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リハビリの夜

果たして障害者が、健常者と同じ生活ができるようになることが、障害者にとっていいことなのだろうか。
あまりにも当たり前の価値観の前に、健常者だけでなく、障害者自身もなんの疑問もなく、日々リハビリに励んでいることに対して、一石を投じたような一冊の本に出会った。

きっかけは、ダ・ヴィンチという、本の雑誌だった。
その本の表紙は、毎月有名人が、お気に入りの本、気になる本を一冊持って写っている。単行本だったり文庫本だったり、雑誌だったり、コミックだったりさまざまだ。

この雑誌は、毎月、役者、ミュージシャンなど有名人が、お気に入りの本を一冊持った姿で表紙を飾るのが恒例になっている。
役者で音楽家で文筆家である源さんも、何度となく表紙を飾ってきた。
彼は、数年前からダ・ヴィンチで、エッセイの連載を持っている。
数年前、逃げるは恥だが役に立つというドラマに出演、主題歌の「恋」が大ヒットとなり、それまでの生活が一変。
以前は毎月連載していたが、心身ともに極限を迎えた時期があったとき、もう少しゆるい形で続けたいとの意向から、現在は3ヶ月おきになっている。

昨年の秋の号の表紙で、彼が持っていたのが「リハビリの夜」という本だった。
後日、深夜ラジオで、この本がどのように、彼の心を捉えたのかを聞いたことから読んで見ることにした。

正直、想像していた本ではなかった。
どのようなものを想像していたかと問われれば、すぐに説明できないが、タイトルからして単純に、リハビリ(心身)の効果、効用を書いたものなのかなと思っていたが、そうではなかった。

障害者である著者が、幼少期より体験した(主に身体)リハビリと、それにまつわるさまざまな思いを書き綴ったもので、その内容は予想以上に胸に刺さるものだった。
それは、おそらく私自身も生まれつき足が悪い、障害者だったからかもしれない。エピソードの一つひとつが身につまされて、もしかしたら私も同じ体験をしていたかもしれないという、どこか客観的になれない感覚があった。

ただ、私に関して言えば、幼少期の数年間、寝ている時間以外は、矯正靴を履いて過ごした時期があっただけで、専門的なリハビリを受けてこなかった。
それは、必要なかったというよりは、北海道の田舎に住んでいたことが関係しているかもしれないし、そんなにまだリハビリに対しての意識が高くなかったかもしれない。何にしても、親元から離れ、施設に入所し、身体機能を維持、改善するためのリハビリを受けずにきた。

ここに書かれていたリハビリの体験は、ある一定の身体機能レベルを目標にしていて、それに基づく訓練であることは、容易に想像がつく。
それをしなければ、到底目標には届かないだろうし、身体は萎えてしまうだろう。
そういう点では、必要不可欠なものだということは、想像に難くない。
もし、第三者がリハビリの様子を垣間見たとしても、きっと彼の内面に起きていることまで気づけるひとはいないだろう。
よく頑張っているなと感心したり、リハビリを担当しているひとに対して、根気よく付き合っている、見守っているなと感じるだろう。

しかし、リハビリに取り組んでいる側としての、彼の内面の声を読み進むうちに、それが壮絶な闘いであることがわかったのと同時に、まるで自分ごとのようにつらく、苦しくなった。

自分の意思ではどうにもならない身体を、どううまく宥め、自分の思うように仕向けていくか。
動かないものを動かし、意思とは関係なく動く箇所を、いかにコントロールするかに精力を傾け、そして疲労困憊する。そんな日々が綴られていた。
しかも、それは第三者によってプログラミングされたメニューに沿って行われるもので、自分の意思が反映されているとは言い難い。
これがこういう障害を持っているあなたにとって、一番のリハビリなのだと半ば思いこまされ、取り組まされる。

どうすれば一般社会における、健常者と言われる人たちと、同様な生活が送れるか、あるいは近づけていくか。
社会全体に蔓延する、健常者の暮らしが標準、基準であるという価値観を、当たり前のように押し付けられ、それを無意識のうちに受け入れ、懸命に取り組んでいく。
だが、一見何の問題もないように思われることが、障害者が障害者のままでいることを否定していることだということに、誰も気がつかない。
障害者自身も…

心身に葛藤を抱えながら、リハビリを続けてきた筆者、ある時期から一人暮らしを始める。
それは生活全般、もっと言えば生きることを管理、保護される立場からの解放だった。
自分で自分の生活の仕方を考え、工夫しなければいけない。
大変なことは間違いないけれど、それは承知の上。
でも、そのおかげで、誰かのお仕着せでもなんでもない、自分が一番と思える方法を考え、実践していくことができる。
試行錯誤しながら、イメージしたものに近づいていく。
どんなに苦しくても、それができるということが、どれほど嬉しいことかは、本人にしかわからないかもしれない。
筆者は、そこから自立の道を歩み始め、大学へ進学。
医者として働いたのち、大学で教鞭を取っている。

もちろん、それを実現するためには、ざまざまなサポートが必要で、いろんな人のサポートを受けなければならない。
だからと言って、それをやめる必要はまったくないはずだ。
障害を持つとたくさんの制約を受ける、公共の場はもちろん、生活全般も、いろんなことを諦めなければいけない。
しかし、もっとも辛いのは、迷惑をかける存在であることを、ことあるごとに意識させられることだった。

