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高校受験の思い出と、今の教訓をまとめる

はじめに
僕は高校受験の頃、東京にある開成高校を受験した。併願校で、早稲田本庄高校と慶應志木高校を受けて、結局、慶應志木高校に進学した。その受験の時に塾講師から言われた一言が、比較的長く引きずった。

今、僕は大学院生の傍、予備校講師としても活動をしている。今回は高校受験の時の出来事から、講師としての教訓、気をつけていることをまとめることにしたい。

①開成高校に落ちた僕に放った塾講師達の言葉

この時期になると思い出す。2月だから。僕が開成高校に落ちた時、当時の塾の英語の先生から最初に言われた言葉。

英語の先生には「お前は校舎の不良債権で、塾全体の損害」。次に数学の先生には「お前は東大に受からないであろう人生の負け組」と言われた。親にも、東大に行けないならどこ行っても変わらない。お前は人生の負け組。と言われた。正直、慶應はレベル低いんだと間違った錯覚がその後8年くらいは抜けなかった。

今になって思うけど、塾講師の仕事は、塾生を志望校に合格させることであり、その発言は生徒に責任転嫁している時点で、おかしい。しかも、この年開成高校に受かったのは帰国子女だけ。つまり、純ジャパを受からせることができなかった時点で、英語の先生は、日本人英語学習者が、受かるに値するだけの英語力を身につけさせる指導ができなかったことが証明されたことになる。それを認めることが耐えられなかったのだろう。

僕が嫌だったのは、落ちたことではなく、その後の講師たちの言葉。その後かなり尾を引きずった。慶應志木にいた3年間は、とてもではないが居心地がいいとは決して思わなかった。

②予備校講師になりました、その後

その後、僕は予備校講師になって、彼らよりも満足度の高い講義、彼らよりも高い合格実績、彼らよりもレベルの高いクラスでの授業を受け持った。当時の先生は高校受験生しか持っていなかったから、僕のように大学1年生の頃から大学受験生を教えるというのは良かったと思う。

しかし、これまで数百人規模の生徒を長期間教えてきて、第一志望に受からなかった生徒はいる。5人くらいいる。でも、そんな当時僕が塾講師に言われたような言葉を言えなかった。だって、生徒が第1志望校に合格しない=指導していた僕に責任はあるから。

予備校講師になって、彼らを意識してきた。あんなに下手な授業をするわけにはいかない。いつだって、僕の昨日の授業は、今日の自分からすればだめで、今日の授業は明日の自分からするとだめ。改善できるところはある。逆に改善点のない授業なんて滅多にできない。

授業というのは、面白いもので、同じコンテンツを扱っていても、同じ授業は1つとしてないのだ。気迫を持って、授業に真剣に。

③高校入試以後の人生で分かったこと

もちろん、その後の人生で、そこまで酷い先生に巡り合うことはなかったが生徒の合格を素直に誉められない先生は一定数いた。そういう先生はやがて塾講師という職業自体を辞めていったけど。

合格させられないのを塾のシステムが悪いと嘆くなら、教務を動かせない講師自らに責任がある。そんなに嘆くなら、自ら実績を上げて、変えてしまえばいい。そういう先生に試しに聞くが、生徒さんのために教材を作ったり授業改善を毎日していますか?

ちなみに、これを書いている僕は、今でも、1年間に1000ページ〜1500ページは授業教材を書きます。予備校の共通テキストも作らせていただきましたよ。ましてや、教材を使い回したことなんて一度もないです。

常に生徒と向き合う。逃げてはいけない。授業というのは生徒との真剣勝負である。それを忘れずに今日も授業をしていきます!


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