スペインにも、あの白い恋人たちが?
スペイン版「ロミオとジュリエット」として知られる「テルエルの恋人達」の伝説の舞台である小さな町テルエル。
エメラルドグリーンが印象的なムデハル様式の建築を施された協会では、今日も、ディエゴとイサベルのような若いカップルの結婚式がとり行われ、その脇のベンチには老人達が腰掛けて何時間も語り合っている。
静寂の中を鐘の音だけが響く。ここには他の場所よりもずっとゆっくり時間が流れているかのように静かで穏やかな空気が漂っている。
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そんなひっそりとしたテルエルの楕円形の階段を上がり、なだらかな細い坂道を見上げる。道行く人に町の中心への道筋を尋ねると、だれもが口を揃えて言う。
「トリーコを目指しなさい」
雄牛というスペイン語「トロ=toro」に、アラゴン方言の指小辞「-ico」がついているので、「小さい雄牛」という意味だけど、ここにそんな名物雄牛がいるのだろうか……?
高台の上にある猫の額ほどのマヨール広場。どうやら、この辺りが町の中心らしい。さっそく、トリーコを探す。
……トリーコがいた。どんな立派な牛がいるのかと思えば、広場の中央には、小さな雄牛のブロンズ像が、7メートルもある細い塔の天辺に申し訳なさそうに乗っかっていた。
12世紀のレコンキスタで、アラゴン王アルフォンソ二世率いるキリスト教徒たちがイスラム軍勢に勝利を収めた際、雄牛に導かれてこの地に町を作ることを決めたという伝説が元になっているとバールのおじさんが教えてくれた。
町のシンボルである雄牛の像を囲むようにバールやレストランが立ち並び、ここから車一台がギリギリ通れるくらいの細道が北東に向かって伸びている。
お腹が減っているわけでもないのに、ついお菓子屋やパン屋のショーウィンドゥを覗き込むんで掘り出し物を探すのが癖。一軒一軒立ち止まるものだから、旅の相棒がいると「時間がなくなる」と叱られてしまう。またそのうちになんて言いたくないのだから仕方ない。
少し先に、軒先から奥まで3畳分ぐらいしかない一見の小さなお店があった。ここはショーウィンドウにはほとんど何も置いていなくて、かろうじてお菓子なんだろうなというのが分かる程度。木製のドアを押すと、チリンという小さな鈴の音が鳴った。誰もいないのかと思っていたら、白髪のおばさんが店の奥からゆっくりと出て来た。
「《ススピロス・デ・アマンテ》(恋人たちのため息)はありますか?」
「恋人達のため息」というテルエルの名物菓子。恋人達というのは、当然、ディエゴとイサベルのことなのだけど、このネーミングだけ見ると、スキー場の土産用クッキーを思い出さなくもない。
「ほら、そこですよ」
そう言って指さされた先に、直径5センチ程度のクッキー生地のパイケースに詰め物がされたお菓子があった。
一口かじってみると、カスタードクリームだと想像していたのに中に詰められていたのは意外にもサツマイモのクリームだった。
バレンシア地方でもサツマイモペースト入りのお菓子があるけれど、このクリームはとても舌触りがなめらかで、珍しくバターの風味がする。ネーミングからして観光客用に考案されたものだろうけれど、口の中でふわりと合わさって溶けていく味わいが絶妙で、思わず、店の名刺か何かないかと聞いたら、ボールペンと小さな紙を渡された。
大当たりだったのかもしれない。旅先でのこういう美味しい裏切りは、何度あってもいい。
この辺りのは他に、砂糖、小麦粉で作ったベースに砂糖をしっかりとまぶしてから焼いたスポンジケーキ《ビスコチョ(カラタユー風)》や、アニス、シナモン、サフランなどの香辛料をたっぷりときかせた《ロスコン(ノナスベ風)》というドーナツ型のパンなどがある。
クリスマスシーズンにはローストアーモンドをまるごとカラメルで固めた《トゥロン・デ・ギルラチェ》が登場し、砂糖を焦がしたカラメルの懐かしいほろ苦さが人気で、我が家のクリスマスのお買い物リストに必ず加えられている。
いずれも、ドライフルーツや香辛料といったアラブ文化の香りを残すもので、建築物同様、緑色をあしらったテルエル焼きのカップに濃いめのコーヒーを注ぎ、ゆっくりと味わう異国の時間が好きでたまらない。
