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「水」に感謝をする祭り!?標津町民にもっとも馴染みのある祭り「水・キラリ」に参加してきた!

こんにちは!
大阪生まれ大阪育ち、現在は釧路市を拠点にカメラマン・ライターをしています!崎一馬です。

2023年8月6日。
私は釧路から約2時間半、100kmほど離れた「標津町」へとやってきました。もう「100km」の移動なんて慣れたもん。道民化が進んでいる証拠です。

そもそもなぜ、夏の初めに標津町へやってきたのか....

それは.....

こちら!
「標津町民祭り 水・キラリ」という祭りに参加するためです!https://visitshibetsu.com/news/event/924/

「水・キラリ」は一体どんな祭りなんでしょうか。事前に調べてみた情報によると...

・水に感謝をする祭り
・ウラップ伝説という標津町で伝わる伝説と深い関わりがある
・毎年男女それぞれ1人ずつ町民から選ばれる「先導役」という役割がある
・町内を山車が引かれていく「曳山巡行」がある
・標津町民にとってゆかりのある祭り
・さまざまな儀式がある

とのこと。
しかし、調べられたのはここまで!これだけでは祭りの実態がわからないので現場に直撃せねば...!

ウラップ伝説って何!?先導役って何!?儀式とは!?

そのすべてをこの目で確かめるために今日はやってきました。
「水・キラリ」がどんな祭りなのか、さっそく解明しに行きたいと思います!


会場となる「標津サーモンパーク」へ

「水・キラリ」の会場となる、標津町の代名詞とも言えるスポット「標津サーモンパーク」へと向かいます。
「水・キラリ」の会場となるのは標津サーモンパークの駐車場とその横にある広場です。

けさのさけHPより引用

標津サーモンパーク内には「標津サーモン科学館」という施設があります。いつ見てもタワーの最上部に設置されたイクラのモニュメントが印象的。かわいい。
サーモン科学館という名の通り、サケマスに特化した展示や標津町近海に生息する魚たちを展示した大水槽も魅力。プライベートでもよく行く場所です。

この日はサーモンパークへ向かうまでの道のりも祭り一色の雰囲気。
国道244号からサーモンパークへ伸びる道沿いには数千個の提灯がずらりと並んでいました。

広場に到着して会場をさっそく散策。朝10時頃。もうすでに人がちらほら!

会場には商工会や農協さんのほか、地元の各団体の青年部や女性部さんのテントなどがずらっと立ち並びます。さすが漁業や農業などの第一次産業が盛んな標津町。「サケハラス焼き」などこのまちならではの気になるメニューがたくさん....美味しそう....

グルメの紹介は後ほどたっぷりと!お楽しみに。

こちらがメインステージ。
大きさに驚きます。しかも(写真に写ってはないですが)横にはビッグモニターまで設置されていました。専用のカメラマンもいて、祭りへの意気込みが伝わってきました。

伝説を"創作"して"伝承"していく祭り「水・キラリ」

今年で「水・キラリ」は第25回目を迎えるそう。ん?と感じた人もいるのではないでしょうか。そう、実はまだ歴史の浅い祭りなんです。

90年代後半のこと。標津町の人口は年々減少していく一方で、主産業である漁業や酪農などの第一次産業も厳しい状況が続いていました。
そこで、まちに活気が戻る一つのきっかけになればという思いを込めて、1996年に町民各層による「祭り検討委員会」が発足。「全町民が参加する楽しい祭り」の実行計画案が2年後の1998年に発表されました。そこで生み出されたのが、標津の水への感謝とさらなるまちの発展を祈願する「水・キラリ」という祭りです。
さらに祭りが町民やこどもたちにより馴染んでもらえるよう「ウラップ伝説」というウラップ川と鮭をテーマにした伝説も作られました。
1999年に第1回を開催し、今に至るといいます。「水・キラリ」はまちの将来を見据えたまちづくりの一環として作り出された祭りだったのです。

祭りのプログラムには「ウラップ伝説」を紹介する人形劇がありました。これをしっかりと見て、この伝説の内容について理解するぞ...

