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サッカー ロナウドのマンU電撃復帰の真相 恩師の覚悟

さて、本日のテーマについてです。
一昨日の放送で、プロ野球やメジャーリーグのトレードや育成契約について触れましたが、本日はヨーロッパサッカーの今シーズンの移籍についてです。

今年の夏は、移籍市場が活発でありインパクトを残した年でした。

なかでも、今日はクリスティアーノロナウド選手のマンチェスターユナイテッドの復帰について掘り下げたいと思います。

ロナウド選手といえば、メッシ選手と並んで、世界トップクラスの選手といえます。
2004年にマンチェスターユナイテッドに入団して、世界トッププレイヤーに上り詰めます。そこから、レアル・マドリード、ユベントスに渡りましたが、今シーズン去就が注目され、実はライバルクラブであるマンチェスター・シティへの移籍目前のところまでいきました。

しかし直前で、マンチェスターユナイテッドへの復帰を決め、入団が確定。
驚きとともに、レジェンドがチームに帰ってきたと、チームやサポーターに、喜ばれ、歓迎されました。

今日は、このロナウド選手の復帰の裏話、そして移籍の立役者である恩師ファーガソン監督のリーダーシップから色々考えていきたいと思います。

このnoteはVoicyの過去の放送の一部を文字に起こしたものです。

ロナウド選手の経歴、ユナイテッド復帰がサプライズな理由

さて、クリスティアーノロナウド選手の移籍の真相を話す前に、まずはロナウド選手のこれまでの経歴について簡単に触れます。

1985年2月生まれの36歳でポルトガル代表。ポジションは攻撃的なウイングやセンターフォワード。

ポルトガルのスポルティングCPでのユースチームの活躍が認められ、トップチームに昇格、プロのキャリアをスタートします。
世界トップへのステップのきっかけは、2003年8月にマンチェスターユナイテッドとの親善試合から。ここでの活躍は、コーチや選手の目にとまり、当時の監督であるサー・アレックスファーガソン氏に進言。

8月10日に当時の10代での最高金額でマンチェスターユナイテッドに移籍を果たしました。

2009年まで在籍して、期間中に、リーグ優勝3回、チャンピオンズリーグ優勝にも貢献、個人でもリーグ得点王、欧州最優秀選手であるバロンドールも獲得しました。
メッシと並んでヨーロッパナンバー1選手に上り詰めました。

2009年夏には、当時の移籍金額 最高額でスペインリーグ最高のメガクラブ、レアル・マドリードに移籍。2018年まで在籍し、チャンピオンズリーグ3連覇を含み4回優勝、リーグ制覇2回など、チームの中心、象徴として活躍。

ロナウドと言ったら、レアル・マドリード時代を思い浮かぶリスナーの方も多いのではないでしょうか。

そして、2018年今度は、イタリア セリエAの名門、ユベントスに移籍。
得点王に輝くなどチームの中心選手として活躍、リーグ優勝に貢献していきましたが、昨シーズンは優勝を逃してしまったシーズンでした。

ロナウド選手自身は得点王を獲得するなど貢献をしましたが、30代後半に差し掛かっており、チームに変化を起こさないといけないという流れもあり、今シーズは去就が注目されていました。


そんな流れもあり、移籍市場でも中心選手としてロナウド選手は話題に上がっていました。
ただ、大方の予想は、ライバルチームである、マンチェスター・シティのようでした。ただ、結果として、マンチェスターユナイテッドを選びました。

ここからは、Number Webの記事を中心に引用します。

リオネル・メッシに続いて、クリスティアーノ・ロナウドまでもが新天地を求めた。大物の動きが相次ぐ今夏の欧州移籍市場においても、その衝撃度は最大級だ。
ロナウドの行き先は、契約直前まで迫っていたとされるマンチェスター・シティではなく、古巣のマンチェスター・ユナイテッド。
涙ながらにバルセロナを去ったメッシとは異なり、ロナウドは自身が真のワールドクラスになった場所へ、12年ぶりに帰還することになる。

