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ガチャスとピストと海馬の贈り物

スペインの土地は、本当に表情豊かで分かりやすい。同じ内陸部カスティージャの乾いた大地であっても、よく見ると東西南北で少しずつ表情が異なる。トレドからさらに南下する。痩せ馬ロシナンテに跨った永遠の騎士ドン・キホーテの舞台となったシウダー・レアル周辺の景色も例外ではない。

車の窓から、茶色と緑色のトーンのパッチワーク作品のような畑が、なだらかな傾斜の沿いながら広がっているのが見える。壁が剥がれ落ち、ところどころ赤茶けたレンガ肌を見せる古家屋が、その場所だけが時間を無視しているかのように時折、姿を現す。

現在位置 (4)

小説の中で、主人公が巨人と見間違えた風車があることで知られるカンポ・デ・クリプターナや、彼が愛して止まない寵姫ドゥルシネアが住んでいたとされるエル・トボソ。こうしたドンキホーテゆかりの地では、どっちが馬なのか分からないくらい痩せこけた彼の銅像がいたるところに出没する。

食事にしても、彼が泊まったとされる旅籠だったという謳い文句を掲げるレストランもあれば、あえて昔ながらの料理をサービスしてくれるレストランも結構あるので、今回は、ドンキホーテに登場する料理を探してみることにした。

そこで、いくつか関連資料を見てみると、「悲嘆と破砕」という重々しい意味の《ドゥエロス・イ・ケブラントス》という料理がある。この哀しげなネーミングの料理が一体どういった料理なのかというと、

①「ウエボ・フリート(揚げ卵)と細切れ肉を炒めたもの」
②「豚の三枚肉と卵炒め」
③「臓物の卵とじ」

といった具合に幾つもの説があり、本当のところ、どれが正解なのかは定かではない。

1665年、国王フェリペ4世が他界した4年後の9月、未亡人となったマリア・デ・アストゥリアが《ドゥエロス・イ・ケブラントス》を食べたという内容が、劇作家であり詩人のロペス・デ・べガの「ラ・ビサラス・デ・べリサ」という作品の中で表現されている。

Almorzamos unos trreznos con sus duelos y quebrantos....
「悲嘆と破砕を込めたトレスノスで朝食をとり済ませ……」

この部分をセルバンテスが引用したのではないかと推測されている。さらに、脚本家でありながら、美食家としても数多くのドン・キホーテの食卓について書き綴ったロレンソ・ディアスの本の中で《ドゥエロス・イ・ケブラントス》の簡単な作り方が紹介されていた。

《Ingredientes 材料》
Huevos 卵
Tocino entreverado 筋の入った脂身
Jamón 生ハム
Sesos de cordero 子羊の脳みそ
Manteca de cerdo ラード
Sal・Pimienta 塩・胡椒

《Modo de hacerlo 作り方》
Se fríen el jamón y el tocino en trezno, en una sartén amplia, utilizando la propia grasa que sueltan los torreznos.  Se cuecen los sesos, se limpian, se trocean y se saltean en un poco de manteca de cerdo. Se baten los huevos, se salpimientan y se hace un revuelto con los ingredientes anteriores. Se puede servir adornado con pan frito.

大きめのフライパンを用意し、小さく切った生ハムと脂身を、脂身そのものから出る油を使って炒める。子羊の脳みそを湯通しし、下処理をしたあと切り分け、少量のラードで炒める。卵を溶きほぐし、塩と胡椒で調味し、先に用意した材料に合わせてさっととじる。揚げたパンを添えて提供する。

(訳:私)

そうすると、「臓物の卵とじ」が最も的を得ているのだろうか。クエンカ郊外の小さな村で食べた《ドゥエロス・イ・ケブラントス》もまさにこの通りだった。

スペインの定番卵料理であるウエボ・フリート(揚げ卵)が卵とじに成りかわった行程は簡単に想像できる。

豚肉と卵というのは、ここスペインではごく一般的な組み合わせであるし、この料理がそれほど「悲嘆と破砕」に値する料理であるとは思えない。どこが「悲嘆と破砕」なのだろう。


 
前述のロレンソ・ディアスによれば、かつて牧畜によって生計を立てていたラ・マンチャ地方のとある地域では、貴重な収入源である羊や豚がなんらかの原因で死亡してしまった場合(病気ではなく)、その亡骸を家に持ち帰り、骨をきれいに外して週末に食する習慣があったという。

骨は大切なスープの素となる。肉の部分も食べられる部分は全て何らかの形で食す。そして、最後に残った屑肉の成りの果てがこの料理だったというわけだ。

豚一匹で親戚一同の一年分の貯蔵食を作っていた頃である。突然の家畜の死が経済的にもどれほどの打撃であったかは想像がつく。つまり、この飼主の心中を察して「悲嘆」、細切れになった肉切れを「破砕」と表現したのではないかという解釈である。


