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番外編②:父親がサイコパス

カウンセリングへ行ってみた

夫の娘への接し方に気になるところがあり、市に相談したところ、私の心理カウンセリングを勧められ、行ってみることにした。

(夫の話はリアルでいろんな人に話しまくってるので特定を避けるため割愛させてください。)

カウンセリングの定石なのか、話の主眼ではなかったものの私の生育歴をかなり掘り下げられた。

結論、「サイコパスなのは旦那さんではなくて、あなたの父親ですよ。父親は間違いなくサイコパス気質があります。」とのこと。

どうやら私は、夫を自分の父親に、泣いている娘を自分自身に、無意識のうちに重ね合わせていたようなのだ。だから、娘が泣くのが辛い。血が沸き立つ。夫のちょっとした言動を、娘への攻撃と捉えてしまう。それ故に夫の娘への接し方の中に、自分の父親のサイコパス気質を見出してたようなのだ。

私なりの虐待への解釈はズレていた

目からウロコだった。父は私への過剰な期待故に、また自身も虐待されていた歪みから、歪んだ形の愛情の結果として虐待に走ったのだと思っていた。「どんなところに期待されていたと感じましたか?」と聞かれて私の口から出るエピソードは、子供への期待なんかじゃない、ただの因縁、難癖だった。なぜ今まで期待されていると思い込んでいたのか。

「かなり計算してpikoさんをいじめていたと思いますよ。自身の社会的地位を壊さないよう、会社でのストレスや幼少期に受けた虐待による歪みを、女性問題、ギャンブル、妻への暴力へ走ることなく、声を上げられない子供を標的に、バレない程度に、巧妙に隠しながらぶつけていたんですから。」なるほど確かに、上記どれをとっても公になればスキャンダルだ。父の仕事の特性上、文春のいいネタにされてもおかしくはない。子供であれば、傷跡が目立たなければ、何もないのと同じことだ。

父は私が楽しむことを酷く嫌がった。部活に打ち込むこと、習い事をすること、学校行事に燃えること、友達と交流すること…それらを時間の無駄と自分自身で気づき、そのかわり将来のヴィジョンを描くことに費やさねば、社会でやっていけないと。「pikoさんから健全なものは全て排除したいんですね。楽しみを与えたくない。徹底した計算でいじめている証拠です。」

思い当たるサイコパス性

父親のサイコパス性は思い当たる節しかない。会社での仕事ぶり、部下からの信頼(部下の女性と食事する機会があったが、いい上司ぶりに驚嘆した)、友人家族の前で見せるひょうきんな一面。どれをとっても、家庭内で見せる顔とは違いすぎるのだ。二重人格と言っていいほどの二面性。

私を罵倒する際の顔色ひとつ変えないポーカーフェイス。なんなら笑顔で、穏やかなトーンの語り口だったりして、本気なのか冗談なのか戸惑っているうちに豹変し、真っ赤な顔で急に怒鳴り始めたりする。殴る時もそうなのだ。笑顔で近づいてきたりするので、殴られるまで殴られると分からない。

それでも…

歪んだ形であっても、私のために、私の将来を考えて楽しみを排除しようとしているんだと思っていた。平たく言えば、愛されていることが前提だったのだ、私の中で。

そうではなかった。ただのターゲットだったのだ。父親からはストレス発散の、母親からはスケープゴートとして。

虐待児は親への期待が捨てられない

親への期待が捨てられず、自分にとって害にしかならないのに切り捨てられずに苦しむ人が多いんだそうだ。そういう人は、まず親と離れることの必要性を認識させるところから、カウンセリングのセッションはスタートする。

「pikoさんは、既に自分で見切りをつけて離れる決断をし、それを遂行しているのはとてもいいことです。愛されたいっていう期待が捨てられないケースは多いんですよ。」

私も期待していたんだろうか。愛故の暴力だったと、自分を納得させていたんだろうか。それらを否定された今、何か自分を形作っているものが抜け落ちたような感覚がある。

娘を泣かせる夫が許せない…娘に危害を加えるなら夫を殺してやりたい…これは、私が母にそう思ってほしかったんじゃないだろうか。

私は何を期待しているんだろう。

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