どこか遠い異国で行われている行事だった
僕は幼稚園でお受験をし、明石にあった神戸大学附属に通った。
幼稚園は母の自転車に揺られて通ったが、小中は電車に乗っての通学だ。
たしか小学校は30分で通える範囲、中学校は60分で通える範囲というのが条件だったが、ホンマにその時間で通えるん?と思うような、兵庫県の西の端から通ってくる友達もいた。
とにかく友達が広範囲に散らばり、近くにはいない。
朝夕、家の近所を道いっぱいに広がってキャーキャーと進みつ戻りつする私服の集団は地元の学校に通う小学生だが、接点はない。
異国の地で日本人学校に通うとこんな孤独を味わうのかもしれないと身をもって感じた。
地元生であふれる地域の公園には一歩も寄りつけなかった。
家にランドセルを置いて公園に集合!というのは、附属生にとっては「ドラえもん」のみで見る世界だったはずだ。
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附属小から明石駅までの道のりは小学生の足でも10分ほど。
しかし途半ばに地元の小学校がでんと立ちはだかる。
毎日の通学路なのに、ここはちょっとした難関だった。
地元小の全校生がそうだとは思いたくないが、附属小に対するネガティブな感情を持つ子供が多く、嫌がらせは数知れない。
ヤジが飛ぶのはまだいいほうで、時に空気銃で狙撃されたりもした。
もちろん殺傷能力のない、オレンジ色のプラスチック弾が飛ぶだけのおもちゃの銃だが、当たるとなかなかに痛い。
見上げると、道に面した家々の2階の窓に銃口がいくつも見えた。
たしかに附属小に通う子供たちは、男女問わずその多くが会社社長や開業医の跡取りだったから、いわゆるボンボンやお嬢様だ。
しかし、隣の地元小に何か迷惑をかけているわけでもない。
なぜこんな仕打ちを受けなければいけないのかと皆思っていたはずだ。
ボンボンでもなく、今にも崩壊しそうな三軒長屋に暮らした僕はなおさら。
附属小の僕たちはよく耐えた。
今思えばヤンキー映画のように学校同士の争いに発展してもおかしくない事態だったが、喧嘩のひとつも起こさなかった。
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高学年になると林間学校で山に数日間宿泊する。
毎朝号令がかかって広場に集合し、施設のおじさんが音楽を流す。
ラジオ体操だ。
しかし、始まってすぐおじさんが首を傾げる。
皆の動きがぎこちなく、バラバラ。
ラジオ体操を身体が覚えていないのだ。
附属生は子供会に入れないから、夏休みのラジオ体操に参加できない。
noteで、夏休みのラジオ体操の話題をいくつか見かけた。
行けばハンコを押してもらえる、くらいのことしか僕は知らない。
夏休みのラジオ体操というのも附属生とってはまた、どこか遠い異国で行われている行事だったのだ。
朝からの雨に、淋しい記憶を辿る夏休み最終日。
(2023/8/31記)
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