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今までの自分とこれからの自分 3

母を見送ったことで、今までとはガラリと変化した暮らしと意識。
見えるものすべてが、感じるものすべてが大きく変わった。
今まで興味があったものが、色褪せて見えたり、逆に全く関心がなかったものに興味が湧いたり、自分でもよくこんなにも変われるものだと驚いたり呆れたり。

その一番顕著なものが占いだった。
占いが大好きで、特に占星術はもっとも相性がよく、より信頼できるものだった。
なのに、母が体調を崩したあたりから、まったく興味が持てなくなった。
理由は簡単。占いに書かれていることと、現実との間に、大きな乖離を感じたからだった。そして母を見送って、その思いはさらに大きくなった。
ある意味、苦しいなりに生きていれば、可能性はあるし、広がる。でも、死が目に前にあるひとと、それを看取る者に、明日や未来をどんなに語られても、説得力はない。
占いとは、今ここに生きていて、しかも明日や未来を想えるときに役にたつもの。自分の可能性を感じられるものなんだなと気がついた。

実はこの感覚、以前感じた感覚に似ていた。
そう、東日本大震災が起こったときだった。
我が家の窓から、富士山が眺められる。
その勇姿を毎日見ては、勇気や元気をもらい、励まされた。
北海道に生まれ育った私には、理解できなかった富士山の魅力とパワーを体感するうちに、富士山が大好きなった。さすが日本一の山だと強く思った。

それが、東日本大震災があった日から富士山を見るのが辛かった。
こんなにもこの国全体、特に東北の人たちが、苦しく辛く悲しい思いをしているのに、そんな事実など知らない、問題ないかのように(私個人の感じ方)富士山はいつもと同じように、美しい勇姿を表している。
その事実が、あまりに悲しすぎて、酷すぎて、苦しすぎて、どうしても受け入れられなかった。
ただ、母や父はいつも通りに眺めては、見える見えないと話していたので、この感覚は、もしかしたら私だけが感じたものなのかもしれない…

あれから10年以上が経って、気づけば当たり前に、毎朝、富士山を見ている。
やっぱり富士山は日本一の山
見れば気分が晴れるし、元気をもらえる。
あのときは、二度とこんな気持ちになれるとは思わなかった。
時間の経過が、傷ついた心を癒してくれたのだろう。

母を見送ってから、数ヶ月は色々な手続きや仕事に追われ、ゆっくり自分と向き合う時間がなかったけれど、ようやく時間に余裕ができた頃、自分の中で今までとは違う感覚や、心境の変化が起こっていた。

少し周囲に目を向けてみると、この数年の間に、周りがどんどん変化し進んでいるのに、自分はコロナ禍が起こる前のまま。
そんな風に思えて、どうしようもない焦燥感に囚われたこともその一つだった。

今までずっと体験と経験、学びをともにしてきた人たちとの間に生じた、空白の時間と空間。
2年という時間と空間が、そこだけすっぽり抜け落ちてしまったように感じられ、見渡せば今まで歩んできた世界が、そこでプツリと途絶えてしまったような…ポツンとひとり取り残された感覚があった。
その落差は歴然としてあり、今までいたはずの世界に自分はもう入っていくことはできないんだなと強く感じた。
それは、今まで何度か感じてきた、空っぽ感とは違う、容れ物さえない白い世界のように感じられ、何もない空間で迷子になった、そんな感じだった。

ただ、同時に、心のどこかで蠢いていたのは、これからは誰かの後をついていくのではなく、自分一人で新たな何かを起こし、今まで一緒に歩んできた人とは違う世界を作っていかなければいけないという思いだった。
それがどうのようなものなのか、漠然としていて、具体的にまったくわからなかったけれど、でもやっぱり、きっとそうなんだろうなという感覚だけは消えなかった。

それは、ずっと長い間やってきた、自分がその場でどんな役割を担っているのかを第一に優先して行動することや、今まで担ってきた「場」での牽引役的役割が終わったのだと実感した。
それ故、再びその役目を担おうという気にはなれず、すでに始まっているいくつか用意されたところへも、すぐに入っていく気持ちが湧かず、しばらく様子を見たいとの思いが強くなっていた。

そんなことを思っていたところ、間をおかず数人の友人と、久しぶりにリモートで話す機会があり、思い切って今の気持ちを話してみた。
ある友人からは、取り残された感覚があるかもしれないが、あなた自身もこの3年間、しっかりとあなたにしか体験できない時間を歩んできた。それを自覚してと言われ、さらに、もしかしたら3年という時間は、今まで築いてきたさまざまなものと切れる時間だったのかもしれないと指摘を受けた。
またある友人には、やはりひとりで立つということなのでは…今まで繋がっていた人と関係性や距離感が変化てきた証拠なのではないかと言われた。

なかでも、あなた自身もこの3年間、しっかりとあなたにしか体験できない時間を歩んできたという言葉が、ずしんと胸に響いた。。
そうか、周りだけが進み変化している、自分はここに取り残されていると感じていたけれど、私自身も以前の私とは違っているんだ。
自分が今まで経験したことのないことを経験し、体験したことのない時間を体験し、この数年間を生きてきたことは間違いない。
いつの間にか、周りにしか目を向けていなかったのだと気付かされた。

失ったものはとても大きかった。
けれど同時に、これからの自分にとって欠かせないものがなんであるかに、気づくことができた。
そしてそれは、現在取り組んでいる、ボイトレやピアノ、文章に関連しているような…
漠然とはしているけれど、なんとなく音や声、音楽を通して何かを表現すること、あるいは文章を書くことで、何かを伝える、表現すること、のような感じがしている。

もう誰かの後をついていく、歩くのではなく、同じ世界をともに歩むのではなく、横並びで歩く、独立したひとりの人間として立つ時期なのかもしれない。
そして今、そこに向かっての準備期間なのだと思う。

築き上げてきたものを大切にしつつ、その内容や関係性、距離感は、今でとは異なるものになっていくんだろうなぁ、そんな予感がしている。


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