この記事にあるように、シティへの契約直前まで迫っていましたが、最終的にはユナイテッドに変えています。

このきっかけは、クラブを欧州トップクラスまで引き上げた史上最高の監督とも言える、アレックスファーガソン氏。

2013年までマンチェスター・ユナイテッドを率いて、現在は退いていますが、師と仰ぐ選手、OBは多くいまして、ライバルのシティにだけは取られてはいけないということで動きます。

数年前からCR7をオールド・トラフォードに連れ戻したいと考えていたサー・アレックスは、これを最高の機会と捉えると、ロナウド本人や代理人のジョルジ・メンデス、フロントの責任者エド・ウッドウォードに直接電話をして、全員を説得。いずれも、ファーガソン元監督には大いに世話になった人々だ。

以上となります。

では、具体的にどのようなやりとりがあったのでしょうか?
次のチャプターでさらに、掘り下げていきたいと思います。

恩師ファーガソンの決意と覚悟か? ライバルチームへの移籍危機からの大逆転劇!

さて、前のチャプターでは、ロナウド選手の経歴とマンチェスターユナイトテッドへの復帰がサプライズであったことに触れました。
ここからは、なぜ、移籍が実現したのか、その真相について掘り下げていきます。

ここからは、YouTubeチャンネル プレミアリーグトークショーの
【移籍の裏話】サー・アレックス最後の大仕事!? クリスティアーノ・ロナウド、マンチェスターユナイテッド電撃復活劇 を中心に抜粋していきます。

まず、2018年イタリア セリエAのユベントスとの契約当初は双方良好な関係で、ユベントスでキャリアを終えるのではとも予想されました。
当初は、ユベントスはリーグ7連覇をしており、ヨーロッパ王者になるという更なる高みを目指していたからです。
ロナウド選手も加入後、中心選手として活躍し記録を9連覇まで伸ばしました。

しかし、欧州チャンピオンズリーグでは結果につながらない、そして昨シーズンはリーグ戦の優勝も逃してしまい4位に沈みます。
この結果もあり、さらに30代も後半に差し掛かっている、活躍しても自分の序列が徐々に下がってきているということから、移籍を考えるようになっていました。

1)まず水面下で、世界トップに上り詰めるきっかけになったマンチェスターユナイテッドに打診をします。
しかし、獲得を優先していたのは、攻撃的なポジションで若きイングランド代表であるサンチョ選手、以前から補強ポイントであった足の速いDFであるヴァラン選手ということで、断られました。

2)そんな中での8月10日。フランスのメガクラブ パリサンジェルマンに激震が走ります。
もう1人の世界ナンバーワン選手バルセロナのメッシ選手がパリ・サンジェルマンに入団。

3)ということもあり、ロナウド選手もこのままユベントスに止まってはいけない、と危機感を覚え、代理人であるメンデス氏に移籍を直訴しました。

しかし、交渉成立要件は年棒39億円、移籍金は37億円であり資金を投入するクラブは、限られています。

4)まず、ユベントスの前に所属していた、スペインのレアル・マドリードに打診します。
しかし、レアルは若手でナンバー1であるムバッペ選手をターゲットにしていたこともあり交渉は決裂。

5)その次にパリ・サンジェルマンに打診するも、メッシがいるので、興味なしと断られます。

6)その後、再度マンチェスターユナイテッドに打診するも、引き続き断られます。

7)最後に、パリと並ぶ資金力が豊富なマンチェスターシティに獲得の打診を行います。そう、マンチェスターユナイテッドのライバルチームですね。

ここからは、マンチェスターシティをシティ、マンチェスターユナイテッドと、ユナイテッドと省略させていただきます。

本題に入る前に、シティとユナイテッドのライバル関係についてちょっと触れます。

まず、ユナイテッドは、ファーガソン氏が監督在任時が、ピークであり、90年代、2000年代は黄金期を迎えていました。ロナウド選手も2006〜2009年までの三連覇に貢献しています。しかし、ファーガソン氏が73歳の年齢を迎えたこともあり、2013年に退任をしますが、そこからチームは低迷。

