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同じ『生命』ということは、上下のない対等な横の関係

「変わったかもしれないけど、狂ったりはしてないわよ」『ぼのぼの』ヒグマ母より。



「私は友達を失ったのか……
いや、そもそも『友達』だったんだろうか」
そんな風に考え込んだ時があった(´・ω・`)

知り合いから紹介されたバイト先で仲良くなった
年下の女性。

お互い真逆の性格。
それが面白くて楽しくてすぐに仲良くなった(´∀`*)

「次の仕事は一緒に働こう」と友達に言われて、
新しい仕事先で一緒に働くことに……

一緒に働いて休みの日も一緒に遊びに行ったりと、
ずっと仲良し一緒の友達だった。

ところが、職場のギスギスした人間関係で躓き始める……(´・ ・`)

すると、二人の関係にも変化が起こった。

お互い合う時間が減って距離感を感じるように……

「辞めようかな」友達が突然言い始めて、
私もストレスで辞めることを決める。

「じゃ、次の仕事も一緒に働こう」

二人でそう決めた。
ところが、初日の一日で終わってしまった……

私は楽しかったけど、
友達にとってはつまらない仕事だった。

「辞めずに前の仕事で働いた方がよかった」

……その言葉と共に、友達は去っていった。

心の中は覗けないので真意はわからない。

……でも、友達の心は折れてしまったのだと思ってる。

職場のギスギスした人間関係
残業ばかりの忙しい毎日
私も友達も余裕が無くなっていた。

私は自分のことしか考えられなくなっていた。

距離を置くような
突き放す態度を何度か取ってしまった。

せっかく仲良くなった友達のことを蔑ろにしてしまった。

そのせいか……
友達にとって「辞めてスッキリ!」にはならなかったのかも……


私に対する不信感は、初めのうちはほんの少し。
最後は大きな亀裂になってしまった……
私はそれを認められなかった。

「あんなに一緒にいたのに……どうして?」

友達が離れていったことを、
「変わった」のではなく「狂った」と感じた。

「ごめんなさい」と素直に曝け出すべきだった。

「許すor許さない」は、友達が決めることだけど、
やり直す努力はできたはず。それなのに……

「あんなに一緒にいたのに」

「一緒がいいって言ってたのに」

友達を責める気持ちを抱いてた。
友情関係が「狂った」と感じて、
それを離れていく友達のせいにしていた。

友達と疎遠になったのは「変わった」かもしれない。
それを「狂った」と感じていた。
それは、友達をコントロールできると勘違いしていたせい。


友達は、私の物でも道具でもない。

生まれ育った環境や年齢が違っても、
同じ『人間』……同じ『生命』


同じ『生命』ということは、
上下のない対等な横の関係
ということ。

それなのに、「辞めようかな」と言いつつも
決めきれない友達の気持ちを無視した。

「私は早く辞めたい」と自分の気持ちを強引に押し通した。

友達に強引に辞めるのを決めさた。

それは同じ『人間』としても、
『友達』としても『対等』な関係とは言えない。

『友達』がいつも意見を聞いてくれたことを、
「思い通りにできる」と勘違いした結果だった。

「思い通りにできる」と勘違いしていたから、
友達との関係が「変わった」ことを「狂った」と感じた。

「思い通りにできる」
「コントロールできる」

そう思っているほど……

「こんなはずじゃなかった」
「こんなのおかしい」

そんな風に思って受け止められない。
認められない。
……だから、「狂った」と感じる。

でも、日常はいつも「変わってる」


毎日同じように見えても、
すべて変わってる。

昨日吹いた風と、
今日吹いてる風は違う。

風は風でも、同じ風じゃない。

流れる川の水は一瞬足りとも同じじゃない。

流れる雲だって同じじゃない……
変わってる。

細胞は生まれて死んでを繰り返し、
目に見えない変化だけど変わってる。

それらを「変わった」とは言っても、
「狂った」とは言わない。


「思い通りに」「コントロール」
そんな意図で見れば「狂った」になる。


そんな風に見ていた時点で、私は友達を失ってる。

「狂った」のはそんな意図を持っていた私の方。
「変わった」と感じたのは、きっと友達の方だろう

それが分かったとしても、もはや過去のこと。

起こった出来事を
ただ受け止めて認めること

絶えず変わる日常を
受け止める・認めること

一日一日を大切に過ごす鍵になる。


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