【スペイン版残り飯チャーハン物語】
テルエルあるアラゴン地方は、古代より、地中海側からイベリア半島を北上して大西洋に向かう人々と、ヨーロッパからピレネー山脈を越えてスペインの中心部へと南下する人々の交差地点。羊や牛が放牧される長閑な自然に恵まれたこの地で誕生したのが、素朴で地味ながら多様性のあるアラゴン料理。
アラゴン地方の食地図は、その気候と土壌によって3つの地域に区分され、テルエルはその一番南のバホ・アラゴンという地域に位置する。山がちな土壌に育まれた牧人料理がこの辺りの特徴的な料理といえる。
***
地元の人たちしか立ち寄らないような小さなバールを見つけた。ここなら《ミガス》があるかもとコッソリと心を弾ませる。
地元の人たちが好んで食べるような料理は、メニューには登場しないことがあって、「〇〇あります」と親切に書いている店ほど観光客向けでガッカリすることが多い。
《ミガス》が出せるかどうかウェイトレスがキッチンまで聞きに行ってくれてから間もなくして、美味しそうでも色鮮やかでもない、普通の日の普通の一皿が運ばれてくる。
《ミガス》というのは「空腹と固くなったパンさえあればいつでも食べられる。」と言われる、スペインの牧人料理で、先途で少し紹介したように、ラ・マンチャ地方やエストゥレマドゥラ地方、アンダルシア地方でも多く食べられている。
基本的な作り方はごくごく簡単。
これだけ。単純だからこそバリエーションは無数にある。
ちなみに、数ある《ミガス》の中でも《ミガス・コン・トロペソネス》はミガスの王様。トロペソネスというのはハムや腸詰の切れ端のことで、複数の腸詰の切れ端に加え、その上にカリッと揚げた卵が飾られ、面白いのが、更にそこに季節の果物が飾られる。
この店の《ミガス》にはチョリソと豚の肉片が入っていて、マスカットブドウ粒が乗っかっていた。生ハムも入っていないし揚げ玉もないので王様までいかない。
他にも、ジャガイモや玉ネギ、ピーマンを加えるレシピ。かと思えば、牛乳に浸したパンを砂糖やシナモンで味付けをする甘いレシピもある。所変われば具も変わる。具だけではない。パンの種類も地域によって微妙に変化する。今日はブドウ粒だったけれど、代わりにメロンが乗っていることもある。
ふっと考えてみる。
残った主食を保存する。
→ 数日経ち、そのままでは硬くて食べられなくなる。
→ 水分を補給し過熱することで、再び食べられる状態に調理する。
どこかであったような工程……。
そう、残り飯チャーハンの原理だ。残ったご飯を冷蔵庫で保存する。翌日くらいならそのまま炒めればよいけれど、二日もすればカンカンに硬くなるので、さっと水分を補給しないといけない。そして、卵やハムなどその辺にある材料を適当に加えてサッと炒める。残り飯チャーハン完成。
言うまでもなく、スペインはパンが主食。スペインで暮らしていると、多かれ少なかれパンが残る。キリスト教徒たちにとってイエスの身体と象徴されるパンを捨てるなんて、もっての外。そこで考案されたのが《ミガス》なのかもしれない。
スペイン版の残り飯チャーハン《ミガス》。国や人種が違っても、こうして食を大切に生きることは、この世に命を受けた者に与えられた使命の一つなのだろうと思う。
硬くなったパンと、腸詰の切れ端で作る《ミガス》は、庶民の生活の匂いがひしひしと伝わってくる一品なのだ。
次の目的地 ⇒ テルエル2
旅に出ると、ついついお土産にするその土地の名物お菓子を探してしまいますが、ちょっと驚きのお菓子に出会って嬉しくなったことはあませんか。何だか食べるのが勿体なくなったりして。
今週のお題は
『あなたの好きなご当地菓子教えて(国内外問わず)』
です。
あなたのお菓子愛を語ってください。
お題の回答はいつものようにこちらのコメント欄。
もしくは、ツイッターで #食べて生きる人たち をつけてのハッシュタグ投稿してくださいね。
さらに……。
参加目標枚数100を目標としてスタートしたトルティージャ祭。
予想を上回るに賑わいとなり、スタートから1週間で
投稿数50枚を超しました。
作る楽しみ、食べる喜び、共有する醍醐味を味わってくださいね。
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