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目標を見失った時の処方箋 GK権田修一選手を例に

さて、2021年度、新シーズンがスタートして、部署異動や新たな環境で挑戦がスタートしたり、引き続き同じ部署や環境ではあるが、上司や新メンバーの加入など何かと変化が多い月かと思います。

スポ深でも、スタートダッシュやコミュニケーションのヒントなど、2021年度良いスタートを切るためのヒントを先週、今週と取り上げてきました。

ただ、スタートダッシュということで突っ走ることも大事ではありますが、例えば、べき論に囚われすぎたり、なんのためにやってんだろうなど目標を見失うこともあるかもしれません。

そんな時のヒントとしてないかなと思った時に
元サッカー選手である那須大亮さんが運営しているYoutubeチャンネルで、権田修一選手がオーバートレーニング症候群、挫折からどのように立ち上がり方が取り上げられていました。

当チャンネルでも時々、心の問題や挫折との向き合い方を取り上げてきましたが、何かと変化の多いこの時期だからこそ、権田選手を取り上げることで、いろんなヒントがあるかもしれません。

このnoteはVoicyの過去の放送の一部を文字に起こしたものです。

権田修一選手の経歴とオーバートレーニング症候群について

まず、権田選手の経歴についてです。
1989年3月3日生まれの32歳。東京都出身。
ポジションはゴールキーパーで、FC東京のユース時代から代表でも活躍します。2012年のロンドンオリンピックでベスト4進出に貢献したということを覚えている方も多いのではないでしょうか。

また、2010年からも日本代表として招集されるようになりました。
ただし、当時の序列は
第1GKは川島選手、第2GKは西川選手、第3GKという位置付けで、招集されてもまず出場できないという立場だったようです。

このように振り返っていました。
こちらは、今回の、放送の元になった、元サッカー選手 那須大亮さんのYouTubeチャンネルで権田選手との対談回「半分本気で焼肉屋に雇ってもらおうとした。権田修一の知られざる紆余曲折のキャリア」から抜粋します。

まず、第3ゴールキーパーであったとき、自身についてこのように分析していました。
・第1ゴールキーパーである川島選手は海外リーグで活躍している
・第2ゴールキーパーである、西川選手はサンフレッチェ広島に在籍して2012年リーグ優勝に貢献、翌年は連覇と最小失点と実績を残している

では、自分はどうか?
FC東京で2011年はJ2に降格したシーズンで、昇格には貢献できてるけど、彼らに抜きん出るにはということで、チームを引っ張り勝てるチームにしないとということで、クラブで圧倒的な結果を出さないといけないと思ったようです。

このプロセスは真っ当だと思います。

ただ、きっかけがなんだったのか、2015年にオーバートレーニング症候群が発症します。

オーバートレーニング症候群とは、厚生労働省のサイトの抜粋にはなりますが、こんな風に定義されていました。

スポーツの実施などによって生じる生理的な疲労が、十分に回復しないまま積み重なって起こる慢性疲労状態のことを指します。スポーツトレーニングは、日常の身体活動のレベルより大きな負荷の運動をすることによってトレーニング効果が得られるという原則があります。これを過負荷の原則(オーバーロード・トレーニング)といいますが、大きな過負荷を続けると同時に、疲労回復に必要な栄養と休養が不十分であった場合には、かえって競技の成績やトレーニングの効果が低下してしまいます。このような状態をオーバートレーニング症候群といいます。

競技成績の低下だけでなく、疲れやすくなる・全身の倦怠感や睡眠障害・食欲不振・体重の減少・集中力の欠如・安静時の心拍数や血圧の上昇・運動後に安静時の血圧に戻る時間が遅くなるなどの症状がみられます。原因は肉体的・精神的ストレスにより、視床下部や脳下垂体から分泌されるホルモンのバランスが崩れるためと考えられ、重症になるほどトレーニングの減量・中止期間が延び、競技復帰が不可能になることもありますので早期に発見し対応することが必要です。

オーバートレーニング症候群を発症した、権田選手は当時をこのように振り返っていました。
当時のFC東京のチームメイトであるゴールキーパーは先輩にも恵まれている、サブの扱いでも、練習でも手を抜かないしアドバイスもしてくれる。
それは良い経験だった。

