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頭で食べますか?身体で食べますか?

 サンティアゴ巡礼路のフランス側からピレネー山脈を越えてスペインに入るルートで、スペイン側の出発地点のあるのがナバラ地方。眩しいほどの緑溢れる平原の田園風景の中を北に向かう列車が走り抜ける。

 車窓から外を眺めていると、やがて、中世の趣を今に残す美しいオリ-テ城が姿を現す。赤茶けた壁石の一つ一つがそれぞれの歴史を語っている。

 この城は、15世紀初頭のナバラ王国の最盛期にカルロス3世により建設され、16世紀にカスティージャ王国と連合するまでの間、ナバラ王国の歴代国王の住居地であったもので、現在は改装されパラドールとして使用されている。

 パラドールというのは、スペイン国内に現存する中世の城や王侯貴族の邸宅や別荘、修道院といった歴史的建造物を利用した国営の宿泊施設のことを指す。外観だけでなく、その地の郷土料理や名物料理など、当時の雰囲気を存分に楽しむことができるので、異文化体験を求める国内外からの旅行者が絶えない。

 あともう少しでパンプロナに到着。この地に位置する、紀元前75年にローマの将軍ポンペイウスによって創設された『牛追い祭』で有名なパンプロナは、10世紀から16世紀にかけてナバラ王国の首都として栄えた都市である。

 現在位置:パンプロナ(ナバラ地方)


【スペインの中のフランス?】

 河川に恵まれ、深緑のベールに包まれたこの一帯では、エブロ川流域の肥沃な土地から採れる農作物はもちろん、それらを使った料理の完成度も非常に高い。料理の盛り付けの仕方一つにしても、一見、フランス料理を思わせるほど洗練されたものに出会うことが多々ある。

 色とりどりの野菜が宝石のように輝くテリーヌや、鱈を加えたベシャメルソースをたっぷり詰め込んだ小ぶり赤ピーマンに、さらに野菜を煮詰めたソースを添えるといった手の込んだ「見せる料理」は、隣接するバスク地方とこの辺りの料理の特徴でもある。

 これは、一説によれば、フランスのナポレオン軍がスペインに遠征した際に受けた影響だともいわれている。14世紀のナバラ王国では悪知恵王で名高いカルロス2世がフランスから王妃を迎え、彼の後継者であるカルロス3世もまた、フランスにて幼少時代を過ごすなど、何かにつけてフランスとの接点が多かったようだ。建築物の装飾デザインを含めて、フランスの趣向が感じられるのも、こういった歴史を持つ土地ならではなのだろう。

 一方で、ホワイトアスパラやアーティチョークなど、下手に手を加えず、素材そのものを楽しむことのできる料理に出会えるのも、新鮮な食材に恵まれるこの地だからこそ。この土地は、五感をくすぐりながら食べる楽しみを存分に味わう土地でもある。

 ***

 そんなナバラの地には、日本人の感覚では想像し難い食材を組み合わせた興味深い料理がいくつかある。

 その一つが、ビターチョコでコクを加えて仕上げる野鳥料理。秋先の狩猟の時期に登場する山うずらをチョコレートで仕上げた《ペルディセス・コン・チョコラテ》は、スペイン第二の首都バルセロナの位置するカタルーニャの料理だけ思われている節があるけれど、本来のルーツはこちらにある。

 料理とチョコレートなんて!と普通なら思うだろうし、実際に、そう思った。けれど、それというのも所詮、チョコレートが甘いお菓子だという潜在観念によるもの。

 スペイン人がアメリカ大陸から持ち帰ったカカオの実に焦点を合わせてみると、食することのできる植物であるカカオが料理に使われても、何ら不思議はない。
 それよりも、すでに甘いチョコレートとなったお菓子を使って料理を再現しようと思いついた現代人の発想の方が、ずっと自由で面白いと思うのだけれど、どうだろうか……。

 


【好奇心に泣く】

 野鳥料理にチョコレートという奇抜さに加えて、さらに食材の組み合わせが興味深いのが、ナバラ風鱒料理《トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ》と呼ばれるもの。

 どんな料理なのかは少し後に説明するとして、この料理を、あえて、ソースや添え物などのない、一番シンプルな状態で味わってみたくなって、食べられる店をガイドブックを探してみた。

