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2021/08/16ー英語教育における論文の役割はなんだろうかと振り返って考える。

こんにちは。ひさのりです。普段、英語を勉強することが楽しみになっています。今日は英語教育のPDCAというタイトルでお話をします。

先日、こういったツイートをしました。これは僕がなんで論文を書くのかという根源的な問いに対する答えになるものです

そうです、僕が論文を書くのは「参考書を書く前の監査」という感じになりますね。別に参考書を書くだけならば、論文として(=論文という表現媒体を通して)監査は要らないのではないか?と思う英語の指導者の方もいらしゃるかもしれないですね。それは、価値観の違いであると思っています。

僕は世界的に、グローバルな視点で研究もしていきたいし、海外の出版社から本を出版したいと思ったりもしていますが、やはり、論文を出していることは強みになるのではないか、と思っています。だって、しっかり、論文として発刊されているということは、何らかの形でエビデンスがあるということですので。

エビデンスがあるということは、結構、海外の出版では重視されるらしいです。日本でも、大学で使用される参考書は論文という名のエビデンスの証明がされていないと、使われないとか(ある人から聞いた話ですが、証拠不明なので、ご容赦を)

教えるという行為は、どちらかというと、サンプル集めな感じがします。そうすると「サンプルにするとは何事だ!」とかいう、英語講師の方がいますが(実際に怒鳴られたことがある)、やはり、英語教育を研究する人は、授業が好きで、そこから、授業の理論化ということで研究をはじめて、専門性が宿ってきたら出版というケースが多いらしいです。

かくいう僕も、教えることに飢えています。予備校をやめて、完全にオンライン化しましたが、オンラインでも、同期コミュニケーションの形で教えたいと思うことがあります(大抵は非同期で、限定公開機能を使って教えています)。ちなみに、教えることに飢えている状況を僕は「ティーチング・ロス」と呼んでいます笑。下記ツイートを参照してくださいね。

近いうちに、YouTubeで授業するので、お楽しみに。シラバスは後ほど公開します。英語の指導者になんらかのインパクトが与えられればいいなと思っています。

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