でもきっかけは練習をやり過ぎたというよりも、「燃え尽きてしまった」と振り返っていました。

クラブでの優勝などの成功をしたわけではない、自分で何をすれば良いか目標が分からなくなったと振り返っています。

2010年〜2014年に日本代表はザッケローニ体制で、前述した通り、川島選手、西川選手が立ちはだかっていました。

翌年の、2015年シーズン。1stシーズン、2ndシーズンという制度で、1stシーズンはリーグ戦2位ということで、手応えを感じます。
そんな中で、満を持して、ハリルホジッチ監督に日本代表に招集されます。
その時に、代表に4名GKに選出されました。

今度は手応えがあるからと意気込みますが、4人いる中で、3人はベンチ入りするのですが、権田選手はメンバー外になってしまいます。
その時に、試合を見ながら「自分はなんで頑張ってきたんだろう」という負の思考になってしまいます。
今まで、サッカーが大好きだったけど、その中で成功する義務みたいなものを自分に課してしまったと振り返っていました。

普段の練習していることも、意味のあることなのかと疑問に感じるようになり、集中して練習できなくなってしまいます。
そんなことで、サッカーをやってもしんどいなとなり、半年間、2015年シーズンの2ndシーズンは休暇を取ったようです。

このあと、どのように復帰をしたのでしょうか?

次のチャプターでは、オーバートレーニング症候群からの回復へのプロセスについて触れていきます。

オーバートレーニング症候群から立ち直ったきっかけは何か?

さて、前のチャプターでは、権田選手の経歴と日本代表歴、オーバートレーニング症候群に至ってしまうまでについて取り上げました。

このチャプターでは、どのように回復したのか、そのプロセスについて取り上げます。

さて、手応えを感じた2015年の1stシーズン、そこから反転してしまい、半年間試合に出場しないまま2015年シーズンを終えます。
2016年の頭も、練習しないといけない、試合に出場しないといけないと思いつつ、もやもやは続きます。

変わるきっかけは、本田圭佑選手。

本田選手ですが、当時はサッカー選手としてイタリアのACミランに在籍していましたが、サッカースクールや海外クラブチームのオーナーになるなどのビジネスマンとしても活躍していました。

その時、オーストリアリーグ3部の SVホルンのオーナーになっていて、権田選手に「力になってくれないか」と声をかけました。

権田選手も将来的には海外にプレイしたいと前から思っていたようです。
とにかくFC東京からも、環境を変えたいという思いもあり、レンタル移籍ということとで海外への挑戦を決断しました。

ホルンは当時3部だったということで、アマチュアリーグに近い位置付けでした。
レンタル移籍をしてからも紆余曲折みたいで、ウインターブレイク中のキャンプで合流後の、シーズン後半戦の2試合目に右足の脛を骨折します。

当時は、覚悟を持って、一から頑張ろうということだった矢先のアクシデントと言えます。
でもこれを好機と捉えて、ドイツ語を一から勉強しようと切り替えました。

この吹っ切れ方、本当に潔いですが、多分、1回気持ちをリセットできたんだと思います。

その後、2016年の終わりまで、プレイをしてチームは2部にも昇格しますが、レンタル移籍ということもあり、契約を更新するのか、それとも所属元のFC東京に戻るかの判断の時期に突入します。
この時、権田選手は「引き続き海外で挑戦をしたい」という希望を伝えて、FC東京にも納得、了解をいただきました。

こんな経緯で、海外チームを探しますが、チームは見つかりません。
権田選手は、無所属の状態が一時的にあっても良いとまで思ったのですが、家族を養わないといけない、ということで一時的に知り合いの焼肉屋で働くことも考えていたようでした。

ただ、最終的には、一旦国内のJリーグに戻り、サガン鳥栖に入団をします。
この経緯も、例えるなら、リセット、新しいスイッチ、目標ができたからだと放送を見て感じました。

きっかけは、サガン鳥栖の強化部長の熱心な誘いです。
「一回社長に会ってみてと」言われて、佐賀県の鳥栖市までの航空チケットも手配をしてもらいました。

その時は会うだけで、断ろうと考えていたのですが、社長から
「J1で優勝したいんだよね。でもやり方が分からないから力を貸して」って誘っていただいたことで、やる気に火が付きます。

