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【サーフィン小説】ビジタリズム|第12話

<11ラウンド目 ふたたび、本領発揮

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12ラウンド目 フルスーツ

(!!!)

プルアウトしたサーファーは、空中でボードのレールを掴むと、そのまま即座にパドルバックの体勢に入った。

板前のように刈り込んだ頭髪に鋭い眼光。そして、この季節では異様な雰囲気を際立たせる真っ黒なフルスーツを、そのサーファーは身に纏っていた。

なぜ——あれほど確認したのに?誰もいないと確信したのに?2度と同じ過ちは(少なくとも今日のところは)犯さないと誓ったはずなのに?俺は、再びやらかしてしまったというのか?

力丸は全身から血の気が引いていくのをハッキリと感じた。

(いつの間に……!?)

パドルバックしてくるフルスーツのサーファーが近づくにつれ、力丸はほとんどパニック状態に陥った。

そして無意識の防衛本能からだろうか、気づくと腹の底から叫んでいた。

「す、す、すみません!!!ごめんなさい、ごめんなさい!!!」

力丸は叫ぶと同時に、顔面を海面に飛沫が飛ぶほどの勢いで打ちつけた。気分はもはや土下座である。

フルスーツのサーファーは、今やその鋭い眼光を放つ茶色がかった瞳までハッキリと確認できる距離まで近寄ってきていた。

しかし、フルスーツの男が発した言葉は、内容も声色も、力丸の想像していたものと全く違うものだった。

「いえ、兄さんのいたところもピークがありましから」

「えっ?」

「私はピークの裏から行ってましたんで、どうか、お気になさらず」

……ピークの、裏——?

力丸が確認した時点では、ピーク側には間違いなく波がブレイクした後のホワイトウォーターしか存在していなかった。つまり——

この事実から導き出される答えはただ一つ。

(この人、あの波のチューブから抜けてきたってこと……!?)

だから、一瞬確認しただけでは姿が見えなかったし、気配を感じることすらもできなかった——のかも知れない。

(何者なんだ、この人……!)

力丸は、男の気にするなという言葉を受けて、肯定することも否定することもできず、固まっていた。おそらく口は半開きのままになっていただろう。

「それよりも、兄さんの板、無事だといいんですが」

フルスーツの男は、穏やかな口調で固まったままの力丸を宥めると、切長な奥二重の目を細め、唇の薄い口角をやや持ち上げて涼やかな表情を見せた。

「あ……は、はい、ありがとうございます」

「では、失礼します」

フルスーツの男は、我に返った力丸がどうにか反応するのを見届けると、会釈代わりにスッと目を伏せ、ノーズをアウトに向けた。

男のボードは、今時珍しいぐらい細くシャープで、それはまるで研ぎ澄まされた日本刀をイメージさせるものだった。

なんだろう、この所作は。これが“粋”というヤツなんじゃなかろうか。強張り切っていた力丸は、その反動からか、フルスーツの男に惹き込まれた。

(なんだか昔の映画に出てくるスターみたいな人だな……)

力丸はしばらくそのまま波間に漂いながらアウトに遠ざかっていく黒いフルスーツに見惚れていたが、自分のボードが流されていることを思い出し、我に返った。

(やべ、ボード回収しなきゃ……)

ボディサーフィンの要領で、ちょうど目の前で割れそうな波に体を押してもらいながら、力丸は岸を目指した。

(それにしても、今のサーファーはカッコ良かったな)

あんなに思い切り前乗りをかましてしまったのに、むしろ俺のことを気遣ってくれるなんて。ローカルにはこんな人もいるのか。ボロカスに罵声を浴びてきたオッキーとはエラい違いだ——

今日ここまで散々だった力丸の心は、この瞬間、じんわりと温まっていた。いつになるかはわからないが、自分が上手いサーファーになれたなら、フルスーツの男のように振る舞おう。

力丸はそう誓いつつ、足が着く場所まで来たことを確認すると、おもむろに立ち上がった。

その時。

「おい、マエノリい!」

野太い声が、再び力丸の心を硬くさせた。

こ、この声は……

顔を上げると案の定、ビーチで仁王立ちしているオッキーの姿が目に飛び込んできた——しかも、オッキーはボードを2本持っている。

力丸は嫌な予感がして、オッキーが左手でぶら下げているボードのテールを見た。

無情にも、そこには千切れたリーシュがぶら下がっている。

(ああ……いちばん拾われたくない人に……)

力丸は、それでもなんとか口を開いた。

「あ、あの、あ、ありがとうございます」

「あ?おう、このボードてめえのか。いきなり流れてきたと思ったらリーシュ切れたのかよ」

「す、すみません」

「それよりもよ……」

ボードを手渡しつつほくそ笑むオッキーを見て、力丸は次に何を言われるのかおおよその見当がついた。またやっちまったな、とかなんとか、力丸をなぶり倒すに違いない。

だって自分は、前乗りで先般あれほど目の前の男に絡まれたというのに、また同じミスを犯したのだから。

「オマエ、命拾いしたな」

「……は?」

オッキーの口を突いて出たのは、予想だにしなかった言葉だった。

命拾いとは?