さて、そのウラップ伝説のあらすじを紹介しましょう。

 昔々、標太(ひょうた)と津々(つづ)という男女の若者がいました。

しかし村の暮らしは不漁・不作が続いていました。標太は海に漁にでましたが、魚も少なく、海は荒れて、何も獲れずがっかりして帰る日々。津々や村の人たちは、汗水垂らして開墾に精を出しましたが、日照続きで土地は痩せ、せっかく育てた牛や馬も痩せこけ、その挙げ句、熊に襲われる始末。野や山にも食べ物がなく、熊も飢えていたのです。

 そんなある日の事、標太は網にかかった妙な物に気がつきます。よく見ると褐色の石のような化石でした。珍しいものが挙がったものだと標太は大事に家に持って帰りました。
 ちょうど同じころ津々は荒れ地を耕しているとクワに引っ掛かる物があり、何だろうと掘り起こしてみると、固い化石のような物が掘り出され、家に持ち帰りました。二人が持ち寄った化石を合わせてみると何とピッタリ合わさって一匹の鮭の化石になったのです。不思議なこともあるものだと二人はきれいに磨いてその化石を祀りました。

 その夜、標太と津々は不思議な夢を見ます。あの化石の鮭が甦りこう言ったのです。「私の生まれたウラップ川の源流に連れて行ってください。そうすれば、きっと良いことが起きるでしょう。」

 次の朝、目覚めた二人は同じ夢をみたことにびっくりして鮭の化石を大事に運んでウラップ川の源流に祠を建てて丁重にお祀りしました。

 するとその夜、雨が降り出したのです。雨は長く降り続き、渇いた大地の隅々まで水は染み込んでいきます。そして、その恵みの水は標津中の川に流れ込み、川から海へとどんどん流れていきました。

 荒れた大地はみごとに息をふきかえし、野山には花が咲き乱れ、小鳥がさえずり豊かな緑の大地となりました。家畜は肥え、農作物は豊かに実り、山菜や木の実もたくさん採れるようになりました。標津の川という川には鮭がどんどん上がってきて海の漁も大漁になりました。

 村人達は大変喜び、ウラップの祠にお礼参りに行こうと標太と津々を連れ立って出かけます。ちょうどウラップ川の祠に近づいたころ、大きな二頭の熊が現れました。憎き熊めと標太が銃をかまえましたが、津々が思わずその手をおさえました。なんと二頭の熊は鮭の化石を祀っている祠を守っていたのでした。

 それからというもの村人は、祠の番人の二頭の熊とウラップ川の源流がもたらす豊穣な大地と海に感謝し、年に一度、源流の祠に農産物や海産物を供え、村中にウラップ川の源流の水を振る舞う「お祭り」をするようになりました。

というあらすじ。
想像以上に物語が作り込まれていて驚きます。100年以上前から語り継がれているようなそんな物語に聞こえてきました。

そして「ウラップ伝説」を紹介する人形劇が終わったあと、祭りは本格的な儀式へと進んでいきます!

迎水の儀・分水の儀・入魂の儀

人形劇が終わったと同時に、遠くから「ドンドン」と太鼓の音が聞こえてきました。その音と同時に会場の雰囲気もガラッと変わります。音の鳴る方向を眺めていると、列を組み歩いてくる群衆が!

群の中央部分で一際目立つ水色の着物を身にまとい、大きな壺を持ち歩く若い2人が見えます。そう、彼らがまさにウラップ伝説で出てきた「標太」と「津々」です。

この役を任されている2人は標津町に住む20歳の若者。
毎年20歳を迎える町民の中から、その年の水・キラリの「標太(ひょうた)」と「津々(つづ)」役が選ばれるのだそう。誰に決まったかは「二十歳の集い」で発表されるらしく、目玉イベントになっているのも面白い!

今、行われているのは「迎水の儀」
"水を迎える"と書いてある通り、この壺の中にはウラップ伝説に出てくる「ウラップ川」の源流水が入っているそう。

実は祭り会場とは別で、早朝にウラップ川の源流部で「奉納感謝の儀」という儀式が関係者のみで行われます。この儀式の際に源流水を汲み取ったものがこの壺の中に入っていて、まさに源流水を「水・キラリ」へ迎え入れる儀式なのです。

源流水の入った壺が実行委員長(町長)の手に渡ると、続いて「分水の儀」が始まります。
分水の儀は全ての源であるウラップ川の源流水を「伝承」「大漁」「繁盛」「翔酪」「ゆめ」と名前がつけられた5つの壺へと分けていく儀式。

この儀式が何を意味するのかわかりませんでしたが、それは次の「入魂の儀」で明らかになります。

5つの壺が祭りの入り口に並べられている山車のもとへ。ここでようやく気づきました。そう、5つの壺の名前はこの山車一台一台の名前と同じだったんです。

豊漁を祈願する「大漁」山車、町の商工業の繁盛を祈願する「繁盛」山車、酪農業の豊作を祈願する「翔酪」山車、祭りの伝統を繋いでいく「伝承」山車、そしてこどもたちの未来を乗せた「ゆめ」山車。

