむか、今に集中するか何だろうなと思う 以前は亡霊の様な過去の出来事に囚われているような感じだったり、 その時の『今』への不満から未来にばかり目がいってしまい、ますますその時の『今』への不満が満載の現実をみるハメになっていた 目の前の今を楽しめる様になると気持ちも穏やかになったし、何より今がこんなに穏やかで楽しいのなら未来もきっと楽しいだろうなと気楽に思える様になった もちろん
自分の意識が変わっていくと、それまで取り巻いていた問題たちが消えていった 憧れている誰かになろうとしていた時よりも、そのままの自分でいいんだと思えた時自分を縛り付けていた鎖が消えていった様に 足していくんじゃなくて、削っていくとか玉ねぎの皮を一枚一枚剥いでいくような感じ 人は赤ちゃんの時が一番自己肯定感が高いと言われている。 赤ちゃんは周りにいる大人がいないと生きていけないから、成長する過程で周りの大人達の価値観が刷り込まれていくのだ 人からの無意識の強制 これは決して
今日はグループでのシェア会があった 自分の事について発表できることはとてもいい 他の人のシェアしてくれた言葉に励まされたり、自分も同じように思っていることとかある。 オンラインだけど、同じ時間を共有しているとエネルギーの相乗効果が大きいなぁと思う。 その場にいる自分が何となく不思議な感じがあるが、この何十億という人の中で出会うってめちゃくちゃ奇跡だ。。 住んでいるところも、仕事も性別も、年齢も全く違う人達。 だけど同じような価値観だったり、目標だったり、沢山の偶然が重な
数年前は暗黒時代だった私(自分の中の設定w) その体験を楽しんでたらしい それは本当の自分に出会うため 自由を求めてた すごく窮屈で、生きづらさを感じてたけど それはあっさり覆り むしろ生きていることが喜びとなった 心が先に自由になったら現実の自由も後からついてきた 遠くを探して、自分じゃない誰かになろうとしてた。 だけど、あるがままの自分に戻ることで全てが変わっていく。 なんとも苦笑いだ 幸せの青い鳥ってまさにこの状態なんだろうなぁ
結局のところ、自分自身と向き合った頃から何となく変わってきたように思う。 それまでは自分と向き合うことが必要なことは薄々分かっていたけど避けていたから 最初に取り組んだのが、ちょっと辛くて思い起こすことがなかなかできなかった時のことだった 時系列にただただその出来事を綴っていき、当時の自分の感情や思ったことについても記入した 時々苦しくなったり、再び怒りが沸々と湧いてきたりするので数日に分けて取り組んだ この作業はとても地味だったけど、ずいぶん気持ちが軽くなったことを
少しずつ、やってくる春 ふと風景を見ると確実に春の草木が芽吹き色づいてる そうこうしてると2月も終わり3月かぁ 昨年子供が独り立ちしてもう1年近くにもなる まだ昨年の今頃は一緒に生活してたんだなぁとちょっとセンチメンタル 寂しくも思うけど、楽しく頑張っているらしい あっさり成長している子供に対して 私たちは成長できたかな?
前回の続きはまた次回(まだある笑) 仕事がバタバタしてしまうと、心のゆとりが足りなくなる ようやくひと段落ついて自分に戻る瞬間 ああ、よくやったな 短い時間によく対応できたな と、ただただ自分を労ってみる 他の誰から直接褒められなくてもいい ただ自分が自分を認めてあげればいい よくやったね自分!! また明日