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そのうち喋る言葉がなくなるかもしれない

新卒で入った出版社。
東京のことは右も左も分からなかったから、アパート探しや引越はいくつか年上の会社の先輩たちに手伝ってもらった。

東京に着いたその日はまだ引越の荷物が届いておらず、3月にふとんなしで眠るわけにもいかないと、埼玉の先輩が家に泊めてくれた。
先輩は実家通いだったので、お母さんが夕飯を用意して待っていてくれた。
なんとも嬉しい歓待。

いらっしゃい、しんどなかった?

あれ? 東京の言葉と違う。
聞いてみたらお母さんは大阪の人、もう亡くなってしまったお父さんも大阪の人だったらしい。

先輩は埼玉生まれの埼玉育ちで大阪の経験はないらしいが、よく聞くと言葉の端々に大阪の片鱗が。
両親が大阪言葉しか使っていなければ、影響受けないほうがおかしいか。

夕飯をご馳走になりながら、しばし言葉の話。

どないするん? 東京の言葉に合わすん?

いや、それ絶対ないです。
東京の言葉は使えない、いや使わないです。

ほら、やっぱり。

え? やっぱりって?
先輩とお母さん、顔を見合わせてるけど、なんで?

大阪の人は東京来たら意外とすぐ東京の言葉に染まんねん。
せやけど、神戸の人ゆうたらなんでこないに頑固なん、ホンマ東京の言葉に染まらんわ。

そうなんかな。

***

結局東京の言葉には染まらなかった。
「しないよ」は「しねぇよ」ではなく「せぇへんで」だ。
たった5年しかいなかったからかもしれないけど。

その後住んだ愛媛でもまったく染まらなかった。
「だから」を「ほじゃきん」とは言わなかったのだ。
20年も住んだというのに。

となるとやっぱり神戸の人は頑ななのかもしれない。

なのに、「している」を「しとぉ」とは言わなくなっている。
もうすでに神戸の言葉を使えなくなっているのだ。

そして今また神戸に帰ってきて早や5年目だが、まるで神戸の言葉を取り戻す気配がない。
これでは頑固もなにもあったものじゃない。

よその言葉は取り入れない、自分の言葉は失っていく。
そのうち喋る言葉がなくなるかもしれない。

(2022/1/13記)

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