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【サーフィン小説】ビジタリズム|第16話

<15ラウンド目 マチャドヘッド

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16ラウンド目 鬼瓦

カウンターの後ろに突然現れた男の顔は、弁当箱を彷彿とさせるサイズと輪郭を持っていた。

歳のころは40代後半か、いや、顔に刻まれた深い皺と、後ろに撫で付けた頭髪に混じった白いものの雰囲気から推察するに、50代に入っている可能性もある。

おそらく長年紫外線対策を怠ってきたのだろう、皺だけでなく、無数のシミが顔面全体を覆っていて、それが男に鬼瓦のような迫力を付け加えていた。

マチャド頭は、鬼瓦にその場を譲るように、カウンターの中で一歩移動すると、黙ってヘンプシャツとリーシュのタグを手に取り、バーコードのスキャンに取り掛かった。

鬼瓦が両手をカウンターにつき、力丸の目を覗き込んできた。

突然登場したボスキャラのような男と真正面から対峙することを余儀なくされた力丸は、言葉を失ってしまった。

「あ……、ええと……」

「君、ボード何乗ってるの?」

「え?あ、ええと、ダイアルアイランズの……やつです」

突然使用ボードを尋ねられ、力丸は面食らった。そもそも自分の使用ボードのモデル名など気にしたことなどなかったから、かろうじてブランド名を答えるにとどまった。

「DIね。1970年、ボル・デリックがリンコンの自宅ガレージで始めて50年の老舗か。いいよ、悪くないよ。おおかた君が乗ってるのはバンピースターあたりじゃないかな?デイヴ・アーノルドが世界的に流行らせたモデルね。日本の量販店でも大量に流通してたから」

鬼瓦に一気に捲し立てられた力丸の脳裏には、ダイダイスポーツでボードを買うときに聞いたスタッフの言葉が蘇った。

“これ、オンショアが多くなる夏の盆台とかにばっちりハマりますよ。ワイドがあるんでテイクオフも間違いなく速いです”

髪の毛が傷み切ったスタッフはそう言って、フリーサーファーの星だというデイヴ・アーノルドがそのボードで小波を自在に切り刻むデモムービーを力丸に見せたのだった。

「ああ……そうです、それですバンピースター」

鬼瓦は、力丸の反応をみて満足そうに頷くと、さらに続けた。

「君はサーフィン歴1、2年てところかな。横には走れる。だけど当て込めない」

「……!」

(この人、探偵か何かなのかな……)

力丸は、鬼瓦の細められた目を見た。自分の佇まいのどこを見れば、使用ボードからサーフィン歴までを当てることができるというのだろう。初対面だというのに、あまりにも的確すぎる。

「今日の万里は最高だったでしょ。ミドルからインサイドの波はリッピングの練習にもってこいって感じだね」

「あ、はい。ただ、その……」

力丸が口籠ると、鬼瓦は、横で話がひと段落するのを待っているマチャド頭の手元に目を走らせた。力丸がすぐ使いたいことを汲み取ってか、マチャド頭はリーシュのタグをすでに取り外していた。

(まだ支払い終わってないのに……気が利くというか、せっかちというか)

「ああ、リーシュが切れちゃったか。このサイズだとかなりパワーあるからね。想像してるより。で、リーシュを替えてもう1ラウンドってわけだ」

「はい、そうなんです」

ぎこちない愛想笑いを浮かべる力丸に、鬼瓦はさらに畳みかけた。

「いいねえ、これからもっと波良くなるし。ただねえ、そうするとバンピースターじゃないんだよなあ。それだともったいないわけ。せっかくコンディションのいい万里でやるなら、やっぱりウチとしては——」

ここで鬼瓦は言葉を切り、左手の親指を自分の左側に向けて突き出した。

「アレを試してもらいたいわけ。なあ?マチャ」

急に話を振られたマチャド頭だったが、これも想定内と言わんばかりの落ち着きようで、ただ笑顔で頷いただけだった。そして、話を振られたのがいいタイミングと見たのか、鬼瓦と力丸の間に割って入った。

「お支払いは?」

「あ、ええと、カードで」

(この人、マチャって呼ばれてるのはやっぱり髪型から来てるのかな)

マチャド頭が差し出した端末にカードを差し込み、暗証番号を入力しながら、力丸がそのニックネームの由来に考えを巡らせていると、再び鬼瓦が攻勢をかけてきた。

「DIもすっごいいいボードだけどね、やっぱね、そこの波を知り尽くしたシェイパーが削ってるボードは、そのスポットで乗ると乗り味が段違いなわけだよね。ワインがその土地の食材とめちゃくちゃ相性いいみたいにさ。わかる?」