よく、赤ちゃんが誕生したとき親が、他人に迷惑をかけない人間に育ってくれたらと言う。他人に迷惑をかけない。きっと多くの人たちは、自分の子供にそれを望んでいるはずだ。
もちろん、それに異論はない。しかし、同時にその言葉ほど、障害者を生きづらくすることか…。

私自身、生まれて物心つく頃から、他人に迷惑をかけないように気をつけなさい、と言われ、これをすると迷惑をかけるから諦めなさいと言われ育った。
究極は、いるだけで迷惑なのだからと母に言われたことだった。
母からすれば、それは自身の思いというよりは、自分たち家族を除いた、人たち、世間、一般社会を指しているのだろうが、初めにそれを聞いたときのショックは大きかった。
そうか、自分はそこにいるだけで迷惑なんだなぁ。
だからできるだけ迷惑をかけないように、大人しく、大勢の中に交わらず、ひっそりといる、気をつけていなければいけないのだと意識するようになった。
(それは、長い間、呪縛のように私の中で息づくことになる)

この本を読んで、私は、リハビリという、健常者と同じように生活できることを目指す代わりに、障害者としてできるだけ迷惑をかけないで生きること、たくさんの事物を諦めてきたことに気がついた。自分では、好きなことをやってきたつもりだったが、そうしたさまざまな体験を諦め、自立すること、生活すること、本当にしたいこと諸々を、諦めてきたことに気づいたのだった。 

運動会、学芸会、遠足、見学旅行、修学旅行も、小六のときの担任が、母同伴でもいいからと言ってくれたが、母が断って行かなかった。学級委員に選ばれたときも、担任の先生から責務を果たせないからと、却下された。
それは中学になってからも変わらず、体育祭、文化祭も不参加、部活は帰宅組だった。
ただ、それには別な理由もあって、中1のときにクラスでいじめに遭い、それから友人と関わる(特に男子)ことが怖くなったというのもあるが…

何かをしたいと思っても、身体を理由にやめなさい、無理だと言われ続け諦めてきた。
唯一、自分の意志を通したのは、14年前、カウンセラーの勉強をしたときだだった。
当然、反対されたが一年間という短い期間を理由に押し切って、通学した。
正直、不安ではあったが、ここでやり切らないと、この先も自分で何も決められないと、ある種の覚悟を持って、通学したことを覚えている。
幸い、一回も欠席することなく、さらに半年間延長し、ワークができるトレーニングを受けたが、それも無欠席で修了した。
このとき、生まれて初めて、今まで一度も経験したことがない達成感を味わうことができた。
今も、あのとき本当に諦めなくてよかったと思う。
そのあと、どうしても通信大学で勉強したいと思い、相談したときも、色々ぶつかりながら、短大ならいいと言われ、二年間通信短大に通い、スクーリングにも行った。朝から夕方までの授業は、正直体力的に大変だったが、それも無事クリア。卒業することができた。

今、書きながら気づいたことがある。
リハビリの夜を読んで、私はリハビリをする代わりに、多くのことを諦めてきた。それは紛れもない事実。
でも、カウンセラーの勉強をした時をきっかけに、いろんなことを諦めなくていいようになった。
障害者であることには変わりない。身体的理由で、できないことは確かにある。
でも、障害者だからという縛りが今、あるかと言われたら、それはないと答えられる。
自分がやりたいと思うことを、自分なりに考えてやっていく。
ボイトレもピアノもそう。
ボイトレはずっとしたかったことを、もう年齢的に無理かなと躊躇していたけれど、思い切ってやって見たらできた。
ピアノもペダルは押せないけれど、どうしても弾きたいと携帯ピアノで始めたら、電子ピアノに変わった。

迷惑をかけないようにするという意識には、健常者と同じことができない、誰かの助けを借りなければできないからという理由がそこにはある。
だから我慢する、諦めるがついてまわる。
でも、健常者と同じことができないから、できるようになろう、近づけるようにしよう発想は、ちょっと違うような気がする。
同じことができなくても、したいことはしたいし、行きたいところには行きたい。
それを諦める必要などない。

サポートして欲しければ、サポートして欲しいと言えばいい。
手伝って欲しいなら、手伝ってと言えばいい。
だって、自分でできることはやっているのだから。
できないことを手伝ってと言うのは、迷惑なことなのだろうか。
悪いことなのだろうか。
本当は、全ての人たちが、何かしら誰かに、みんなに迷惑をかけながら生活している。迷惑をかけ合いながら、お互い様で生きている。

リハビリの夜を読んで。
障害者も健常者も、その人個人としての生活や生き方を肯定できる社会になって欲しいと強く思った。
努力したい人はすればいい。そのままの自分でいたい人はそのままいればいい。
こういう枠にはまらなければいけない、脱落者であるという考え方は、どこか歪んでいる。
人は皆、身体をもち、心を持って生きている。
ひずみやゆがみ、不自然な生活や生き方から離れ、そのままの自分だと実感できたらどんなにいいだろう。
そんなことを思った。







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