見出し画像

新しいはじまりの、はなし。❘ 最終話。



前回までのおはなしは、こちら

暮らしのリズム。

 テレワークの生活にも、少しずつ慣れてきた。また、おかげであっという間に、家の中も片付いた。今までの引っ越しで最速かも知れない。
 もともと、タイへ行くために、物を処分したり、片づけたりしていたから、新しい家に持ってきたものは最小限のものだけ。テレワークの合間に、ちょこちょこ片づけられたのは、ラッキーだった。やっぱり、身の回りが片付かないと、ふわふわして、落ち着かないものだ。粗大ごみシールを貼られた家具たちは、ご愛敬。もう少し、がんばって貰おう。

 同時に、暮らしのリズムも整ってきた。当然、前の家とは、動線が違うから、同じようにはならない。自分たちの、暮らしのリズムを、新しくここで、つくっていく作業。暮らしながらチューンナップしていく。


小さな体から、噴き出したもの。 

 そうして、私が少しずつ自分を取り戻しつつある一方で、息子の様子に、変化があった。彼は普段、おっとりしてて、マイペース。割とのんびり屋さんなキャラクターなのだけど、この頃、すごくイライラして口調が乱暴になったり、舌打ちしたり、怒り出したり。時には「お母さんのバカ!」と大きな声で泣き叫んだり、そんな姿が、見られるようになった。

 そりゃ、そうだ。大人の私だって、かなりしんどかった。小さな体に、たくさん溜め込んでたんだ、ずっと。無理はない。
タイには行けなくなり、なぜか、住み慣れた家も離れなければならなくなり、しかも、そこは、とても古くて寒くて、当然まわりには遊べる友達もいない。まして、今は思いっきり遊べるような状況ではない。急に、同じタイミングで、いろいろなものを失った気分だろう。

 4月15日の夜。お布団の中で「…ねぇ、お母さん」と、息子が、おもむろに話し出した。まるで、コップの水が溢れるように。その度に、大粒の涙がぽろりぽろりと、枕にすいこまれていく。


「なんで、僕たちは、ここに引っ越ししなきゃいけなかったの?」
「前の家がいい、みんなと離れたくなかった」
「ここは、ぼろいからあんまり好きじゃない」
「みんなと同じ学校がいい、同じ学校に行きたかった」
「原っぱで(家の前にあった大きな公園)遊びたい」
「タイには、いつ行くの?」
「タイから帰ってきたら、前の家に戻りたい」


私は、その言葉たちを聞いて、安心した。よかった。気づいたら一緒に泣いていた。自分の口から、自分の言葉で、外に発することは、とても難しいことだけれど、とても大事なことだ。彼は、それができた。

 子供の言葉は、とてもシンプルで、飾ったりしない。そのまんま、心のなかにあった、思いの結晶みたなのがコロンと出てきた。彼は、全部、吐き出した。私は隣で、ただそれを静かに聞いて、ただ受けとめた。それだけ。
心が軽くなったのか、彼は、その後に吸い込まれるように眠ってしまった。翌日から、けろりとして、普段の彼が戻ってきた。
 何かできることが、あればと思い、友達に相談して、LINEのビデオ通話で、会えなくなってしまった親友とつなぐことに。向うも、会いたがっていたようで、互いにとても喜んでいた。二人とも、いつもより1オクターブくらい声が高い。すごく楽しそうな声が、家中にずっと響いていた。



自分の心に「片を付ける」、ということ。

 いやだなと思ったこと、つらかったこと、本当はやりたくなかったこと。大人になるにつれ、どうもそういう感情を、溜め込んで蓋をしてしまいがちだ。子供の時は、「いやだったよ!」と、あの晩の息子みたいに直球で伝えられていたはずなのに、いろんなものが、それを邪魔する。


 いつもスマートで、きちんした人でいなきゃいけないから、
 期待を裏切って、がっかりさせてはいけないから、
 時には断ることが、めんどくさいから
 
 とかとか…


なんでだろう?全然大丈夫と、さらりと言いたくて、何となくそれが、大人の振る舞いのような気もしてた(それは本当に大丈夫なひとが、そう振る舞っていただけなのに)。

 そもそも、誰かに「つらいんです、もうがんばれないんです、私」と言うのは、弱音を吐くみたいで苦手だったし、そういう人にも、そういう自分にも嫌悪していたのは、昔からの気質だ。
 どこかで、なんとなくかっこ悪いと思ってた。甘えることは、よくないこと、だらしない人がすることだと、ずっと思っていた。

