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コミュ障だった僕の、人見知りの治し方

小学生の頃、知らない人と話すのがものすごく嫌でした。知らない人と言っても道端で話しかけられるとかそういうんじゃなく、たとえば母親の友達とか。

母親の友達が家に来るとリビングで話していたので、僕は部屋に籠ったまま絶対に出ませんでした。ただ一つ困ったのは、トイレ。

僕の部屋からトイレに行くにはリビングを仲介しないといけないんですけど、出たら出たらで「あーやっと出てきたーお話しよーよー」とか言われるのが目に見えてたんで、小走りで行って「漏れそう演技」をして話しかけられないようにしていました。

出来る限り話すシチュエーションは避ける。でも今はなんということでしょう。(ビフォーアフターのナレーション風)自分から進んで話しかけることもあるじゃないですか。

なんで話しかけられるようになったのか?それは、“演劇を始めたから”なんです。


高校生の頃養成所に通い始めたんですが、クラスの年齢層は同学年から30オーバーの人まで色々いました。講師は(多分)50代くらい。

人見知り爆発で「アッアッアッ」となっていましたが、話し合ったり一緒にお芝居をする上で「人見知りなんで話しかけられなくて‥」なんて言ってる場合じゃなかったんですよ。

お金を払ってこの場所に来ているのに、何もしないなんて勿体無いじゃないですか。話しかけられないと言う緊張(?)よりも、損をしたくない!という貧乏性が勝ち、半強制的に話すことに。

それと“下手な奴だと思われたくないプライド”、これも大きかったと思います。いや、貧乏性よりもこっちの方が大きかったかも。このプライドがあったからこそ、なめられたくない!と話しかけるようになり、結果論これが人見知りのリハビリになりました。

そして、どーせ勇気を持って話しかけるなら「感じが良い奴」だと思われたいじゃないですか。良い印象が残せなくても、なんかものにしたい。

良い人だと思われるため、相手の目を見て話したり、声をワントーン高くしたり、困っていそうなことがあれば進んで「僕でよければ手伝いましょうか?」と提案したり色々やりました。もちろん、失敗もありましたよ。

話しかければかけるだけいいと思っていたのですがそっとしておいてほしい人や、別に助けを求めていないからすると「え、そんなズカズカこないでよ」という感じで。言葉にしないまでも「あ、ヤベッ」と感じることが多々ありました。


よく思われたい!というプライド、そして演劇との出会い。この二つが人見知りを治すきっかけになりました。プライドは捨てた方がいいよーなんて言われることもありますが、成長のためのプライドは持っててもいいんじゃないですかね。

みんなも演劇、やろっ。



ナレーター
有野優樹(ありのひろき)

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