会場前に置かれていたのは「大漁」「繁盛」「翔酪」の3台。「伝承」と「ゆめ」の2台は標津町の市街地に置かれていました。

※2023年から曳山巡行で引かれる山車は「伝承」「ゆめ」の2台のみへと変更されたそうです。そのため、その2台は巡行スタート地点である町中に置かれていました。

このように分水の儀で分けられたウラップ川の源流水が、それぞれの山車の魂として注がれていきます。これが「入魂の儀」です。

ウラップ川の源流水をすべてを司る神に例え、その魂をそれぞれの山車に注ぎ、さらなるまちの発展を祈願する。伝説の見事なストーリー性と儀式一つ一つの意味が明確でわかりやすく、つい見入ってしまいました。

「入魂の儀」で儀式の前半が終了。
昼の部ではステージイベントを中心としたプログラムが進んでいきます。そのあと、夜の部で町中を山車が引かれていく「曳山巡行」がスタートします。

さて、この間にステージショーをみながら気になる「水・キラリ」の「グルメ」を紹介していこうと思います!

会場には標津町ならではの絶品グルメが!

時刻は午後になり、賑わいがさらに増してきました。

会場には標津町の商工会青年部や女性部のみなさん、農協さんや漁協さん、そして町の定食屋さんなどさまざまなテントが立ち並びます。
売られているのは「焼き鳥」「豚串」などの祭りの定番メニューに加えて、標津町ならでは!というメニューがたくさん!

今回は、その一部を紹介します!

まずは見た瞬間に二度見したこの看板
「鮭コロッケ」!!!!!!!

鮭のほぐした身がたくさん入った「鮭コロッケ」。食べると想像以上に鮭の味が広がって美味しい!!

こちらの「鮭コロッケ」はなんと標津町のふるさと納税の返礼品にもなっているんです!「鮭コロッケ」を食べられるチャンスです。ぜひ、チェックしてみてください!

【標津町ふるさと納税ページはこちら!】
https://www.shibetsutown.jp/furusato/

あの鮭がコロッケになるというなんとも贅沢な一品....さすが....と思っていたら、鮭グルメはほかにも....!
「さけ天カマ」「さけすり身揚げ」ついには鰹節ならぬ「鮭節」を使用したラーメンまで!!
さすが日本を代表する鮭の水揚げ量を誇る標津町ならではのメニューです。

グルメは鮭だけではありません。
標津町の特産品であるホタテやニシンを使ったメニューもたくさん!

なんせ安い!ホタテとニシンのセットがたったの500円だなんて...本州では考えられない価格です。
もう...見た目とその香りだけで食欲がそそられますよね...あと、お酒も...(ここはガマン...!!)

続いては魚介を使った一風変わったグルメをいただきました。
それがこちらの「浜ピザ」!

このピザを作るのは、漁業の6次産業化を主な活動としている「波心会」のみなさん。
「浜ピザ」には標津町近海で獲れたカレイなどを使用した自家製魚肉ソーセージと自家製スモークサーモンがたっぷりとのっています。浜ピザめちゃくちゃ美味しかった....
※浜ピザは標津漁師会が発案し、今回の祭りでは波心会のみなさんが販売しています。

もちろん、魚介だけではありません。
農協さんのテントで開催されていたのは「牛肉大食会」というイベント。

特大サイズの国産ステーキを目の前の鉄板で焼いてくれました。

ほかにも「ホタテカレー」や「ホタテご飯」、ドリンクではビール以外にも「標津牛乳」や標津牛乳を使った「アイスクリーム」などもあり、とにかくグルメのバリエーションが豊富!

複数人で行って、みんなでシェアして楽しむのも良さそうですね!

日も暮れ祭りはラストスパートへ!

日が暮れ、時刻は19時前。
祭りのメインイベント、2台の山車が町中から会場まで引かれていく「曳山巡行」が始まります!
巡行ルートは国道244号からサーモン科学館へ伸びる「道道863号」の約1.5kmの道のり。国道と道道を封鎖して行われます。

スタート地点の交差点にはすでに「伝承」の山車が準備をしていました。信号よりも高いサイズの山車に迫力を感じます。

そして19時!「曳山巡行」がスタートです!
巡行の最初を飾るのは標津町の川北中学校の生徒たちで結成された「ソーラン節」の演舞です!山車をバックに踊る姿がかっこいい!

ソーラン節の演舞が終わるといよいよ山車が引かれていきます。
太鼓ばやしの音と掛け声を響かせながら、高さ6メートルの山車がゆっくりと動き出します。

「伝承」の山車の中央にはあの「標太」と「津々」が乗っています。
彼らの役割は出発前の「入魂の儀」で注がれたウラップ川の源流水を沿道の観客たちに向けて撒くこと!2人が勢いよく水を四方八方に撒いていきます。この水を浴びると幸せが訪れるとされていて、私もしっかりと浴びてきました!笑

ルートを半分ほど過ぎたところで、こどもたちが引っ張る「ゆめ」の山車も合流!ここから会場まで2台の山車が賑やかに引かれていきます。

会場に近づくにつれ、人の数も熱気も最高潮に!
みんなで歌って踊りながら山車を引く一体感に圧倒されました。
沿道に並ぶ数千個の提灯と山車がとても似合っていてかっこいい!