「は、はあ……」

「サーフィンも明らかに変わるから。俺が保証するわ。なあ?マチャ」

またしても鬼瓦から話を振られたマチャド頭は、微笑みながら「そうすね」とだけ頷いて、リーシュとヘンプシャツを力丸に手渡した。商品は、袋などに入れることなく、剥き出しのままだった。

鬼瓦の眼差しに完全にロックオンされた形の力丸は、商品を受け取ってもなお、その場を離れることができなかった。

これはやはり、暗にこの店でボードを買え、というプレッシャーをかけられている、ということだろうか。

(サーフボードを買わないとメンバーになれないって言ってたもんな……)

しかし、いくら万里の波を知り尽くしたシェイパーの手によるボードだと言われても、今の自分の力量でその乗り味の違いを感じられる自信など全くない。

それに、ついさっきシャツ1枚買うのに、頭から煙が出るほど悩んだ自分には、もちろん新しいサーフボードを購入する余裕もない。

「ええと、そうですね……今はちょっとお金が……」

なんとか絞り出した力丸の言葉を、鬼瓦のバリトンボイスが途中で遮った。

「いきなり買わなくてもいいんだよ。そりゃいきなりは買えないよね。試してみないとさあ。サーフィンは道具に対する感覚が、他のスポーツと比べ物にならないぐらい大事だからね。同じモデルのボードでも、合うとか合わないとか、人それぞれなわけ。車だって買うときは試乗するじゃない?」

「は、はあ」

確かに、力丸が中古のステップワゴンを買うときも、一応ディーラーに試乗させてもらったが、予算的にそれ以外の選択肢がなかったため、乗り心地がどうあれ、同じものを購入していただろう。

「ウチにもあるわけ」鬼瓦が、再び親指を自分の背後に向かって突き出した。「テストライド用のストックボードがさ」

この流れは——

力丸は身の危険を感じた。無理矢理テストライドを実行させ、いざボードを返却する段階で、いよいよボードの購入を本格的に迫る魂胆だろう。だめだ。鬼瓦のペースにはめられてはいけない。

「い、いいですねえ……そんなシステムがあるんですね」

なぜか、口をついて出たのは本心とは真逆の言葉だった。昔からこうだ。緊張からなのか、その場に合わせて心にもない事を口走ってしまうことがよくある。力丸は、つくづく自分がイヤになった。

案の定、鬼瓦は、力丸の反応を見て満足そうに頷くと、マチャド頭を振り返った。

「マチャ、ちょっとストック見てきてくんない?ええと、多分ポケットソケットが5'8"いいかな」

「オス」

マチャド頭が、バルコニーのドアから外に出て行った。ボードを収納する倉庫が外にあるのだろう。

「ちょうど君にぴったりのがあるんだよ。ラッキーだったね。これは楽しみだわ。新しいボードに乗る時はいつもワクワクするよねえ?」

「ですね。ははは」

鬼瓦に同意を求められ、力丸は作り笑いを張り付かせた。これはもはや完全に鬼瓦のペースである。

「君さあ、万里初めてでしょ?東京から?」

ある程度自分のペースで物事が進行し始めたことに満足したのか、鬼瓦はようやく初対面として相応しい基本的な質問を投げかけてきた。

「あ、はい。そうです。東京から来てます」

「いつもはどこでやってるの?」

「いつもは、盆台が多いですかね」

「ああそう。サーフィンは週末だけ?」

「そうですね、週末だけ……でも仕事で土日両方来れない時もありますね」

「へえ、仕事は?何やってるの?」

「広告会社でデザイナーやってます」

ここで、鬼瓦の目が、カッと見開かれた。会話が止まる。

(あ、あれ?俺、何か変なこと言ったかな?)

力丸が不安になる程度に沈黙が続いた後、鬼瓦は再び口を開いた。

「あ、そう。君、デザイナーなの?」

「あ、は、はい」

鬼瓦は腕を組み、改めて力丸の顔をまじまじと眺め回した。

「デザイナーっていうと、ポスターとか、ウェブサイトとか、そいういうのデザインしたり」

「そうですね」

「あと、ロゴとかも作ったり?」

「ロゴデザインもやってみたいんですけど、まだちょっとそのチャンスには恵まれてないっていうか——」

「君、名前は?」

「え?あ、前野ですけど……」

「前野くん、ちょっとさ、こっちおいでよ」

どういうことなのか全く理解できなかったが、力丸がデザイナーだと知った途端、鬼瓦の様子が急変した。そして、どういうわけか力丸は、突然裏の事務室に誘われたのである。

「え、あ、僕は——」

カウンターから出てきた鬼瓦の厳つい手が、躊躇する力丸の肩をがっしりと捉えていた。

「いいからいいから。前野くん、麦茶飲む?」

鬼の巣に引き摺り込まれる——

もはや力丸になす術はなかった。

〜〜つづく〜〜

ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ

ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——

ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。

ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。


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