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福島第一原発爆発後(3月14日以降)の生活

避難

知り合いのいる群馬県へ避難しましたが、7人で避難したので、7人での長期滞在は、困難でした。

このため、3人は知り合いのいる長野県へ避難しました。

避難させて貰える環境があったのは、ありがたいです。

いつまで避難が続くか不安でしたが、戻るよりは良いと思い、避難を続けていました。

後日、避難した会社の方に避難先で何をしていたかを聞くと、避難先の方の仕事を手伝っていたとの事でした。
適応能力が高いとどこでも生きていけることを知りました。

会社

その時に勤めていた会社は、水が無いと稼働できない会社でしたので、断水が深刻で水が無いと会社が稼働できない状態でした。
会社は、上司からの連絡があり、復旧の目途が立たないので、出社しなくて良いとのことでした。

給料

1週間ほど会社に行ってませんでしたが、給料は頂けました。
特別休暇として5日貰えました。
会社によってかもしれませんが、サラリーマンは働かなくても給料が貰えることがあるので、震災時は強いです。

被災地への帰還

仕事があるため、被災地へ帰還しました。

小さい子供がいるため、母子は避難先へ置いて、私だけ戻りました。

ここから別居生活の始まりです。

被災地での生活

被災地では、徐々に物流が復帰していきました。
物流が整うまでは、支援物資に助けられていました。

目に見えない放射線量の心配があり、ツタヤで線量計がレンタルされていました。私も借りて測定すると、自宅の雨どいの落下地点にある草から高い線量が出ていました。

被ばくを防ぐために、傘をさして、対応している方もいました。知識が無いので、自分なりの対応を求められました。傘はズレていますが。。。

安定ヨウ素剤を配布され、何かあった時(大量の放射能漏れ)に飲んで下さいとの事でした。今思うと、かなりの異常状態の中で生活していたのだと思います。

安定ヨウ素剤

違和感に気づき、自分の大事にしていることを意識することは大事です。

この経験があったため、「会社に依存しないように生きていこう」という考えが形成されています。

一人で、どこでも生きていける強さを身につけ、共有していきます。

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