【サーフィン小説】ビジタリズム|第11話
11ラウンド目 ふたたび、本領発揮
太陽は、さらにその位置を高くしていた。
今何時だろう?日の出とほぼ同時にパドルアウトして、体感的には2時間ほどサーフィンしているから……それでもまだ7時にもなっていないのか。
初夏の1日は長い。だからこそ、たっぷりと波乗りを満喫するのには最高の季節だ。従来、今日のようなコンディションだったら、まだまだ上がらずに粘っているところだろう。たとえ仕事が詰まっていて前日ほとんど寝ていなかろうが、この季節なら最低3時間、調子が良ければ4、5時間ぶっ続けでサーフィンしていても平気だった。
しかし、今朝は如何せんいろんなことが起こり過ぎた。
(そろそろ上がろうかな……)
今、力丸が感じているいつになく大きな疲労感が、純粋にサーフィンだけによるものではないことは明らかだった。
和虎はどうしているかと南端のピークに視線を向けると、まさに今、小ぶりなセットの波にテイクオフしようとしているところだった。
グーフィーフッターの和虎は、完全に両腕を脱力させ、スタンスが狭く後ろ足の膝が内側に入った独特のスタイルでテイクオフ直後の厚目のセクションを真っ直ぐ岸に向かって滑り降りると、ミドルからソリッドに掘れ上がってくるセクションの壁に完璧なタイミングで駆け上り、鋭くポケットを抉った。綺麗な扇形のスプレーが打ち上がる。
どうやら、和虎はこの2時間ほどで万里の波にずいぶん慣れたと見える。この様子だと、まだ上がろうとは考えていないだろう。
力丸は、自分の仲間でありながら、万里のローカルとも張り合える技術を持っている和虎が誇らしいと同時に、少なからず疎外感を覚えるという複雑な心境に陥った。
自分もいつか、あんなふうにしなやかに、波と、“場”の雰囲気に同化できる日が来るのだろうか。
(うめーなあカズ——まあでも、ナミノリほどじゃないんだろうけど)
再度、南端のピークを振り返ると、どうやらそこにナミノリの姿はなかった。ナミノリだけではない。オッキーの姿も見えなかった。いや、朝イチ組が早々に切り上げたからなのか、南端のピークにいる人数は驚くほどまばらだった。
(こ、これはラッキーなのでは……?)
コンディションがいいポイントでも、時としてこういうチャンスは訪れる。これを逃したら、またすぐに混雑してしまうかもしれない。
(一本だけ、いいの乗れたらそれで上がろう)
力丸は、誰に対してのポーズか分からないが、いかにもリラックスしていますという雰囲気を醸し出そうと努力しつつも、内心では誰もパドルアウトしてきませんようにと祈りながら全力で水を掻き、今までにないほど南端のピークに接近した。
祈りが通じたのか、力丸がそこに到達しても、新たにラインナップしてくるサーファーが現れる様子はなかった。
力丸は、パドルをやめ、少し緊張しながら、遠慮がちにボードの上に座った。端っことはいえ、インサイドから見れば、もはや自分もピークで波待ちするサーファーグループの一員に見えるだろう。
はるかアウトで波待ちしていたサーファーが、力丸の存在に気づいて親指を立ててきた。あの立派なヒゲは、グレッグだ。
(ああ、俺、いま万里のピークで波待ちしてるんだな)
ほんの少しだけ、誇らしい気持ちが頭を擡げる。
と、同時に、新たな緊張感が力丸を包んだ。そこで割れる波は、今までサーフィンしていたバンクの波とは全くの別物だったからだ。
そのセットは、ウネリが遠くからやってきて、徐々に盛り上がっていく、という感じではなかった。海面全体が動き、岩場の横に水が集まってきたかと思うと、突然、目の前でボッコリと掘れ上がる。
見るからにパワーがありそうな波だ。そして、形もいい。テイクオフのポジションさえ間違えなければ、いとも簡単にボードを押し出し、ロングライドへと誘ってくれるだろう。
