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17時間もの苦楽をともにするうち、もう仲よし

「あ、どうも」

心でそう告げ、目で挨拶を交わす。
どこの誰かは知らないが、今日何度も合わせる顔だ。

彼女も同じことを思っているのだろう。
今日初めて会う僕に、口元を緩めて微笑んでいる。
今日が初めてだけど、今日が最後ともお互い知っているから。

――袖すり合うも多生の縁。
いろはかるた以来、使う場面がなかった諺が頭に浮かぶ。

気がつけば、18きっぷの季節だ。

正式名称・青春18きっぷ。
1日2,410円で全国のJR線の普通・快速列車に乗り放題だ。
その名から若者向けのきっぷと誤解されがちだが、年齢制限はない。

その昔、1年に20回は使うほど、当代きっての18きっぷマニアだった。
発売期間になったらすぐ買って、旅に出る。
普通・快速のみという制約は、速く目的地へという旅行にとっては足かせでしかないが、18きっぷマニアにとっては逆にそれがチャレンジとなる。

以前も少し書いたことがあるが、愛媛にいた頃、こんな旅にも使った。

香川・観音寺 ▶ 茨城・水戸、939.7km。
朝6:00に出発して夜23:30に到着する、17時間30分の旅だ。

通常のきっぷなら12,540円、いやふつうは新幹線を使うから22,420円のところ、18きっぷなら2,410円ぽっきり。

朝食は? 9:46から40分待ちの姫路の…ホームでえきそばかな。
昼食は? 15:10から14分待ちの豊橋で…大あんまきしかないか。
夕食は? 18:43から11分待ちの浜松の…売店でパンしか時間ない。

…と動いていると、あれ? あの人さっきも見かけたな…となってくる。
シーズンには同じきっぷを握りしめた「18きっぱー」が暗躍するのだ。

関西圏や関東圏は選べる便も多いが東海区間はあまり選べず、乗り合わせた18きっぱーは岐阜・愛知・静岡の3県を一蓮托生で移動する。
上の行程なら、豊橋の頃にはちらほらと顔なじみが。
さらに浜松から熱海までの静岡区間は3両編成ということも多く、それまで10両編成などに分散していた18きっぱーは急に大集結する。
まるで点呼でもされる気分。

乗換のたび車両が減るから、まるで椅子取りゲームのように我先競って跨線橋を走り、座席を確保することに懸命だった18きっぱーたち。
ところがどうだ。
尻の痛み、食料の調達、水分の補給、そして駆け込むトイレ…
言葉を交わさずとも、17時間もの苦楽をともにするうち、もう仲よし。

そして浜松の乗換で、ついに冒頭のシーン。
恋だって芽生えるというものだ。

あぁ、旅が懐かしい。

ん? 行ったらえぇやん、どうせ仕事してへんのやから。
たしかにそう、行きたいときに自由に行けるのは今だ。
でも、いつでも行けるとなると行かないのが世の常。

あぁ忙しい、の日常をどうにかやりくりするところから、旅は始まるのかもしれない。

(2023/8/2記)

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