当時のサガン鳥栖は、どちらかというと、リーグ下部が常連だったので想像がつかない、でもこの斜め上をいくオファーが、権田選手はすごい嬉しかったみたいで入団を決意しました。
そこから、2017年、2018年の2シーズン在籍して、最後のシーズンは残留争いに巻き込まれますが、フル出場、ファンが選ぶリーグMVPにも選出されました。

こんな感じで、波乱万丈ではありますが、オーバートレーニング症候群を克服したと言えます。

私の主観も入りますが、FC東京のユース時代からは一つの道を突き進みすぎたことで視野が限定的になってしまった、そこからの右居曲折でいろんな考え方がある、脇道もあるんだ、ということで視野が広がったから、新たな道に勧めたんだろうなと思いました。

ちょっとエキセントリックではありますが、この権田選手のキャリアパス、仕事に活かせるTipsはあるのではないでしょうか?
次のチャプターではTipsについて具体的に考えていきたいと思います。

立ち止まって考えることの重要性

さて、Tipsに入る前に、今回まとめてみて思ったことについて触れさせてください。

今回、いつも以上に、過去のいろんな回の話やTipsが頭に思い浮かんできました。

ちょっと例に挙げると
・2020年9月末の「不安との向き合い方 消えた天才マイケルジョンソンを例に」の回です。
この回は、周りからはエリートで天才と呼ばれていたマイケルジョンソン選手が、自分に対しての自己評価が低い、自尊心が持てず、サッカー選手を24歳で引退してしまう、最終的には、別の仕事について再起を果たせたという回でした。
そして、Tipsは努力は必ず報われるというわけではない、なのでいろんな壁にぶつかりながらも違うルートも探そうとしました。

他でも三浦和良選手が、挫折をしながらも何度も立ち上がる、しなやかさ、レジリエンスつまり堅牢ではない弾力性とか、
『陸上長距離 大迫傑 選手が、日本新記録を更新したとしても、マラソンに対しては、常に経緯や畏怖を感じているという姿勢が、安易に結論を出さずホールドし続ける力、ネガティブケイパビリティ』
という考えなどです。

ただ、この件と、今回の件で共通するなと私が感じたことは、”立ち止まって考えることの重要性”です。


ちょっとおさらいすると、権田選手はオーバートレーニング症候群を発生する前も、もちろん壁にぶつかることはあったと思いますが、ユースからFC東京でゴールキーパーとして第一線で活躍しています。

更に、日本代表で、第3ゴールキーパーの時に、出場できるために何をしないといけないかと、課題を感じて設定することは良いのですが、コントロールできないことまで期待してしまったんだと。
また、一直線に突っ走ってきたから、別方向に圧力がかかった時に、グシャッと行ってしまった、結果として無力感を覚えたんだろうなと、思いました。

これ、私の完全な主観です。

そこで休みを取ったことが転期となり、本田選手から思いも寄らない助け舟が出た、サガン鳥栖に移籍するときも、自分では想像できないようなオファー、頼りにしてくれてることが嬉しくて、もう一度競技に向き合おうという意欲が沸いたんだと思います。

ですので、今回のTipsは、”行き詰まったり疑問に思った時は立ち止まってみよう”にしたいと思います。

そして、立ち止まった後の手法は、様々あるということです。

例えば、本当にどうしようもない時は、「思い切って休む、携帯の電源を切る」とか雑念の入らない状態に持っていっても良いかもです。
他にも話すことが好きということであれば、壁打ちを誰かに頼んで、自分の頭を整理する。
なかなか、開示することが恥ずかしいということであれば、ノートや手帳とかに書き留めて、考えてみるなども良いと思います。

このように、休んでリセットボタンを押すアプローチは色々あるかもしれません。

また、当チャンネルの過去回でも、サードプレイスを見つけるとか、サードプレイスを見つけるとか、一日5分でマインドフルネスチャンネルのように、毎日5分だけ瞑想を習慣化して、自分の声に耳を傾けてみる機会を設けることも良いかもしれませんね。

このnoteはVoicyの過去の放送の一部を文字に起こしたものです。
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併せて以下のnoteもご確認ください

今回の放送で、例に出した過去の放送回のnoteはこちらです。


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