***


偶然立ち寄った村のバールはおじさん率98%。中に入ると同時におじさんの首がこちらに向くのもにも構わず、カウンターの端っこで赤ワインのソーダ割で喉を濡らす。すると、昼食にはまだ早い時間だというのに、おじさん達が何やらトロリとしたスープのようなものをスプーンで食べている。残念ながら、《ドゥエロス・イ・ケブラントス》ではないようだ。

黒く日に焼けた手の皮が象の皮のようにゴワゴワと硬くなっているのが分かる。そこに刻まれた深い皺が、おじさんたちが乾いた地の太陽を浴びながら生活を営む人達だと教えてくれる。

おじさんの一人に聞いてみると《ガチャス》という食べ物だという。《ガチャス》は《ミガス》と並ぶこの地方の家庭料理の一つで、古くは、男たちが仕事に出かける前に胃袋に詰め込む大切なエネルギー源だったという。

ちなみに、《ミガス》が堅くなったパンを細切れを炒め調理したもの、《ガチャス》が小麦粉やアルモルタ粉で作った粥のことをさす。

「子供の頃、朝の5時頃になると台所から《ガチャス》の匂いがしたもんだ。親父達が畑仕事に行く前に、彼らのために用意された大きな鍋からこっそり《ガチャス》をスプーンですくって食べるのが美味くてさ。眠い目をこすりながら起き出したもんだよ。」

おじさんは、ご丁寧に食べる真似までして、懐かしそうに語ってくれた。手と同じように深い目尻の皺が一瞬、さらに一層と深くなった。

三枚肉片や臓物を揚げた油を使い、ニンニクとパプリカをしっかりと効かせた男たちの料理《ガチャス》。コッテリと濃厚な、一日の活力を呼び覚ます食べ物。


【ピストは家庭の常備食】


打って変わって《ピスト・マンチェゴ》は、トマト、たまねぎ、ピーマン、ズッキーニといった野菜をじっくり煮込んだ家庭料理の定番。《ガチャス》が夜明けの男の味なら、《ピスト》は24時間いつでもオッケー家族の味。

夏野菜が大量に穫れる季節になると、毎年、多めに作って保存しておく。シンプルなだけに、肉や魚を煮込むベースになったり、そのまま副菜になったり、パスタのソースにも使えてとっても重宝なのだ。

実は、この《ピスト・マンチェゴ》の、ガイドブックには載っていない探し方がある。

自家製の惣菜パンを売るパン屋で《エンパナディージャ》と呼ばれる半月型のパイを探すのだ。中の具には《ピスト・マンチェゴ》がたっぷりと詰まっている。

きっとパン屋のお母さんが時間をかけてコトコトと煮詰めたのだろうピストは、買う度に微妙にピーマンが多かったり、トマトだらけだったりする。ゆで卵が入っていることがあって、それがまたアタリ感があっていい。

焼き立ての《エンパナディージャ》に出会ってしまうと、もうたまらない。少しくらい行儀が悪くたっていい。道端で立ったまま手に持って、食べた脇からピストが零れないように注意しながらかぶりつく。

こうやって、出来立てをホクホク言いながら食べるのは、子供の頃、油紙に包んでもらった揚げたてコロッケを食べる感覚と似ていて、楽しくて仕方がない。

可笑しなもので、人っていうのは、新しい味にはいつの間にか慣れていくし、さらに新たな「美味しい」を見つけたいと思う。

けれども記憶の奥底に残っている味というのは消えたりはしない。好みの色や温度や香り、その時の誰かの声とかいうのもそこにあって、眠っているそれらが起き出して、ふとした拍子に自分を過去へ引き戻していくことがある。

結局、新たな「美味しい」は、塗り重ねられた記憶の中から生まれていくのかもしれない。記憶の中の味にある懐かしさも、大切な心の栄養となる。

海馬の贈り物は、予期せぬ時に届けられる。贈り物が消えてしまわないうちに、もう一つ《エンパナディージャ》を買いに走ろう。

そうだ。今度は冷たいビールも忘れずに。



⇒ 次の目的地:アルバセテ

開店 お知らせ Twitterの投稿 (4)

怖いもの見たさで一口だけ試してみたい食べ物。意を決して食べてみたけれど無理だった料理ってありませんか?

私はあるんですよ。でも、そういうのも食べる楽しみだったりします。

今週のお題はズバリ
『怖いけど一度はチャレンジしたい食べ物、料理』

あなたの秘密を教えてください。


お題の回答はいつものようにコメント欄に!ツイッターで  #食べて生きる人たち をつけてのハッシュタグ投稿もお待ちしてます。

さらに……。

次回のSpacesでは、第二回トルティージャ祭の話もしますので、皆さん、ご参加くださいね!

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