その間に台頭してきたのが、シティであり、直近5年で3度優勝と、最強チームを作り上げました。

少しずつ戦力を整えていったユナイテッドは昨シーズンは2位、今シーズンこそはと優勝を目標に設定しています。

以上が、両チームの立ち位置で、ここからはシティの補強戦略について触れます。

まず、シティの最優先事項は、ヨーロッパナンバー1クラブになるためには点が取れるストライカーを求めており、ロナウド選手とも一致するのですが、ターゲットにしていたのはイングランド代表のエース ハリー・ケイン。

ということで、最初は断られたようです。
しかし、8月20日になっても獲得が難しいということがわかってきたこともあり、シティ側もロナウド選手獲得に切り替え、8月23日に代理人であるメンデス氏にアプローチ。

そこからは、とんとん拍子で、シティの監督であるグラルディオラ監督ーロナウド選手との電話会談、翌日の8月24日にはシティの幹部と会談をして、個人合意まで漕ぎ着けます。

しかし、ここで待ったをかけたのは、ユナイテッドのファーガソン氏。

実は恩師であるファーガソン氏もロナウド選手と親密な関係を結んでいたことから、以前からロナウドのことを気にかけていた、いつかはユナイテッドに戻ってくれると信じていたようです。このタイミングは絶対逃してはいけないと思ったようでした。

なぜかというと、ライバルチームにクラブのレジェンドとも言えるロナウド選手が移籍するのが許せなかったから。

自分がプレミアリーグトップの強豪にまで育てたチームであるのに関わらず、この移籍が実現すると、「選手、ファン、他クラブ、他チーム全員に舐められる」という危機感もありました。

そして、ファーガソン氏は、8月26日に動き始めます。
・まず、オーナーのグレイザー氏にも連絡を取り、レジェンド復帰のチャンスである、ここからユナイテッドは復活できると思う旨も伝え、獲得に向けての合意を得ます。

・さらには現在の監督であるスールシャール監督にも意見を聞き、賛成を得ます。

こちらはNumber Webの引用です。

現役時代の晩年の2003-04から2006-07シーズンまで、共に赤いシャツを着てロナウドとプレーした現監督は、かつての同僚でクラブ史上最高のスターのひとりが同じ街の宿敵シティへ移りそうだとする報道を見聞きすると、それは絶対に防がなければならないと考えたという。

そんな動きを指を咥えて傍観すれば、選手やファンの目にはどう映るだろう。

また下部組織出身者をはじめ、多くの若者がひしめく現チームには、ロナウドのようなスーパープロフェッショナルなロールモデルが必要だと思えた。

経営層や監督の意思を確認できたのでファーガソン氏は更に動きます。
ロナウドの代理人である、メンデス氏に接触。うちも興味を持っているので待ってくれと相談をして、移籍金額や個人の合意が得られたらという条件で止めてもらいます。

そこから、ファーガソン氏はロナウドに電話をかけて、「君にはユナイテッドのカラーである赤が似合う、赤い悪魔だろ?」と呼び掛けます。

さらには、クラブOBや、選手たちも、ロナウド選手に直接電話をかけました。

OBであるファーディナンド氏は、「一体、何が起こっているんだ? 嘘に決まっているよな?」と呼び掛けます。
さらに畳み掛けて
「もし君がシティに行けば、これまでに築いた大切な人々との関係が壊れてしまいかねない。そして逆にユナイテッドに戻って来れば、君を待つ多くの人々に大歓迎される。」

また、ポルトガル代表でもチームメイトである、ブルーノフェルナンデス選手も一緒にプレーしたいと呼び掛けます。

また、ロナウド在籍時にチームメイトであり、今はダービーカウンティの監督であるルーニー氏も会見で、「ロナウドはシティに行かないよ」と触れました。

このように、恩師や友人からの説得もあり、ロナウド選手の気持ちもユナイテッドに傾いていきました。

また、営業も動きます。
実は、今年の夏のユナイテッドの補強は、8月前半時点で予定通りのサンチョ選手、バラン選手を獲得できたので終了していました。

しかし、クラブのレジエンドロナウド選手が戻るかもしれないということで、そこから各スポンサーに「ロナウド選手が戻る」のでスポンサー資金を捻出して欲しいと、営業をかけて、移籍金37億円、年俸39億円をたったの1日で捻出しました。

