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高校生が社会に参画し、その中で学ぶ場はもっとあるべきだ

金曜日、久しぶりに電車に乗って神戸の中心・三宮へ。

たいていの用事が近場で済んでしまう便利なところに住んでいるために、6月に退職してからというもの、ほとんど電車に乗ることもなかった。
さらにここ2週間ほどの体調不良もあって、電車どころか外出自体が久しぶりだった。

出かけた先は、市に対して意見する市民の集まり。
とはいえ反行政のアングラな市民集会ではなく、神戸市の広聴課が主催した公式な集まりで、応募者多数の中、抽選で選ばれて参加したものだ。
これまでに市長との対話会に何度か参加して、市長に直接質問をぶつけたりしたこともあるが、今回は市長はいなかった。

市民活動には昔あまり興味がなかったが、歳のせいかこのところ少し関心が出てきたかもしれない。
今回参加してみようと思った最大の決め手は、案内にあった「高校生も参加する」という一文だった。
高校生は今どんな考え方をするのか、どうやって大人社会と関わりを持とうとしているのかを肌で感じたかったのだ。

会は、ある一つの市政のテーマについて、5班に分かれて意見出しをするというワークショップ形式で進行した。
僕は5名の班だったが、そのうち高校生は男女1名ずつで、2人とも緊張のそぶりも見せず、自分の考えを臆することなく披露する。
ついこないだまで中学生、小学生だった視点での意見や、高校生としての問題提起もあったりして、意見出しは盛り上がりを見せた。

会の後、高校生も参加すると聞いたから来たんやでと伝えると、その期待に私たちは応えられたでしょうかと大人な答えが返ってくる。
彼らも、大人と対面で意見を交わせることに意義があると思ったから自ら手を挙げて来たのだという。

聞いてみれば2人とも1年生。
おっと、うちの息子と同じではないか。
うちの子はこんなにしっかりしていないぞと思いつつ、いやそれは親の前で見せる顔に過ぎず、こういう場に出れば同じように振る舞えるのかもしれない、そうであってほしいと思った。

それよりも自分が高1のとき、こんなふうだったろうか――否。
めんどくさ、なんでそんなん行かなあかんの…
きっとあの頃の自分ならそう言って見向きもしなかったに違いない。

机にかじりついての基礎勉強も、もちろん必要だ。
しかしそれは義務教育の中で済ませておけばよくないか。
成人年齢を18に引き下げたのなら、高校生が社会に参画し、その中で学ぶ場はもっとあるべきだ。
金曜日の高校生の活躍を見て、そう思った。

(2022/11/27記)

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