ここに20人も30人もサーファーが集まっていたとしたら、力丸にチャンスが巡ってくることは、まずないと言っていい。いつだって、セットの波を掴めるのは、力丸が勝手に提唱している“8:2の法則”に従って、その場の上位2割のサーファーだけなのだ。
しかし。今この瞬間は、パッと目視した限り、波待ちしているのは10人にも満たない。
小ぶりなものも含めて比較的短い間隔でセットが入ってくるたびに、一人、また一人とテイクオフしていき、“次は自分の番”という予感が高まっていく。それに伴い、力丸の鼓動は速まりつつあった。
そして、ついにその時が訪れた。
力丸の目の前に、せり上がったピークが出現した。しかし、焦らず慎重に首を右に振る。“あんなこと”があった直後だけに、指差し確認は当然の行為だった。
やはり、そこには誰もいなかった。
力丸は満を辞してノーズを岸に向け、深く水を掻いた——しかし、波がダブルアップするスピードは、力丸の予想の範疇を超えていた。
瞬時にパーリングの予感が体を走り、板を引く。
(あぶね……ちょっと遅いか)
慎重に行きすぎた結果、テイクオフのベストなタイミングを逃してしまったのかもしれない。ましてやこのピークは水量もパワーも先程までいた場所とは違うのだ。
(くそ、もったいないことをした……!)
そう思って振り返った力丸の眼前で、再び海水が一箇所に集まりつつあった。
(ラッキー、もう一本来てた!)
乗り損ねたセット一本目での失敗を繰り返すまいと、力丸は北側のショルダーに向かって全力でパドルを開始した。そちらへズレれば、波がピークで急激に掘れ上がったとしても、ある程度余裕を持ってテイクオフができる算段だ。
波がせり上がるタイミングに合わせて、漕ぎながらノーズを岸側に向ける。
一本目のセットが来たときに、ピーク側は充分すぎるほど確認し切った。力丸にはその自負があった。だから、“念のため”という感覚で、ちらっと左側に首を振った。やはり、目に写るのはすでに砕け始めたホワイトウォーターのみだった。
テールに、波の芯を食ったような心地よい圧力を感じる。確実に波のパワーを捉えていながらも、めくり上げられることなく理想的なスピードでボードが前に押し出されていく。
(今日イチだ——!)
今朝、ここまで乗ってきた波も充分いい波だった。しかし、この波はそれらをはるかに凌駕する最高のものになるだろうという予感が、テイクオフした力丸の全身を駆け巡った。
ピークはややワイドで速すぎるように見えたブレイクは、レールをセットすることに成功すると、たちまち力丸を歓迎するアーチのように、アップスンダウンズの速度にシンクロして次々とその壁を立ち上げていく。
スピードが上がるにつれて得体の知れない陶酔感に包まれ、力丸の頭は真っ白になった。
このまま、どこまでも走り抜けていきたい——
あるいは、その願望通り、走りぬけていればよかったのかもしれない。しかし力丸は、自分に課していた“本日のミッション”を思い出してしまった。
(リップ——!)
今の力丸に、このパワフルなブレイクのボトムでリッピングを成功させるターンを仕掛ける力量などあるはずもなかった。にもかかわらず、力丸はそれを試みた。
案の定、固いボトムにレールは食い込まず、力丸は弾き飛ばされた。
仕方ない、これもある程度想定の範囲内だ。
海中に飲み込まれた直後は、そう思える程度に力丸は冷静だった。しかし。今日イチのブレイクのパワーは、即座に力丸から冷静さを奪った。
ぶつん。
足首の先で針にかかった巨大な魚のように暴れていたボードの抵抗が、突然消えたのだ。
(リーシュが切れた……!?)
焦って海面に顔を出した力丸は、さらにそこで信じられないものを見た。
今、乗っていた波から、一人のサーファーが弾丸のようなスピードでプルアウトしてきたのである。
〜〜つづく〜〜
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