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養老孟司さんの著書「ものがわかるということ」をわかろうとした結果、自分のことがわかったという気づき


環境というのは
自分の身体のことです。

養老孟司さんは著書「ものがわかるということ」のなかで、環境というのは自分の身体のことだと話していました。以下に引用させていただきます。

「環境」と聞いて、外の世界のことのように思う人も多いでしょう。違います。環境というのは自分の身体のことです。身体には百兆の生物が住み着いている。腹や口の中にだって億単位の細菌が住んでいます。だから人間だって生態系です。

ものがわかるということ : 著者 養老孟司

食べ物を摂取してカスを外に出していることだけをとっても、自分の身体は環境とつながっています。そこに切れ目なんてあるわけがない。

ものがわかるということ : 著者 養老孟司

この一文から得られたことがあります。依存症回復に必要な環境作りとは、身体の環境を整えること、精神(思考、考え方)の環境を整えることが大切なのだと改めて思い知りました。

環境と聞くと、どうしても自分より外の世界に考えがちだが、実は自分自身が環境なのだということを教わった気がした。特に、依存者は自分ではない外のモノやコトに依存していると思いがちだと思います。確かに依存性物質や行為による身体依存の影響はありますが、自分を見失っては本末転倒。依存症というのは精神依存も働いている状態です。人は肉体と精神が相まってできているので、外の世界ばかり気にしていると自分をないがしろにしてしまいます。身体の環境を整えること、精神の環境を整えることが大切だと思った理由には、依存症当事者の経験から導かれた背景がありました。

僕は本を読むとき、著者の話しを理解したいと思いながら読みますが、理解できない(できていない)ことのほうが大半で、特に養老孟司さんの本は奥深く難解です。しかし、本の読み方としては著者の言いたいことなんて分からなくていいとも思っています。分かるより、分かろうとすること。何を言っているのか分からないけど、こんなことを言っているのかもしれない。もしかしたらこういうことなのかも。もし、そうだとしたらこういうことか。みたいに思考を深めることに読む価値があると思っています。この思考を深める過程は自分を知らないことを教えてくれます。無知の知ですね。知らないことを知るという行為を繰り返し、高次にまで達するとメタ認知といわれる状態になる。自分をより俯瞰し、客観視できるこの認知行動が依存者には最も有効だと考えています。

本の一文からでもここまで思考の幅を広げることができることに価値があります。内容や著者の正解を学習する行為は、学校の勉強と同じようなこと。社会での学びには正解がありません。時代の変遷と共に方程式も変われば答えの形も変わる世界において、正・不正解の教育を受けて育ってきた思考のままでは、生きづらくなるのは当然だと思います。そのような考え方ではストレスも余計に抱えてしまう。人との間で疲れたら自然に目を向けてみてください。もともとを辿っていけば人間の祖先は自然です。養老孟司さんは著書のなかでこうも話していました。

私はよく、「田んぼは将来のあなただ」と言います。言われた人はたいがいポカンとしている。田んぼに稲穂が実り、米を収穫し、その米を食べれば、それは自分の身体の一部になる。つまり、田んぼの実りも人を取り巻く空気も、いずれ人の一部になります。それが「田んぼは将来のあなただ」の意味です。だとすれば、環境は自分の外側にあるものではありません。

ものがわかるということ : 著者 養老孟司

わたしたちの祖先はさまざまな生き物が共生する世界でどのように生きてきたのか。ありがたいことに、日本には素晴らしい大自然が豊富にあります。インターネットの世界や人間が創り出した世界だけではなく、自然から学べることのほうが本質的で生きていくうえで大切な気がしました。

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