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現代人として悩ましい判断

なかなかに忙しい。
昨日一昨日はまさに分単位で動いているような、そんな感覚。
これはちょっとよろしくない。

昨日、次男が制服を着て登校したので、あぁ始業式かとやっと知る。
次男の通う高校は私服で、髪色もパーマも化粧も自由なので、ふだんはいったいどこへ行くのかと思うような出で立ちだ。
ただ、式のある日は制服と決まっていて、その日だけは思いっきりの私服の上に制服1枚引っかけて登校していく。

年に数回しか出番のない制服を買わなければいけないのは理不尽だけど、季節を告げる節句のようなものだと思えば悪くない。
そうでもなければもう1/9にもなっていることに気づかずにいただろう。
そういえば僕の通った高校も、私服で髪色その他すべて自由だった。
親は同じく歳時記のように思っていたのだろうか。

次男がするりと出ていった扉の外、ぶら下げた松飾りがちらりと目に入る。
スーパーで買ったインチキな簡易松飾りだ。
こんなものに正月を託していいのか、甚だ心許ないけれど。

あれ? いつまで飾るんやったっけ…と首をひねる。
そもそも飾らない家が増えてはいるが、飾っていた家々もここ数日は片づけたのか、見かけなくなっていた。
もしかしてうちだけ?

昨年のnoteで僕は〈松の内〉の記事をあげていた。
本来松の内は1/15までなのに、幕府に従順な江戸市民だけが将軍の命に従って1/7までに変えてしまった話。
こんな絵まで描いて解説したというのに、忘れていた。

年明け初めての満月の日を〈小正月〉と呼び、松飾りを焼き、元服をする。

いくら形骸化したとはいえ、月の満ち欠けにちなんだ儀式の意味を知れば、1/7に飾りを片づけてしまうのはやっぱりどうかと思う。
かといって、あの家まだ飾ってるで、へへ、と思われるのも癪だ。

現代人として悩ましい判断を迫られる——

次男が出ていってすぐ、松飾りを外し扉の内側につけなおした。
磁石タイプのインチキ飾りでよかった。

(2024/1/10記)

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