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心がほんわかする幸せな仕事《MYSTORY 2》臆病で緊張しいのわたしが何があっても動じなくなったわけ


前回、わたしの原点となる
《My Story 1》を書いてみました。

今回は、人前で話すことさえ苦手だったわたしが
何故、司会業の道に進むことになったのか
そして、そこから得た感情や気づきなど
そのきっかけを書いてみたいと思います。

✴︎

わたしはこれまで、結婚式の司会者として
約2000組の幸せなカップルの
お手伝いをしてきました。

わたし、どうやら引きが良いらしく
ブライダルのネタの宝庫だと言われます。

先輩たちからは
「そんなご披露宴、あたったことないよ!」と
驚かれるほど。

素敵なお客様を担当させて頂くことはもちろん
逃げて帰りたくなるような
大大大事件・珍事件が本当に多い!!

そんな面白エピソード満載ですので
気楽に読んでいただけたら嬉しく思います。

✴︎

ご披露宴の司会の仕事って
何かきっかけがないと
やってみようなんて思わない仕事ですよね。

ですが
こんなに幸せオーラを毎週浴びていると
イヤなことがどうでもよくなってくる。

ですので、この記事を読んでくださった方が
何かしら心が揺れて、こんな仕事があるんだと
仕事を選ぶ上で、選択の1つになって頂けたら
こんなに幸せなことはありません。

さて、前回のつづきですが
そもそも何がきっかけで
司会者になろうと思ったのか
振り返ってみたいと思います。

《My Story 2》良かったらお付き合いください♡

✴︎

大学生って当たり前のように
皆さん、アルバイトをしますよね。

当時、大学の近くで一人暮らしをしていたのですが
音大に通っていたわたしは
ピアノや歌の練習に追われて
なかなかアルバイトができませんでした。

ですが、テニスサークルに入っていたので
みんなで集まればお金もかかるし
お洒落もしたいお年頃。

そんなわけで、先輩に紹介してもらい
新宿の某ホテルでアルバイトを始めました。

わたしは土日だけ、仕事をしていたのですが
担当セクションは
これから結婚を控えた方々が来る
打ち合わせサロン。

新郎新婦にお茶を出したり
パンフレットを揃えたり
あとから聞いたところ、このホテル内で
一番ラクな仕事場だったらしい(笑)

基本、このサロンで仕事をしていたのですが
繁忙期になると、宴会クロークや
披露宴会場で持ち回りの仕事もしました。

いわゆる、お料理を提供するという仕事です。

そのとき初めて、ご披露宴というものを目にし
進行をしている司会者の声を聞きました。

あ、これならわたしにも出来る!

そう思ってしまったんです。
今思うと、本当に図々しい話だと思いますが
いずれ、この人みたいな仕事をするだろうな・・・と。

ただの直感です。

✴︎

打ち合わせサロンでは
常に淹れたてのコーヒーがあったので
司会者さんたちがいつも来られて
色々な話を聞きました。

「わたしもいつか、司会の仕事やってみたいな」

そう言うと

「じゃあ、30歳になった時
その気持ちが変わらなかったら僕を訪ねておいで」

そう言われました。

✴︎

大学卒業してから6年後、
その新宿のホテルに
その方がいるかどうかも分からず
週末に訪ねてみました。

その時は会えなかったのですが
後日、お電話を頂き気持ちが固まっていったのです。

司会者の養成スクールに半年通って
そのスクールのラスト日に10社の事務所が来て
オーディションを受けました。

ここの事務所で仕事がしたい!と思った
女性社長の事務所に所属することが出来
そのまま、あれよあれよいう間に
デビューの日がやってきました。

事務所の社長に言われたのは
最初の3回、無事にすんだら一生続けられるわよと。

でも、思い出したらその最初の3回こそ
なかなか強烈だったのです。

✴︎

《1回目》
郵便局員の新郎 祝電70通!
沖縄出身の新婦 祝電の名字が難し過ぎ!
1回目は祝電を読んだことしか覚えていない。
ご披露宴当日より打ち合わせの方が緊張した。


《2回目》
宗教がらみのご披露宴
宗教は自由だけど、当時29歳の私には
なかなか大変だったから良く覚えてる!

