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黒一点とはまさにこのことだろう

僕は小さな頃から人と同じが嫌だった。
よく聞くのは、皆といっしょがいい!という声だったので、皆と違うのがいい!という僕は、そもそも考え方からして少し皆と違っていたようだ。

過去の記事に細切れに書いたが、幼稚園では男子=青という時代に僕だけ赤パンツだったり、小学校では校章の入った学校指定のランドセルは僕だけ6年間一度も使わなかったり。
人と同じが気持ち悪くて落ち着かないのだ。

小学校に上がると、急に周囲が剣道やそろばん、公文を始めた。
なら僕はそんなの絶対やりたくなくなる。
茶道、華道をやり、師範の免状も持っていた母は、僕に何かの「道」で礼儀と間合いを学ばせたかったらしく、しきりに剣道を勧めてきた。
しかし僕には一向にその気がない。

テコでも動かない僕の性格を知っている母は最後には諦め、そんなに剣道が嫌ならピアノでもやりなさいと言った。
それならやると即答してピアノを始めたのが小1の時だ。
今でこそ珍しくもないが、当時は周囲でピアノなどやっている男子は一人もいなかった。
だから、やる気になった。
もしかしたら茶道や華道なら最初から頷いていたかもしれない。

週1回、先生の個人宅でレッスン。
いつも部屋に上がったときは僕の前の子がまだ弾いていたし、また僕の終わりの頃には次の子が入ってきたが、もちろんどちらも女子。
初めの頃は、その女子たちにやはり奇異の目で見られた。
そんな目で見られることを快感に思うほど(この頃はまだ)ひねくれてはなかったが、それでも周囲と同じよりはずっとよかった。

年に一度、発表会があった。
国際会館という神戸ではなかなかの晴れ舞台。
緊張半分、どうとでもなれ半分。

何人かの先生が集まって合同で開くから、生徒はそこそこの人数になるし、半数以上は年に一度しか顔を合わせない、ほぼ初めまして状態。
そうなるとやっぱり、舞台の袖などですれ違えば、え?男子?と特殊な生き物を見るかのような視線が一瞬投げかけられるのだ。
もういいって…

昭和54年ということは小3の時

僕以外の全員の目に黒線を置いたら、写真の暗さもあいまって、怪しい非合法組織の結成集会のようになってしまった。
40年以上も昔の写真にもこんな処理が必要なのか知らないが。

前列右から4番目、一人だけ目を晒しているのが僕だ。
みごとに男子一人。
黒一点とはまさにこのことだろう。

写真を見る限り、中学生のお姉さまも多数いるようだが、かわいがられた記憶なんかない。
ただただ、え?男子?場違いすぎん?の冷ややかな視線…
やれやれ。

(2022/12/20記)

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