このように、恩師、OB、監督、選手、フロント、営業がまとまり、短期間で目標に向かって動いたことが、結果として、ロナウド選手の心を動かし、ユナイテッド復帰が決まったと言えます。

ファーガソン氏が動き出した26日からたったの1日で条件をまとめ27日には移籍が確定というのは純粋にすごいです。

さて、この短期集中で大逆転で戦況を変えるこの出来事、仕事や日常生活に活かせるTipsはあるのではないでしょうか?
次のチャプターで考えていきたいと思います。

リーダーに求められる心構え「有事はフォローミー、平時はアフターユー」とは?

さてここからは、Tpsについてです。
今回まとめてみて、ロナウド選手のユナイテッド復帰が叶った成果の大きな要因は、”恩師ファーガソン氏の思いと決断と覚悟、スピード感”に尽きるのかなと思いました。

まず前提として、ファーガソン氏ですが2013年には監督を退き、第一線から退いてはいます。
今もユナイテッドのオーナーたちとの良好な関係を築いて、アドバイザー的な立ち位置にいることもありますが、基本現場には介入していません。

それは、現場に介入したりすると、若い監督、選手が萎縮してしまう、やりたいことがやれないということを分かっているからと言えます。

退任後、チームは時に10位付近をうろついて低迷したり、優勝できないシーズンが続いてフラストレーションや、やるせなさは感じていたと思いますが、チーム運営は任せていました。

ただ、今回はレジェンドと言えるロナウド選手が、ライバルであるシティに移るのを指を加えて見るのが我慢できなかったということで、獲得資金を使い切っている、さらに当初の獲得計画にないという状態でありながらも、「絶対に獲得すべきだ。」と迅速に決断をして動いて、今回の移籍実現に至ったということです。

これをまとめてみて思いだしたのは、Voicyパーソナリティである伊藤羊一さんがおっしゃっている
「有事はフォロミー、平時はアフターユー」という言葉でした。

この言葉について説明しますと、有事と平時におけるリーダーの振る舞い方、意識についての言葉です。

・有事とは、コントロールできないような危機や異常事態が発生した状態のことを指します。
・平時とは、危機的な事態が発生していない、安定的な状態のことを指し、
それぞれの状況では、心構えが違うということです。

まず、組織で動くというのは、内部統制が必要であることが優先されます。
この通常通りに業務や事業が推進できるのであれば、平時として捉えられ、メンバーの自主性を尊重するべきで伊藤羊一さんもエンパワーメント(つまり権限譲渡や能力開発)に努めるべと言っております。

ただ、今回のような異常事態、強いユナイテッドの象徴であり、レジェンドにもなりうるロナウド選手が、ライバルチームに取られてしまう、それを指を加えて見ているという構図は、
・赤い悪魔と呼ばれ相手チームから敬意を払われたユナイテッドのブランドが低下してしまう、
・このままでは、相手チームに舐められてしまうと危機感を感じて、素早い動きを見せたんだと思います。
まさに、このケースは有事と言えます。

そのリーダーに引っ張られる形で、各が動き、結果としてロナウド選手のユナイテッドの復帰が実現したんだろうなと思います。

ですので、この動きや心構えがTipsと言えるので今回のTipsはリーダーやマネジメント層向けの言葉ですが、
「有事はフォロミー、平時はアフターユー」としたいと思います。

補足すると、今回まとめてみて、任せて一任すること、何かあったら組織を守れるように、いつでも動ける状態にしておく、この心構えが大事なんだなと思いました。

このnoteはVoicyの過去の放送の一部を文字に起こしたものです。
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