 ところが、どういう訳なのか見つからない。ナバラ風というのは名ばかりで、実際には名物料理ではないのだろうかと不安が過る。

 

 せっかく来たのに引き返すわけにはいかない。バルで聞き込み調査、街角情報を収集し、ようやく、メニューにこの料理名が書かれているごく庶民的な小綺麗なレストランを見つけた。

 フォークの数は3本。スペインのレストランはミシュランのように星の数ではなく、最小1本から最高5本のフォークの数でランク付けされている。 

 白を基調としたリネンに黄緑色がアクセントになったレストランの飴色の両開きの扉を開ける。昼食には少し早い時間で、談笑していた店員たちが、入って来た謎の東洋人に気づき、急いでそれぞれの仕事に戻っていく。同時に、一人のカマレロ(ウェイター)がメニューを持って近づいてきた。

「食事ですか」

と聞かれ、そうだと返事をすると、本日のお勧め料理を幾皿か勧めてくれる。しかし、探している鱒料理の名はいっこうに出てこない。

≪トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ》を探しているのだけれど、どの店にメニューにも書かれていないことを話すと、両手を広げて、少し残念そうなポーズで、あるにはあるけれど……と渋るカマレロ。

 ここでようやく気付いた。私は、ごく当たり前のことを忘れてしまっていたのだ。この料理は季節料理でもあるので、旬の時期を外すとメニューには載せない店も多いのだという。

 なるほど、と納得はしたものの、これだけ探してやっと見つけたのだ。どうしても、どんな料理なのか知りたくて、結局、季節外れだと知りながらも注文することにした。


 テーブルに運ばれた《トゥルチャ・ア・ラ・ナバラ》。予想に反して、大円形の皿からはみ出してしまうほど大きな鱒が一尾そのまま乗っかっている。虹鱒の腹の部分には、なんと、生ハムが挟み込まれ、多めのオイルで焼いてある。カラリと仕上がった皮の部分を剥ぎ取ると、淡いピンク色の身が現れる。
 
 鼻先に燻らす生ハムの香りを添え鱒の匂い……。

 脂ののった旬の季節なら、さぞかし、ムチムチとしたジューシーな鱒の身が、咽るほど豊満な香りを纏って登場するのに……。そう、残念に思いながらもハッとした。

 欲求に任せ、決してベストな状態ではないと分かっていながら注文せずにはおれなかった自分。そんな自分が恥ずかしくなったのだ。旬のものを食べる。そんな簡単なことが出来ていないのだ。

 食材には旬がある。ほとんどのものを通年、食べられる便利な時代に生きていると、そんな当たり前なことを当たり前に考える細胞が麻痺をしてしまう。

 その食材が一番美味しく食べられるばかりか、栄養価も最も高い旬。それは自然が決めた順にやって来る。それを無視して、食べたい時に食べられるように人為的に交錯し、自然が用意してくれた食べ頃を無視する。

 それが当たり前になってしまっていることを勿体ないと思った。

 四季を通して、自然から恵まれるものを素直に取り入れる。食べて生きることって、本来、難しいことではないのだ。

 淡泊な鱒の身に移された生ハムの塩味。大好きな生ハムなのに、心なしか、塩気が強すぎるように感じたのは、自分への戒めなのかもしれない。


《パンプロナ その2 に続く》



皆様、明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。大きな盛り上がりを見せた『トルティージャ祭』も、去年の話になってしまったのだと思うと少し寂しいですね。

今年もまた、ゆっくりと着々と土を踏みながら進めていきます『食べて生きる人たち』プロジェクト(今、勝手に命名しました)、読んでいただいた方、イベントに参加していただいた方の心の中に、小さな光の玉をそっと置いておけるように頑張っていきますので応援してください。

さて、水曜日恒例の『食べて生きる人たちの広場』も、来週からスタートです。『食』をテーマにいろいろなお話を、井戸端会議のようにワイワイとお話したいと思います。

そこで、気になる次回のテーマ

これです!!

まさかの組み合わせだけど、食べてみたら案外美味しかった!

という体験って、ありますよね。

お題に対する回答は、こちらのコメント欄、もしくはTwitterで #食べて生きる人たち  のハッシュタグをつけて投稿していただけたら嬉しいです。

では、来週の水曜日、Spacesでお会いしましょう!

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