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碧は潰れたって青い

 気づいた時から、何らかのバランスをおかしい。何かが過剰で何かが不足しているのだ。
 子供の頃から、私が小さな子供だった頃から、ずうっと「ちゃんと」したかった。まともになりたかった。これはおかあさんが私を叱るときにいつも「ちゃんとしなよ」と叱っていたからなのだと思う。私が叱られる時はちゃんとできていない時がほとんどだったから。机を片付けられないし、宿題は前もってできないし、テストにケアレスミスが多過ぎる。テストの点で叱られたことはないけれど、100点を取れるテストでことごとく100点を取り逃がしてきたから。

 私は「うっかりちゃん」。おかあさんはあたしのことをそう呼んだの。

 ずっと出来ない子なのだと思われていた。私もあたしのことを出来ない子なのだと思っていた。何てったってあたしはうっかりちゃん。成績は上から数えた方が早かったのにね。

 ちゃんとしたい。高校生の時に友達にちゃんとしたいとこぼしたときにようやく自覚した。私ちゃんとしたかったんだなって。ずうっとちゃんとしたい。まともになりたい。だってなれると思っているのだから。


「出来ないと思うことは言わんよ。あなたができると思うから言うんよ。」

 本当によく覚えている言葉。いつまでも忘れない。誰が言ったかなんて忘れてしまったのに言葉だけは忘れられない。うん。ちゃんとしなって言われるってことはあたしはちゃんとできるってことだよね。


 死にたくなってからです。死にたいという思いを誤魔化してどうにか目を逸らして、そんな只中に成人しました。大人になってしまった。あたしは全くちゃんと出来ていないのに。今が人生で最もちゃんと出来ていない。喉が締まるような焦燥感。そうしてから私はようやく病院に行きました。

 鬱病ですって。それは知っていました。この苦しさに名前がつかないのなら生活というのはどんなに苦しいものなのか、私以外の人たちよく自殺しないなと思っていたところです。

 あら。発達障害ですって。それは知らなかった。注意欠陥。あたしそれは知らなかったんよ。これって名前つくんや。 

 安心しました。ものすごくホッとしたんです。私の苦しみには名前があるんだって。

 ところで「名前」は学問の役割の一つだそうですよ。学ぶということは「名前」を知ることに繋がるんです。そう言ってくださった先生の講義はマスターベーションに付き合わされているようで気味が悪かったのですが、その言葉だけはストンと引っ掛からずに私の中に落ちてきて、私が何かを学ぶ上で意識する事柄の一つになっています。

 そう名前がついたのです。私の欠いたバランスに。拍子抜けのような安心感。

「根性がないよね」
「根性が腐っている」

 あーあー。そうですよ。私の根性は腐っているんです。うるせえな。って中指立てて生きてきました。だってその通りだもの。多くの人にできることが私にはできない。なら私の頭がおかしいのです。

 でも私、傷ついて良かったんですね。知らなかった。傷つかないように開き直る必要なかったんだ。あたし、悲しんで良かったんです。そんなこと知らんかったんよ。
 

 未知は怖い。そう思う。無知じゃなくて未知。よく分からないままなのは怖いことなのだと思う。

 発達障害ってもっと早くにわかっていれば良かったのに。そうすればもうちょっと大学受験の取り組み方も変わったのに。もっといい大学に行けたかも。都会に進学できたかも。都会に住んだことがないから住みたい。文化が近くに、そして気軽なところにないから、そういうものが身近な生活がしたい。たくさんの選択肢が欲しい。そういう生活をしたことがないから。そういう生活をした後は疲れてどこかに引っ込むかもしれないけれど、まだ疲れてすらいないのだから。

 あたしは土俵にすら上がれていない。憧れとコンプレックスと知識欲。一番強いのはコンプレックス。向上心ともいうらしいですけど。そうです。持ちすぎると潰れるやつです。

 弟も本当に生きづらそう。だから私はとっとと病院に行くことを勧めた。私の、早く判明していればもっとやりようがあったのにという何もかもに対する怨みを込めて。「名前」がつく、それだけで少し肩の荷がおりるということは確かにあるのだから。私の弟はあたしとは別の人間だからそれには当てはまらないのかもしれないけど、万が一にもその可能性を見逃すのはあまりに惜しいと思うのだ。というか、もしかしたら私が生きづらそうと思っているだけで実は全然生きづらくなんてなかったりして。そういうこともあるかも。

 自分に「ナニカ」あるかもと思って何度もネットでそういう診断をしたことある人は病院に行ってみてもいいかもしれない。何にもなかったなら、それで何にもないということが分かるのだからそれでも良し。

 病院の選択肢の少ない田舎に住んでいる人、泊まりがけでもいいから行ってみたらいい。お買い物に行くついでの感覚でいいから。東急ハンズとかなにも買わなくてもウキウキするでしょ。店員も話しかけてこないし。

 都会の人は今すぐ行きなさい。あなたには選択肢多いのだから。尚且つお金がある人なら、もう明日には電話で予約取りなさい。あなたが一番選択肢多いんだから。ええ、ええ、これは妬みの感情ですけれどね。ふん。


 ほんとうはね、何にも解決していないんです。私のコレに「名前」がついたって日本社会はあたしの生きやすいようにはできていないし、生きづらくないように変わる気配はとても微か。私が死ぬまでに日本社会は変われるのでしょうか。日本社会が求めるレベルはあまりにも高くて、本当にいらいらする。

 「名前」がついて自分をほんの少しだけ諦めただけ。諦められたとは言わない。言いたくない。私は何もかも欲しかったのですから。

 私はちゃんとしたいよ。今でも。いつまで経っても。

 コンプレックスと屁理屈と高すぎる理想と知識欲と怒り、そしてそれについていけない身体。これですら私。
 今日も過集中と注意散漫を繰り返す。これを書いているのはAM4:17 寝なくてはいけない時間はとうにすぎてる。あたしは他の人より睡眠時間が必要な人間なのに。三寒四温でガタガタな身体を引きずって無理をする。あたし、ちゃんとしたいよ。

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