 だから、外に捨てないで、自分の中に捨てて、そして見ないふりをする。
例えは美しくないけど、使い終わったティッシュを、貰ったレシートを、スッと、自分の服のポケットの中に、とりあえず入れるように。

 その一つ一つは小さくても、それは、どんどんどんどん積み重なって、ミルフィーユみたいに層になっていく。それは決して甘くない、さしずめ黒いミルフィーユ。そのあとは、心のずっとずっと奥の方に、それをしまっておく。誰にも見えないように、なんなら自分も見えないように。いや、正確には、見て見ぬふりするために、なるべく奥に追いやる。

 いつもは、ずっとそうやってしまい込んで、どんどん自分で自分のことを苦しめていた。下手したら今回は、短期間で一気に積みかさなってしまったから、もっと身動きがとれなくなっていたかもしれない。

 でも、もう大丈夫だった。それは、自分で自分のことを置いてけぼりにせず、ちゃんと分かってあげられたから。いろんなことを手放したから。
 
 それができたのは、「あの時」の経験のおかげだとおもっている。
あの晩の息子のように、黒いものが一気に噴き出したことが、私にもあった。大人になってからのそれは、本当に質(たち)が悪い。正直もう、どうしていいか分からなくなって、顔が思い浮かんだ友達に、手当たり次第にLINEして、そしてぶちまけた。今思えば、本当に驚く。あんなに嫌悪していたことを、平気で自分がしている。しかも真夜中に。でも、もうどうしようもなかったのだ。そうするしか。自分だけで、その黒いもの抱えきれなくなってしまったから。

 友達は、ただ静かに聞いてくれた。それで少し冷静になって、そして、同時に、こんなことをしても、根本的な解決にはならないと気づいてしまった。友達も、分かっていたんだと思う。あとは自分がどうにかしないといけないんだよ、と。
 こうやって当事者ではない誰かや、もし、うまく怒りや悲しみの対象にぶつけられたとしても、心が一向に晴れないんだ。それをしても、一時的に楽になるだけで、決して解決しないことを知った。
 要は、自分で自分のことを、置き去りにしてきたから、そういう状況になったことに気づいた。伝えるべきは、ほかならぬ自分自身だった。
そして、それを自分がちゃんと受けとめてあげること、そこからすべてが浄化されて、ゼロにもどれる。
「あの時」があったから、いまこうして、自分を取り戻しつつある。「あの時」の、はなしは、また別の機会に書き記そうと思う。

 具体的に私の場合、自分を認めてあげる方法は、こうやって字に起こしたり、暮らしを少しずつ整えたり。そういった行為を通じて、自分を客観視する、こだわりや執着心、変わることへの恐怖心、過去をすべて手放して、流す。
 誰かや、何かにぶつけて発散した時、一時的に気持ちは晴れたような気がするけど、気がするだけで、モヤモヤも黒いミルフィーユも、決して消えない。
 痛いし、しんどいし、苦しいけど、逃げずに自分で自分の気持ちを掬い取って、片を付ける。それが本当の解決法、なんだ。


最後に。

 5月3日。せっかくのGWだというのに、相変わらず、大好きな旅行にもいけないし、帰省もできない。近くに住んでいる友達にすら会うことができない。できないけど、私の心は、凪いでいる。すっかりと。
1か月前のことが、まるで嘘だったみたいに。
 
 今回のことがあって、かれこれ1か月くらい、海の底で、もがいていたけれど、やっと水面に顔を出したところだ。息ができる、光も見える。幸せだと思う。私の心の中にこびりついていた、こだわりや執着心、新しいことを拒む恐怖心、過去という重石たちは、手放して、海の底に全部置いてきた。
 だから、もう大丈夫。これからは、思いっきり泳ぐだけ、だ。

 
 これはこの春、私にあった出来事。
かわいそうだったね、大変だったねと誰かに慰めて貰いたいわけではない。
それでは、決して満たされないこと、解決しないことを知っているから。
こうして書き綴ることで、私自身が過去に光をあて、すべてを手放した。
これは、私の新しいはじまりの証し。