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僕の中にも母が宿っているから

昨年の11/26、母が旅立った。
あれから1年、あっという間の1年。

正直、もっと母を懐かしむものと思っていた。
あの日のこと、この日のこと…と。
しかし、この1年でそうしたことは数回あったかどうか。

僕が無情なのだろうか。
いやきっと、これ以上ないくらいに母が未練を残さず旅立ったからだ。

母は小さくて細かったが、実はとても強い人だった。

僕はそんなに強いだろうか。
自らの命をたたむとき、そんなに気丈でいられるだろうか。
そこはどうにも自信がない。

でも、気高い母がそのまま旅立てるよう、子としてできることはある。
それは、最後の爪切りだった。

そんな母が生前唯一気にかけていたのは、父のこと。
お父さんのことだけが心配、と最後の力をふりしぼって乱れ文字で綴ったメモを遺し、母は旅立った。
父は、男子厨房に入らざる世代。
男が家事をすることをよしとせず、一人では何もできない。
しかし母は亡くなる半年ほど前から、洗濯や炊飯の猛特訓をしたようだ。
さすがの父も半年も反復したら基本的なことはできるようになった。
どころか僕がたまに手伝うと、そこ違う!と母の教えとの違いを指摘するまでになった。
父の中に母が宿っている。

今日、兄と日を合わせて父のところへ行く。
座卓にシーツをかけただけのにわか祭壇に母の写真を置き、花を手向けて手を合わせ、父と兄と僕の家族3人だけで一周忌を営もう。

坊主も呼ばへんけどえぇよな、お母さん?
――あぁそんなん呼ばなくていいわぁ。無駄無駄。
ほな浮いたお金で…
――今日お父さんに何かご馳走用意してあげて。

母ならそう言うのは分かっている。
僕の中にも母が宿っているから。

(2021/11/27記)

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