ご披露宴開始早々、新郎のお母様が
ある宗教団体のトップの方からの
手紙と本を持ってきた。

さすがのわたしでも良く知るお方。
ご披露宴中に紹介して欲しいというものだったが
念のため、それを新郎新婦に確認したら
絶対読まないで欲しいとのこと。

わたしが咄嗟にした行動は
ご両親がお酌するために席を外した瞬間
1番賑わってる時間を見計らって祝電を読み
祝電とともに、お手紙も読んだフリをしてお返しした。

わたしの中では
新郎新婦が言うことが絶対なので
こういう方法もありかな、と今でも思ってる。

でも2回目のわたし、良くやった!
褒めてあげたい(笑)


《3回目》
打ち合わせが終わった次の日から
毎日、新郎からの謎のお誘いの電話があった(爆)

こういうことって、たまにあるのです。
5年に1度くらい。

でも先輩たちに言ったら「そんなの無い!」と却下(笑)

この最初の3回が無事?!に済んだからこそ
今まで続けてこれているのだと思います。

✴︎

そしてハプニングと言えば
まだまだ数え切れないくらいありますが
ご披露宴の司会をする中で思うのは
自分が思う通り
シナリオ通りにはいかないということ。

進行表があっても
その通りに事は運ばないということを
痛いほど知ってます。

人と関わるという事は
ハプニングがつきもの
ご披露宴は毎回ライブだよと
新人の頃から言われ続けてきました。

✴︎

大大大事件・珍事件 ご披露宴ハプニング!  
■映像が止まる!くらいならまだしも
流れた映像が別の新郎新婦だった
(このパターン、過去3度ほどあり!)

■ご披露宴中に大ゲンカが始まった

■元彼がご披露宴会場に爆弾を仕掛けた。
警察来てた!

■ご披露宴中に雷が落ちて
音響もマイクも全て電源ダウン
薄暗い中15分、声だけで繋いだ
稲光がキレイだった

■ご披露宴中、親族がお亡くなりになった

■新郎が飲み過ぎて、途中から消えた

■祝電400通きた

■150人ご出席の披露宴をするはずが
すべて新婦の妄想だった!
前日まで新郎現れず。
当日、呼び出された新郎が全額支払いキャンセル!
エスパー伊藤さんが来る予定だった(笑)

またその昔、仕事前日に食べた生物にあたって
大変な思いをしたことがあったことから
水曜日以降は、一切、生物を食べない生活
(意外とマジメ)

嬉しいハプニングなら心底大歓迎するけど
そうではないハプニングは
できれば起こらないで欲しい。

と思いながらも、ハプニングが起きた瞬間
ヒヤっとする反面「ヤバイっ、これネタになる!」と
あとでみんなに、コレをどう面白く話すか!
そんなことを考えるようになってる自分がいた。

✴︎

極度のあがり症だったわたしが
これだけのハプニングに遭遇するにつれて
緊張は良い緊張感へと変わり
何があっても動じなくなっていった・・・

何事もないのが一番!
だけどハプニングがあったご披露宴って
わたしの中でも何年も記憶に残り続けるし
新郎新婦にとっては
一生語り継がれるストーリーになるはず♡

✴︎

ご披露宴は毎回ライブ!
突然のハプニングに
泣いたり笑ったり忙しい。

あれだけ緊張強いで
人前で話すことさえ嫌いだったわたしが
新郎新婦の喜んで頂ける笑顔と
良い緊張感の中での
心がほんわかするこの感覚を味わうために
長年続けてきた仕事。

無事にお披楽喜になったときの感動は
本当に大きいのです。

ですが毎回
自分が思う以上に緊張していたことに
気づくきっかけがありました。

自分でどうすることもできない闇を
どう乗り越えたのか
次回、ラストのSTORYを書きたいと思います。

・・・続く・・・

✴︎

わたしが大好きなブライダル司会と言う仕事
《My Story 2》はここまでです。

次回は、プレッシャーや悲しみからのどん底期を経て
司会業からボイストレーニング指導をしようと
思ったきっかけ
これからのことなどを書いていきたいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。

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o○* Voice Design
ボイストレーナー/MC・司会日野 夏子
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