さっきの前乗りのことじゃないのか?ということは、オッキーはリーシュが切れたことを言っているのかも知れない。確かに波はそこそこのサイズがあるが、力丸にとって海で泳ぐことは雑作ないことだった。

「あ、僕、泳ぎは結構得意な方なんで……」

「ちげえよバカヤロウ、てめえがまたかました前乗りの話だよ」

「え、あ、すみません……」

ああ、やっぱり前乗りは見られていたのか。

確かに自分はフルスーツの男の波に思い切り前乗りしてしまった。しかし、相手の紳士的な振る舞いのおかげで、穏便に事は済んでいる。それが、力丸の認識だった。

「あの人、優しかったか?」

「え、あ、はい」

少なくともあなたよりはずっと、という言葉はもちろん飲み込んだ。

「ふーん、まあ、そうか。今はもう……」

ほとんど独り言のように呟くと、オッキーは改めて凶悪な目で力丸をぎろりと睨んだ。

「あの人、フルスーツ着てたろ。あれ、真夏になってもずっとフルスーツなんだよ。なんでかわかるか?」

「え?い、いえ、わからないです」

力丸の脳裏に、男の纏っていた真っ黒なフルスーツが蘇った。

確かに、この暑さの中で見るフルスーツには、力丸も少なからず違和感を覚えていたが、その理由を考えるまでには至っていなかった。

「ど、どうしてなんですか?」

「これはあくまで噂だけどよ、あの人な……」

オッキーは、そこで言葉を切って黙ってしまった。その凶悪な人相に似合わず何かを思案している。

「まあ、いいや。オマエに話す義理もねえしな」

「え……」

「とにかくオマエは命拾いしたんだよ。リーシュも切れたことだし、今日はもう上っといた方が身のためだな、マエノリかましまくってるしよ」

「は、はあ……」

核心に行く着く前に話を寸止めされ、力丸は内心身悶えた。

先程アウトで対峙したフルスーツの男は、眼光は鋭いものの、なんとも言えない物腰の柔らかさと清々しさを持ち合わせた、まさに男も惚れるタイプの男だった。しかし、オッキーが言うには、力丸は命拾いしたという。

あのフルスーツの中に何があるというのだ?あの男の背景に何が?

しかし力丸は、目の前の凶暴な男に対して続きを催促する勇気は持ち合わせていなかった。

オッキーは、勝手に話を切り上げると、踵を返してビーチの傾斜をのしのしと登っていってしまった。

力丸は、ショアブレイクに足首を洗われたまま、手渡されたボードにぶら下がった切れたリーシュを眺めた。

それはまるで、緊張の糸がプツリと切れた力丸の心のように思えた。今日は朝からたった2時間のうちに色々なことが起きすぎである。

凶暴な激ウマ少女、同じく凶暴な警察官、自分にとってはそこそこハードな今日の波をイージーと言い切るオージー、新橋にいそうな怪しい中国人ロングボーダー、そして、フルスーツでその謎を包んでいる(らしい)、映画俳優のようなサーファー——

(なんなんだ、万里浜。あまりにもディープすぎるだろ……)

力丸は、オッキーと同じ方向に同じタイミングで歩くことの気まずさを避けるためだけに、普段はやったこともないサーフィン後のストレッチを始めた。

〜〜つづく〜〜

ビジタリズム
作=Ario Ike/池 有生
イラスト=ミヤタジロウ

ある時、ふたりのサーファーが初めて訪れた「万里浜(まんりはま)」。そこは、異色のサーファーたちがひしめくワケありのポイントだった!?クセの強いローカルサーファーに翻弄されつつも、そこで割れる最高の波、そして人々に、ふたりは徐々に惹きつけられていく——

ビジターサーファーの視点を中心に、ポイントで交差する様々なサーファーたちを描く、日本初?のリアルサーフィン群像劇。

ビジタリズム(visitorism)」とは、ビジターサーファーとしての振る舞いや考え方を意味する造語。決して「ローカリズム」と対立するものではなく、それぞれ海への距離感は違えど、最終的にはサーフィンを通じてリスペクトし合える世界を実現したいという祈りも込められています。


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