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糀は幸時

先日、仲間たちと一緒に
糀を仕込んだ。

米を蒸して、
種菌をふりかけて、
ほかほかのお米を
みんなで混ぜる。

目に見えない微生物たちの存在を
ほのかに感じながら。

こんなに豊かな時間はなかなかない、
というくらい心地よかった。

で、お米を混ぜながらハッとした。

こんなにも豊かな時間を、
たくさん失ってきたのかもしれない、と。

今まで、モノを買うということは
「手間と時間を省くこと」
だと思っていた。

お金を払う代わりに、
モノ作りにかかる
時間や手間が省けて、
自由な時間がキープできる。

たとえば、糀だって
買えば手間も時間も
かけずに済む。

でも買ってしまうと、
仲間と一緒に仕込む
あの幸せな時間は手に入らない。

それは、とてつもなく
もったいないことだ。

糀を買った分、
空いた時間で何をしたか
覚えているか?
覚えてない。

糀を買わずに、
みんなで仕込んだ時間のことは?
たぶん死ぬまで覚えてるだろう。

以前、発酵デザイナーの
小倉ヒラクさんが
「人は消費者のままでいると、
学びから疎外される」
と言っていた。

これはまさにその通りで、
自分で味噌や米を
作るようになってから
痛感していたことだった。

自分で作ることで、
発見や疑問が生まれ、
学びにつながる。
新しい興味や関心が生まれる。

みんなで糀を仕込んで思ったのは
「学び」だけじゃなく
「豊かさ」からも
疎外されてしまう可能性がある、
ということだった。

もちろん何から何まで
作れるわけじゃないけれど、
今まで失ってきた豊かな時間を、
これからはなるべく
手に入れていきたい。

仕込んだ糀は、
2日後の昼ごろに完成。

にぎやかだった
仕込みの日とは
うってかわり、
妻も旅行で不在だったので
完成までは家に自分と糀だけ。

音もなく、
熱と香りと白い菌糸で
語りかけてくる
糀の声を、
何とか聞き取ろうとした
3日間だった。

※この時に仕込んだ糀を使って、
古代ローマ×味噌作りWSという、
前代未聞のイベンを開催します。
くわしくはこちらの記事をどうぞ。

https://note.com/virtunica/n/n4bd7dfed4629


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