そして2台の山車が会場に到着!曳山巡行が終わりました。
これで会場に5台の山車が全て揃ったことになります。

5台の山車が揃ったところで「水・キラリ」で一番の大イベントが始まろうとしています。まずは関係者や代表の方々が集まって鏡開き!
標津町から近い根室地域の地酒「北の勝」が会場の大人たちに配られて盃を交わします。

私も飲みたかったけどクルマなので断念....!くう〜〜!

そして会場はその大イベントの準備に進みます。司会の方から「会場の電気すべてを消灯します!」の合図で会場は真っ暗に。

直後、ドーンと大きな音と光が夜空に上がります。

大きな花火が夜空に!
会場からすぐ近くで打ち上がる迫力は文字では表せられません。大きな音と写真で収めるには難しいほどの花火には圧倒されました。

こどもから大人まで町民全員が一度に夜空を見上げる日。北海道の夏はとても短い。まさにこの日が標津町の人々にとっての夏そのものなんだなと、花火を見上げる人々の姿をみて感じました。

そして祭りは最後の儀式「水柱の儀」へと進みます。

標津町の発展に欠かせない存在である水への感謝を込め、最後に神のもと(天)へお返しをするという儀式。
この儀式をもって、「水・キラリ」のすべての儀式が終わりました。

「水・キラリ」実行委員長でもある山口町長に祭りへの想いを聞いてみた

ー山口町長!本日はよろしくお願いします!初めて来させていただいたんですがものすごい盛り上がりですね!

山口町長 そうですね!4年ぶりの開催となってみなさん本当に楽しみにしてくださっていたんだと思いますね

ーコロナの影響で4年間実施できていなかったんですね。今回、やっとコロナ禍が明けて4年ぶりの開催となりましたが実行委員長として意気込みというか祭りに対してどんな想いがありましたか?

山口町長 もうそれはとにかく盛り上げるぞ!という想いで取り組んでいました。スタッフからも本当に楽しみですという声をたくさん聞きましたし、町内そして町外の方々もみんな楽しみにしてくださっていたので。

ーそもそもなのですが、この"水・キラリ"のキラリとはどういった意味が込められているのでしょうか?名前がとても気になりまして

山口町長 これは「小さくてもキラリと光るまち標津町」というまちのコンセプトが由来です。まちのキーワードとして今でもまちの至る場所で使われています。覚えられやすくていいなと思っています。

ーあ!たしかに、まちを走るバスにも「キラリ号」って書いてありました!まちのコンセプトに含まれていた言葉が由来だったんですね。
町長が委員長として組織されている実行委員会にはどのような方々が参加されていらっしゃるんですか?」

山口町長 まちの産業団体の方々から商工会メンバー、まちの有志の方々が参加してくださっています。とても幅広い年齢層のメンバーで構成されていますよ。

ーまちの人たち一丸となって作られるお祭りなんですね。なんだかとてもまちに根付いたお祭りになっているなと感じました。
先ほど町民の方にインタビューしたら「ウラップ伝説はみんな語れる」と仰られていてびっくりして笑

山口町長 実は数年前までは小学生の演劇の題目としてウラップ伝説が披露されていたんですよ。さっき人形劇でウラップ伝説の説明があったでしょう?数年前まではあれが演劇だったんです。ステージで小学生が披露してたんですよ

ーえー!そういう背景があったんですか!こどもの頃からこの伝説に触れられるんだ....それはより心に刻まれますね。
なんだかまだ25年ほどの歴史しかない祭りに感じないです。もう100年とかもっと年月を重ねた祭りくらいの刻まれ方というか、根付き方だなと感じます。町長として実行委員長としてこれから"水・キラリ"がどうなっていったらいいかなど展望はありますか?

山口町長 やっぱりまちが元気になる、活気にあふれるためには「人の魅力」が欠かせないと思っているんです。キラリの言葉のように「標津町の輝く人々」をこの祭りを通して発信できればいいなと思っています。そして"水・キラリ"がさらに10年そしてその先へと受け継がれていけばいいなと思っています!

思えば、京都や奈良などで行われている100年以上続く祭りなども、はじまりはこうやってまちの人々の想いの積み重ねが伝統となって今に至っているのだと思います。「水・キラリ」はまさにその100年の歴史のスタート地点を見せてくれているのかもしれません。

標津町民の心に深く根付く祭り「水・キラリ」

これから先、100年200年と続く道東の歴史ある祭りになることを願ってまた来年も足を運んでみようと思います!


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