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幸福をもたらすための「デジタルトランスフォーメーション」

日本で過去20年ほど言われているにも関わらず、よちよち歩きにしか進まない電子化。最近では「デジタルトランスフォーメーション」という言葉が躍るようになり、いつものように、流行り言葉先行の日本らしい状態にあります。

言葉は、電子化でもデジタルトランスフォーメーションでも、何でも構いません。言葉ばかり先行すると難しい響きになってしまいます。アメリカの電子化を例に、本来の電子化を解説してみます。日本の現状からは考えられないぐらいの電子化は、アメリカではすでに10年前には達成され、いまでは発展を遂げているのです。


例えば、家の売買。通常、日本で家の売買をする場合、書類への印判、署名、ローンの承認面接など、各担当者、なにより買主、売主の時間をきちんと(?)費やして、顔をみて物事を進めるというのが今でも常でしょう。その関係者が会う事のできる時間を設定しますね。夜になったり、仕事中になったり、週末になることだってあります。子どもの学校行事と重なってしまうこともあるでしょう。(ということは、不動産会社・銀行の方に週末働かせていることもあります。きっと家族がいるのに)しかし、アメリカの場合、うえにあげた作業のほとんどをPCとクラウドでの電子署名、最近では携帯の写真で送らなければいけない書類を送れるなどかなり便利になっています。 なによりも日本では体験できないことが、例えば、売主がサインをしなければいけない書類があり、そのサインのタイミングで出張をしていたとします。すると、クラウド上に保存された契約書類(数十ページのもの)が、クラウド上のリンクが売主へ送られメールで通知、電子署名を促します。売主がオンラインでサインを完了すると買主へ同様のものが送られます。買主がオンラインのサインをすることで契約は完了するのです。もちろん、この裏には、公証人がサインの確認を事前にしていたり、Escrowと呼ばれる人が身元をきちんと確認していたりと、事前準備がされているのです。

弁護士との折衝や、車の売買、生命保険、犬の健康保険や、国民全員の税金申告、光熱費の契約と支払い、賃貸契約、これらすべてにおいて、PCとクラウドで済んでしまうのが現在の米国の文化です。実は、この内容を個人ブログで7年ほど前に書いたのですが、その当時は、スキャナーで文書を読み込んでメールで送るという手順がありました。でも、最近この方法さえとる必要がなくなりました。悲しむべき事実は、日本の現状に大きな変化がないこと。アメリカではどんどん進んでいく一方です。


ここで大切なコンセプトは、「行き過ぎるほどの電子化」がいったい「だれの、そして何のためか?」ということです。

米国の発展と進歩が速いのは、「自分と他人の時間を大切にする」という精神にブレがないからでしょう。 自分の時間を奪われたくない、人の時間を奪いたくない、家族との時間を大切にしたい、こうした概念から、PCの発展や携帯、携帯端末での進化、電子化・クラウド化が進んできているのです。(クラウド化とは、時間と場所を問わないという概念ですね)

この時間を大切にするという考えを中心に据えるのは、結局は、自分たちの幸福のため。人間の人生の時間とは限られているために、幸福や幸せを死ぬまで追求するために、幸せになるために直結した活動以外の行動を極力「便利」にするという概念なのかもしれません。洗濯機、電子レンジ、炊飯器、食洗器などが家事の多くの部分を担うようになったのと同じことです。

このコラムシリーズでもたびたびお話する「自分の幸せを死ぬまで追求して、自分が幸せになれないと人を幸せにできない」というコンセプトは、こうした電子化の進化のスピードで計ることができます。

そうもいかない、というのが日本の文化かもしれませんが、論理的・倫理的に正しいことであることは認めなければいけないでしょう。自分が幸せになれば、他人も幸せになれる。社会の人の休日や休息を奪う必要がなくなり、ひいては社会全体が病的な今の日本の状況も改善されることになるはずです。

日本のみなさん、この電子化を間違った使い方、自分の時間を失う使い方、してしまっていませんか?

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