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コミュニケーションの欠如を憂う

マンションに住んでいる。
5階建ての、全部で40戸ほどのそれほど大きくないマンションだ。

これが街のマンションというものか、住人同士、互いに関心がない。
廊下で行き違えば挨拶だけは交わすものの、そこまで。
住人同士の立ち話など見たこともない。

感染症以前から、エレベーターの相乗りは誰もしない。
誰かが先に乗り込んでいたら、皆迷わず非常階段に向かうのだ。
犯罪防止で相乗りしないのが現代標準なんだろうか。

いや、父の住むマンションではあちこちで立ち話の光景が見られ、エレベーターも多くの人が相乗りをする。
僕にはそれがふつうなのだけど。

一度だけ、エレベーターに先に乗り込んだ人が「開」のボタンを押して待っていてくれたことがあって、珍しいなと思って急いで乗りに行くと、隣の家の中学生の女の子だった。
たったそれだけで、わぁ!と嬉しくなってしまう。

***

そのエレベーター内に、よく管理人から張り紙がされる。
ゴミ出しカレンダーや、近日中の点検や工事の案内。
そして最近多いのが、騒音の警告だ。

毎回文面は違えど、内容はいつも同じ。
騒音の苦情が出ている/大声に注意/TV音量に注意/踊らない/跳ばない/配管を通じて離れた部屋まで騒音は筒抜け/マンションは皆のもの/一人ひとりが気をつけて…

そやな、とは思う。
でもどこか残る違和感。

苦情が出るということは、それなりに音や振動は出しているはず。
それでもその自覚のない人が、張り紙で何か感じるだろうか。
あるいは苦情を出した人が鋭敏で、そこまでの騒音ではない可能性もある。
でもそれなら、なおさら自分が騒音源とは気づけない。
張り紙1枚で解決できるものではない。
それどころか、住人の間によけいな疑心暗鬼を生むだけだ。
苦情源を明かさず、うまく間に立って処理するのが管理人と思っていた。

張り紙に書かれる言葉がだんだん激しくなってきた。
管理人が勝手に感情を募らせるわけはなく、苦情源の怒りに他ならない。
たびたび管理人に苦情を寄せているのだろう。
しかしその怒りは騒音源に対してだけでなく、真剣に対応する気のない管理人にも向けられているものだと思うのだ。
自分に対する怒気を含んだ張り紙をホイホイ自ら作っているとは、めでたい管理人はつゆほども気づいていないのだろう。

1戸ずつ出向いて騒音抑制のお願いをしても、40戸なら数日で済むはずだ。
今朝見てみたら張り紙はなくなっていたから解決したのかもしれないが、次また張り出されたら管理人にそう言ってみよう。

相乗りなき淋しいエレベーターに、ペラペラの張り紙。
コミュニケーションの欠如を憂う。

(2022/11/7記)

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