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90年代の映画に見たネット社会と、現在

 インターネットの黎明期に、サンドラ・ブロック主演「ザ・インターネット」という映画があった。この日本語タイトルは音として奇妙なので原題の The Netを使いたいところではあるが、とりあえずは正式な邦題なのでそう表記する。
 一度しか見ていないので記憶違いもあるかもしれない。また、20年以上経過している映画ではあってもネタバレしてほしくない人もいらっしゃる可能性を考え、ここで3行あけておこう。
 
 
 
 以下、その映画のラストについて語る。

 コンピュータの専門家である主人公が、映画の序盤で偶然に入手しフロッピーに入れたままにしていた、単純だが凶悪なウィルスがあった。それをふたたび手にすることができた彼女は、何かのイベント(あるいはコンピュータの展示会場?)に忍びこみ、端末にそれを入れるのだ。たちまちオンラインのデータが破壊され、主人公は自分に着せられていた汚名や偽の情報をすべて消去することに成功し、元の人生にもどれる——というものだった。
 
 
 実はあの当時、そりゃないだろうと、わたしは考えた。
 なぜならまだ当時の世の中は、オフラインで作業をしてときどきネットにつなぐような使い方が多かった。あるいは企業等ならばオンラインにつないでよい端末を限定しており、残りは社内などのローカル環境で情報共有というものが多かったからだ。中央のデータ変更が末端まで行き届くには時差があり、そして世界的に完全に同期するというわけでもなかった。

 そして当時の人間たちが思い描く未来のネット社会もまた、旧来のパソコン通信サービスのような、どこかのコンピュータをホストに見立てて会員が電話回線でつなぐスタイルを頭の中で引きずるものが多かった。とてもではないが、あの映画のように世の中すべてがフロッピーの1枚でどうにかなるような話には無理があると、わたしは考えたのだ。

 ところがどうだろう。最近になってあの映画は、フロッピーというメディア以外の面では、けっこう世界観としてあり得そうな話に思えてきた。

 現在のサービスの多くは、クラウドに依存している。人々はクラウドに何でも載せ、知人や必要な相手と情報や画像を共有をする。だが善意の使われ方ばかりとは限らないし、そこに不具合が生じたら何もできなくなる脆弱性もある。

 検索エンジンにしても、Googleの力が大きくなっている。他社の検索結果と比較して情報を得る人が減り、独占状態になったら危険である。Googleがその立場の上にあぐらをかき、ときには検索結果に介入しすぎた場合はどうなるだろうか。

 1年ほど前だが、わたしにはこんな経験がある。
 知人が「人により感じ方が違う言葉で、差別的なのかどうか調べたい表現がある」と声をかけてきた。○○という言葉がどう使われてきたか、嫌な使われ方をしていた例は何年くらい前か、そして現在の使われ方はどうなのかを知りたいのだが、それがうまく検索できない、と。
 わたしもやってみたが、どうもGoogle(おそらく他社も)が、それを好ましくない単語と考えたらしく、検索をしても類似単語の書かれたサイトを紹介するらしい。
 何やら納得がいかなかった。健全といえるのだろうかと考えた。検索サービスの大元でトラブルを避けるような態度をとられると、善意の利用者までが制限されてしまうことになるのだ。

 ここまで書いたことは、あまり一般の人にとって危機感を感じない話かもしれない。では卑近な例をひとつ書こう。

 たとえば世の中に増えてきたSNSログイン。GoogleやYahoo!あるいはTwitterなど、大手の会社のIDを通じて別会社のサービスにログインすれば、いちいちほかのサービスで会員登録をしなくても利用できるから便利と考える人が多いかと思う。だがログインに利用している大元のサービスでパスワードを数回間違え、本人証明がうまくできなかった場合。あるいは不正行為を疑われて本人確認の手順が必要となった場合に、運が悪いとアカウントが数日停止されてしまう危険性がある。するとその方法で参加していたサービスは、芋づる式に、いったん利用禁止になるのである。
 個人間のやりとりで使っているサービスならば、何日後であろうと復帰できれば問題は少ない。だがビジネスや真面目な用件で使用していれば、アカウントが停止になるのは大問題だ。それだけのリスクを考えるなら、大事な用件で使う場合にこそ、それぞれのサイトに別々にアカウントを作ったほうがよい。

 とは書きながらも、わたしもSNSログインをしているサービスは、いくつかある。選べる場合は個別にIDを作成するようにしているが、SNS経由を前提または奨励しているサービスも多い。サービス提供側にしてみれば、もしかしたらそのほうが管理が楽なのかもしれないが、できれば個別にアカウントをとったほうがよいように思う。

 利便性と安全性のバランスを考え、情報をまとめてしまうのはほどほどにと、書かせていただくにとどめよう。

 最後に。
 2020年代については、悪い方で予想していることがもうひとつある。AIを使った人物特定だ。

 実生活では、顔のデータを空港の防犯カメラに組み込むことが可能にになっているし、実施している国もあるらしい。
 文章データもまた、論文などの学術面から、独創性があるか剽窃かを調べる仕組みはすでにあるはずだ。今後、もし言論の自由が脅かされて文字による情報の発信が精一杯になる時代が来たとき、どこの誰が書いたものかを特定する技術として使われていくのではないかと、一抹の不安を覚えている。
 これが杞憂であってほしいと、考えている。

家にいることの多い人間ですが、ちょっとしたことでも手を抜かず、現地を見たり、取材のようなことをしたいと思っています。よろしくお願いします。